うみもり香水瓶コレクション 25  古代エジプトの開口の儀式セット

こんにちは。各地から桜の開花の便りが届き始めた今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

海の見える杜美術館の香水瓶展示室は、いつご来館頂いても香りの歴史が俯瞰できるように、古代エジプトから現代までの様々な香りの容器を多数、年代順に陳列しています。

香水瓶展示室の古代エジプト時代のケース

この春、当館所蔵の最古の作品を収めた古代エジプト時代のケースに、新収蔵品の《開口の儀式セット》が加わりましたので、この機会にご紹介いたします!

こちらの作品です👇

《開口の儀式セット》エジプト、古王国時代(第5-6王朝、紀元前2500-2200年)石灰岩、アラバスター、珪岩アルトン・エドワード・ミルズ(1882-1970)旧蔵、海の見える杜美術館蔵。RITUAL SET for the Opening of the Mouth, Egypt, OLD KINGDOM, 5TH-6TH DYNASTY, C. 2500-2200 B.C. Alabaster, limestone, quartzite, Provenance: Alton Edward MILLS collection, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 石灰岩のプレートの上に、儀式で用いられる道具が整然と収められています。それにしても、このタイトル。「開口の儀式」のセットとは、なにやら謎めいていませんか。この儀式は、口に対してだけではなく、目にも行われたために、しばしば「開口・開眼の儀式」と呼ばれています。では一体、誰もしくは何の目や口を開ける儀式だったのでしょうか?――それは死者であり、より詳しく言うとミイラにされた死者、またときに死者を模した彫像でした。つまり開口の儀式とは、死者の埋葬前に行われる葬祭にまつわる儀式のひとつだったのですね。そのなかでもとくに重視された儀式であったと言われています。そのようなわけで、本作品も古王国時代第5―6王朝と推定される墓から発見されたものです。

 興味深いことに、古代エジプトでは、適切な手順を踏んでこの儀式を行えば、たとえ死後であっても現世と同様に食事をし、話し、見て聞くことができると考えられていました。要は、閉じていた口や目がぱっちり開いて、耳や鼻も機能し、命の再生が可能となるとされたのです。ですので、誰かが亡くなるとその子孫は、それを実現させようと、死者に対して「開口の儀式」を神官たちとともに行いました。

この儀式の始まりは古く、かつ長く行われたものでした。少なくとも先王朝時代のナガダ期(紀元前3800-3100年頃)には既に行われ、プトレマイオス朝時代(紀元前332-30年頃)まで続けられたと推測されています。その間、ゆうに約3000年間も行われた可能性があるのですね。このことからも、いかにエジプト人にとって、欠くべからざる儀式であったかがわかります! ナガダ期の文書がのこされていないために、詳細は不明であるものの、先端が魚の尻尾の形をした当時の儀式用ナイフが、儀式の痕跡としてあります。

本作品の制作時期は、先王朝時代に次ぐ古王国時代。この時代には文書において儀式についての言及が見られます。第4王朝のクフ王の時代の文書『開口についての小冊子』には、ミイラではなく死者の彫像に対して行われたと書かれていますし、第5王朝に建造された最古のピラミッドとして名高い、かのサッカラのウナス王のピラミッド(第5王朝)にも、玄室の壁面に書かれたピラミッド・テキストにこの儀式が言及されています。ただ残念なのは、当時の言及は、続く中王国時代のコフィン・テキストにおける言及と同様に、いずれも部分的であるため、儀式の全体像を把握することが困難です。そのため、本作品の制作時期における開口の儀式について知ろうとしても、後世の研究者たちが、新王国時代の文書と図像をもとに推測したものの域を出ないのが現状です。

 さて、香りの歴史を考える上で、この儀式が見逃せないのは、様々な香りが用いられた儀式であったからです。以前のブログ(第18回 香水散歩)で、ミイラづくりには香りが不可欠であったとご紹介しましたが、香りの使用に長けたエジプト人は、完成したミイラや、死者の彫像、さらにはそれに捧げる供物に対しても香りを使っていました。

開口の儀式は、清めや、生贄や開口・開眼の道具の提示、そして献酒をはじめとする全75の段階で構成されています。その各段階をひとつずつ丁寧に辿っていきますと、要所要所で香りが重要な役割を担っていたことがわかります。

例えば、死者の彫像やミイラを開口する下準備としてなされる清めでは、様々な種類の水で清められた後に、セム神官〔葬祭を司る神官〕が玉状にしたテレバントの樹液を持ち、彫像やミイラの周りを4周します。ここではテレバントの香りを彫像やミイラに提示することが、さらなる清めとなったのです。また下準備の仕上げには別の香りが焚かれて、彫像やミイラに香り付けがなされました。

 儀式の各段階には、上エジプトと下エジプトそれぞれに向けた儀式がありました。そのうち下エジプトのための儀式では、甘い香りの樹脂を燻蒸した煙が使われました。それは、香煙で頭部を包むとエネルギーが得られると考えられていたからです。

 またミイラや彫像に香りを直接塗ることも重視されました。セム神官は香油や香膏の塗布を行いました。この儀式の最中には、セム神官とは別の神官たちが、セム神官の行為の効果を高めるための朗誦を行っていたと考えられています。面白いことにその朗唱の文句には、眼や顔に美顔料が塗られたという言及もあります。命の再生を願う開口の儀式であるだけに、目や口、鼻、耳など感覚が集中する顔への働きかけが大切だったのですね。

ちなみに、ここで使われた香料は、現在判明しているだけでも、古王国時代には7種類、新王国時代以降には10種類もあったとされています。ただし各成分の詳細は判明していません。というのも、たとえ同じ香りの成分であっても、当時は儀式に応じて名称を変化させていたために、今日では使用香料の特定が難しいのです。しかもこの段階に関する画像も存在しておらず、いまだ謎に包まれた部分も多くあります。

 儀式では他にも、アムシールという長い柄のついた香炉を手に、ミイラや死者の彫像の周りを巡りながら香をくゆらせたり、供物等に香りを付けたりと、命を再生させるために、香りが様々に用いられました。発掘調査と考古学研究が進んで、いつの日か、この儀式で使用された香りがより詳しく判明することを願わずにはいられません。

 さて本作品に話を戻しますと、サイズは23×15.8㎝と意外と小さいものです。いわばミニチュアサイズですね。ミイラや彫像の口や目を開くために使われた儀式用ナイフも全長約14㎝で、思いのほか細いものです。

この儀式用ナイフですが、下の画像でわかる通り、魚の尻尾の形をした先端が、全く鋭利ではありません👇。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

それは、ナイフとはいえ、この儀式においては実際に刃で口や目に切り込みを入れていたわけではなかったからです。余談ですが、私はこの事実を知って、非常に安堵しました! というのも、ミイラとなった死者の開口や開眼に使われたナイフと聞いて、外科手術でメスが使われる場面を即座に想像し、恐怖で震えていたもので(笑)。儀式では、この魚の尻尾の形のナイフ〔ペシュ=ケシュ・ナイフ〕の他にも手斧なども使われましたが、もちろん血が滴るようなことは行われず、単にそれらをミイラや彫像に提示したり、それらでミイラの目や口に触れたり――きっと優しく撫でる感じでしょう……そうであって欲しいです!!――していたようです。

最後にナイフの両脇に置かれた清めと塗布の容器をよく見てみますと、あらあら不思議。容器は、単に容器の形をしているだけで、水や香膏を入れる穴がほとんどありません! この画像のような、上部にごく浅いくぼみがあるだけです。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

これは、これらの道具が開口の儀式の象徴的役割を果たしているにすぎなかったからです。実際には別途用意された水差しや香炉やカップ等で、清めや香油等の塗布がなされたと考えられています。このミニチュアサイズの開口の儀式セットと形状が酷似したものは、ニューヨークのメトロポリタン美術館(古王国時代第5-6王朝のもの)やロンドンの大英博物館(第6王朝のもの)にも所蔵されています。ですので、当館所蔵の作品との比較なども今後行っていきたいと思っています。

さて、当館の《開口の儀式セット》は、スイスで暮らしたイギリス人で、著名なエジプト美術コレクターのアルトン・エドワード・ミルズ氏(1882-1970)の旧蔵品です。彼は20代のときに木綿会社の仕事をきっかけにエジプトに移住して以来、エジプト学に魅せられ、エジプト美術の一大コレクションを築いた人物でした。

当館の庭いっぱいに桜が咲き誇り、自然の旺盛な生命力を実感できるこの季節、ぜひ香水瓶展示室にて、命の再生への願いを香りに込めた古代エジプト人に思いを馳せて頂けたら幸いです。

岡村嘉子(特任学芸員)

うみもり香水瓶コレクション 24 イギリスの巡礼用水筒型セント・ボトル

 こんにちは。現在、海の見える杜美術館の企画展示室では、「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」と題した、旅をテーマとする前近代から近代にかけての日本絵画の展覧会を開催しています。

 この展覧会にちなんで、香水瓶展示室では、旅に関する香水瓶を数点ご紹介しています。例えば、こちらの17世紀イギリスの銀製のセント・ボトルです👇

《セント・ボトル》イギリス、1660-70 年頃、銀、海の見える杜美術館 SCENT BOTTLE, England, C.1660-70 , silver, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 皆様は、この器形をご覧になられて何をご連想なさるでしょうか? 一見したところでは、今が旬の洋ナシのようですね。たしかに洋ナシ型は、17世紀、18世紀に数多く使われた器形でもあります。ですが、より厳密にいうと、本作品の器形は、巡礼者が聖地へ赴く際に携えた水筒という、比較的珍しい形をしています。そして、この形と図柄の調和こそが、本作品の価値を高める重要な要素なのです。ですので、この機会に詳しくご紹介いたします!

 瓶を覆う唐草模様にしばし目を凝らしていると、思いがけないところから、二つの像が浮かび上がってまいります。ひとつは、ギリシャ神話の風神の主、アイオロスです。こちらの部分ですね。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 風を自在に操るこの神は、ここでも目を見開き、頬を膨らませて、お得意の風を力強く吹かせているのがわかります。なにしろアイオロスは、西風のゼピュロスや北風のボレアース等の風の神々の頂点に君臨する風神の主です。アイオロスをして吹き飛ばせないものなどありません。

 そしてもうひとつの像は、このアイオロスに比べると、打って変わってほんわか、のほほ~んとした印象なのですが……👇。宗教画などに登場する愛らしい小さな天使です。アンディ・ウォーホルが商業デザイナー時代に描いた気ままな天使たちを彷彿させる線描ですね。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 

 唐草模様の間に、あまり目立たない形で刻まれたこの2つの像には、どのような意味が込められているのでしょうか。それには、時代背景が深く関係していると先行研究において指摘されています。

 この香水瓶の制作時期と重なる1665年のイギリスでは、ロンドンで腺ペストが猛威をふるっていました。いわゆる「ロンドンの大疫病」の名で知られる、イギリス最後の腺ペストの流行です。それは住民の2割以上の死者を出し、一時は多くの王侯貴族や市民たちがロンドンから避難するほどの規模でした。

 この疫病流行に際し1665年のロンドンに流布した広告は、香りの歴史からすると、とても興味深いものです。というのもそこでは、腺ペストから身を守る方法として、芳香酢の蒸気やローズ水やその他の香料の噴出が推奨されているのです。実際に、この広告以外の資料においても、感染拡大の結果として、大量の芳香酢で体をマッサージしたり、室内に漂わせたり、街路に撒かれたりしたことがわかっています。

 以前、フランスの例として、18世紀のガラス製携帯用香水瓶においても見ましたが、当時のヨーロッパでは、迫りくるペストの瘴気から身を守るために、香料がいかに必要とされていたかがわかりますね。

 以上のような時代背景を踏まえて、本作品を再度見てみますと、アイオロスの姿には、勢いのある神聖な風で瘴気を遠ざけたいとの願いがうかがえます。また葉叢に戯れる無邪気な天使の姿は、香りに満ちた自然が人間にもたらす恩恵を謳うかのようではないでしょうか。そして、巡礼時の水筒を模した器形には、ペストが様々に変異しながら周期的に流行するイギリスから、遠く離れた聖地への思いが込められているように思えるのです。

 感染症流行下に、かつて誰かが胸に描いた、追憶の、もしくは想像上の巡礼の旅。コロナ前に本作品を見ていたときには真に感知しえなかったその切実さを、今になって感じています。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima I学芸員撮影。

 本作品は、現在の展示ケースの中で、同時代のドイツやオランダのポマンダーやヴェネツィアのラッティモ・ガラスの香水瓶、フランスのルイ14世の弟のオルレアン公フィリップ1世お抱えのガラスの名匠、ベルナール・ペロ作の人面をかたどった香水瓶という海杜コレクションきっての傑作とともに公開されています。ぜひ17世紀のヨーロッパ各国が誇った高い技術と、地方色豊かなデザインや素材をお楽しみくださいませ。

岡村嘉子(特任学芸員)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

企画展示室情報:芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー

[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)

[休館日]月曜日(ただし9月18日(祝)、10月9日(祝)は開館)、9月19日(火)、10月10日(火)

[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料

*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。

[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料

*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。

[主催]海の見える杜美術館

[後援]広島県教育委員会、廿日市市教育委員会

第20回香水散歩 パリ装飾美術館 エルザ・スキャパレリ展

スキャパレリ展へと導く階段。岡村嘉子撮影、2022年。

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。今回は久々に海を越えた香水散歩をいたしました。日本からパリへの夜間飛行は、ロシア上空を避けてタジキスタンあたりを通過していくと思いきや、飛行中にふと目覚めて現在地を確認すると、なんとグリーンランド上空。思いもよらぬ東回りの航路の果てに辿り着いた約1年ぶりのパリで、真っ先に足を運んだのは、パリ装飾美術館でのエルザ・スキャパレリ(1890-1973)の大回顧展「ショッキング! エルザ・スキャパレリの超現実主義世界」です。

一時はシャネルと人気を二分した、ファッション・デザイナーのスキャパレリは、香水においても画期的な作品を生み出しました。その代表作の多くが海杜にも所蔵されているため、既にブログで度々ご紹介してまいりましたが、それでもなお、再びスキャパレリをテーマに取り上げなくてはならないほどに、パリ装飾美術館での展覧会は素晴らしいものでした。

この展覧会では、彼女を象徴する色のショッキング・ピンクのように、遊び心に溢れ、エネルギッシュで大胆な彼女のデザインが、所狭しと展示されていました。その数、約520点! それには服はもちろんのこと、小物類やデザイン画、室内装飾、香水瓶と彼女の偉業を語るには欠かせない作品が詰まっています。しかも、ドレスひとつをとっても、小さなボタンにまで、彼女の革新的精神が込められているので、大変見応えのある展覧会だったのです。

 展覧会は8つのテーマで構成されていましたが、今回はそのうち、特に印象深かった3つのテーマについて取り上げたいと思います。

 ひとつ目は、コレクションのデザイン画をテーマにした展示です。床から天井までの壁だけでは足らずに、床にまでびっしりと埋め尽くされた、デザイン画の複製展示です。こちらです👇

目を凝らしていくと、複製の中に、オリジナルのデザイン画も含まれていまので、宝探しのような気分を味わえるのですが、この展示で最も忘れがたい展示は、何よりもこちらの手袋の展示です!!☟

スリラー映画よろしく、壁から手袋を着けた腕がニョキニョキ、ぬうっ、だらーんっと突き出ているのです。しかも画像の通り、手先の動きがやけに表情豊かです。

横から見ると、このような感じです☟

さらに、展示されている手袋も、スキャパレリのデザインを特徴づける、奇抜さ満載!「ガオー!!」👇

かつて手袋は香りを沁み込まして使用されていたので、香水史において手袋は重要な存在です(それについては、このブログ〔第7回香水散歩〕でも以前、ご紹介しましたね!)。そのようなわけで、これまでにも数々の手袋の展示を各地で私は見て参りましたが、今回のような、つい顔が綻びてしまうほど、面白い展示は初めてです!

紳士からの視線を意識して、か弱いふりをしたり、はたまた取り澄ましたりするだけの女性ではもはやない、狂乱の時代1920年代を経験した新たな時代のおおらかでユーモア溢れる女性像が、小物においても表現されているのですね。スキャパレリの主な顧客であった上流階級の女性たちが率先して、優雅さの質を変えていったことがよく伝わる展示でした。

 印象に残る2番目のテーマは、「綺羅星のごとく居並ぶ前衛芸術家たち」です。展示室全体で、最も広い空間を占めていたのがこのテーマでした。例えば、うみもり香水瓶コレクションで取り上げた《太陽王》〔うみもり香水瓶コレクション21〕をデザインした、サルヴァドール・ダリにあてられた大きな展示室は、共同制作の服飾やオブジェだけでなく、写真をはじめ二人の深い信頼関係を伝える数多くの資料が展示されていて、見応えがありました。《太陽王》とはこちらの左の画像ですね👇

左:スキャパレリ社《太陽王》1946年頃透明クリスタル、金、エナメル デザイン:サルヴァドール・ダリ 製造:バカラ社、海の見える杜美術館蔵。SCHIAPARELLI, LE ROY SOLEIL – 1946, Design by Salvator DALI, Made by Baccarat ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

右:スキャパレリ社 、香水瓶《ショッキング》デザイン:レオノール・フィニおよびピエール・カマン、1937年、透明ガラス、彩色ガラス、海の見える杜美術館SCHIAPARELLI, SHOCKING FLACON Design by Leonor FINI and Pierre CAMIN  -1937, Transparent glass , color glass, Umi-Mori Art Museum, Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima

他にも上の右の画像の香水瓶《ショッキング》〔うみもり香水瓶コレクション13〕をデザインしたレオノール・フィニによる絵画や、ジャン・コクトーのデッサンを転写した上着や、彫刻家アルベルト・ジャコメッティによるデザインのボタンが使用されたシックなツーピース等、スキャパレリとのコラボの事実が既によく知られている芸術家から、さほど知られていない芸術家まで、様々な顔ぶれが登場するので、歩を進める度に胸が躍らずにはいられませんでした。さすが20年ぶりの大回顧展だけあって、前回の展覧会では紹介されていなかった新たな事実が、数多く提示されています!

印象深い3つ目のテーマである「パリ・ヴァンドーム広場のブティック」も、同時代の芸術家たちに関します。1935年にオープンしたヴァンドーム広場のブティックの内装の再現展示では、ジャン=ミシェル・フランクやジャコメッティ、ラウル・デュフィなど多くの芸術家の仕事を見出すことができました。

ところでジャン=ミシェル・フランク(1895-1941)は、アール・デコ期に高級素材を用いたシンプルな家具を制作し、上流階級の間で人気を博しながら、20世紀前半を生きたユダヤ人ゆえに(彼はあのアンネ・フランクのいとこに当たります)時代に翻弄され、活動期間が短く終わってしまったため、同時代の他のデザイナーに比べると、あいにくいまだ知名度に劣るかもしれません。しかし彼の名は、ジャコメッティ研究(ちなみに私の修論のテーマはジャコメッティでした)のなかでは、度々登場する名でもあります。二人の接点は、ジャコメッティがシュルレアリスム・グループから離れて、戦後のいわゆるジャコメッティ・スタイルを生み出すための独自の探究をしている期間に生じました。ジャコメッティは生活のために、家具デザイナーだった弟ディエゴとともにフランクに協力して、室内装飾のデザイン・制作を手掛けていたのです。今回のスキャパレリ展では、まさにジャコメッティの探究期間の仕事を見る貴重な機会であったことも、真っ先にこの展覧会へ足を運んだ理由のひとつでした。

この展覧会では、フランクがブティックの地階に設けた、「鳥かご」ならぬ巨大な「香水かご」も再現されていました。

当時、金彩された竹と金属でできた「香水かご」のなかに収められたのは、香水と化粧品。記録写真によると、香水かごの片側は、広場に面した大きな窓の側に設けられているので、ショウ・ウィンドウの機能も備えていたことがわかります。再現展示では残念なことに、かごの上部が省略されていますが、実際は、鳥かごを模して、吊り下げ用の把手がついていたので、当時はさらに魅力的であったと想像されます。

香水かごを背後にして据えられた展示台の上には、ドーム型のケースに入った色とりどりの香水瓶がずらりと陳列されています。とくにこの展示台の周囲は、来館者が途切れることはありませんでした👇

それはきっと一つ一つの香水瓶の形の楽しさが、人を惹きつけるからでしょう。なにしろスキャパレリの香水瓶といえば、このようなデザインが目白押しなのですから。👇

左:スキャパレリ社《スリーピング》1938年透明クリスタル、赤色クリスタル、金 デザイン:フェルナン・ゲリ=コラ 製造:バカラ社、海の見える杜美術館蔵。SCHIAPARELLI, SLEEPING– 1938, Design by Fernand GUERY- COLAS, Made by Baccarat ©Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 
右:スキャパレリ社《スポーツ》1952年、緑色ガラス、金、エナメル  製造:サン=ゴバン・デジョンケール社、海の見える杜美術館蔵。SCHIAPARELLI, SPORT – 1952, Made by Saint-Gobain Desjonquère © Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 

 スキャパレリ以後の香水瓶の変遷を見ても、スキャパレリほどの奇抜なアイデアに溢れ、それと一体化した機知に富む香水名を持ち、それでいながら高級素材によって上質さや優雅さを保っている香水瓶は、なかなか見当たりません。そのような意味で、スキャパレリ自身が、香水史において燦然と輝く大きな星の一つであったことを、この展覧会で改めて認識させられます。彼女の活動拠点であったパリならではの充実した回顧展を見て、香水散歩の楽しさを再確認いたしました。

岡村嘉子

うみもり香水瓶コレクション15 ランバン社《モリス広告塔》

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。現在、海の見える杜美術館の香水瓶展示室では、企画展示室で開催中の、明治・大正・昭和時代のちらしを紹介する「引札-新年を寿ぐ吉祥のちらし―」展に合わせて、フランスの広告塔をかたどったランバン社《モリス広告塔》を展示しています。

「モリス広告塔」という名だけでは、いかなるものか想像しづらいものですが、画像を見れば一目瞭然、パリの街角でおなじみの、あの広告塔のことです!

こちらです👇

画像1

ランバン社、香水瓶《モリス広告塔》デザイン:ギョーム・ジレ、1950年頃(?)、陶器、紙、 海の見える杜美術館LANVIN, COLONNE MORRIS FLACON Design by Guillaume Gillet -C.1950? Earthenware,Paper, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

この「モリス広告塔」は、1868年に登場して以来、パリのあちらこちらの街頭に普及した、ポスターを掲示するための特別な円柱です。コンサートや演劇等の催しを道行く人に知らせるこの広告塔は、今日に至るまでパリジャンに愛され、この都市を象徴するオブジェのひとつとなっています。また異国から訪問する私のような者でも、パリの空港から市内に入り目的地へと着くまでのあいだ、車の窓からいくつもの広告塔を見るとはなしに見ていると、活気ある愛しのパリに再びやってきたのだという実感が次第にこみ上げてくるものです。モリス広告塔は、文化イベントの最新情報を提供する以上に、唯一無二のパリのエッセンスそのものを見る者に伝えてくれるのかもしれません。

ただ、あまりに町のあちこちにありすぎて、ついありがたみが薄れてしまい(モリス広告塔よ、ごめんなさい!)広告塔だけを撮影したことはないのですが、この度、実際の様子をお伝えしようと、過去の画像データから写真を探していると、偶然小さく写り込んだものを見つけました!こちらです👇

画像2岡村嘉子撮影、2009年

見つけるのは名作絵本『ウォーリーをさがせ!』並みに難易度が高いですが、おわかりになりましたか? 地下鉄入り口の美しい欄干とモザイクを撮影していたので、右奥にモリス広告塔があったとは我ながら気付かなかったのですが、奥へと延びる狭い通りの入り口右側に、しっかりとあるではないですか! 広告塔の拡大写真と、ランバン社の香水瓶を並べてみると……、

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

その類似がよくわかりますね!

ランバン社の本作品は、終戦後まもなくファッションデザイナー、ジャンヌ・ランバンによって発表されました。柱の表面には、「アルページュ」や「マイ・シン(私の罪)」など、2021年7月のブログでも取り上げた、戦前の明るい時代を彩った、ランバン社歴代の香水のポスターが貼られています。ジャンヌ・ランバン母子が描かれたランバン社のマークのポスターも中央にありますね。

ポスターの雨除けの役目を果たす上部のはりだし部分には、香水瓶に収められた男性用香水「オー・ド・ランバン」の文字が刻まれています。この香水もまた、1933年からあるものですが、香水瓶のデザインをパリの街角の象徴に一新することで、ユーモアに満ち活気あふれる戦後のパリを広く印象づけることとなったのです。

さて、この大胆なデザインの改変を行ったのは、後年、フランスの近代建築を代表する建築家として名を馳せたギョーム・ジレです。

私は、香水瓶をデザインするまでのジレの人生を思うと、この香水瓶が放つ、平穏で明るいパリの雰囲気にことのほか圧倒されます。というのも、そこにはパリからも親しい人々からも、そしてそれらが放つ香りからも遠く離れた地で、捕虜として過ごした暗い年月のなか、再会を強く夢見たものが投影されているように思えるからです。

ジレは、パリ近郊、フォンテーヌ=シャアリのジャックマール=アンドレ美術館の学芸員の父と、アカデミー・フランセーズ会員を代々輩出した家系出身の母のもと、常に芸術が身近にある家庭環境のなかで育ちました。そのため、長じた彼が芸術の道へ進んだのは当然のことであったでしょう。彼は国立エコール・デ・ボザールで絵画を学び、その一方で1937年、国家試験合格の建築家となると、同年に開催されたパリ万国博覧会でブラジルとウルグアイをはじめとするパヴィリオンの建設に参加します。このように若き芸術家として順風満帆に歩み始めるのですが、時代は刻一刻と避けがたい戦争の影が色濃くなっていく頃のこと。活躍の矢先の1939年に彼は動員され、翌1940年にはナンシーで捕らえられて、ドイツ軍の捕虜となってしまうのです。こうして1945年に解放されるまでの約5年間、彼はドイツで捕虜生活を送りました。

ジレは収容所での日々の中、画家・装飾家として自分の出来得る限りのことをしています。例えば、現在も収容所のあった地に残る、学生時代からの友人ルネ・クーロンとともに手掛けた、いわゆる「フランス人の礼拝堂」です。それは、収容所の質素な屋根裏の壁に「キリストの受難」や「ピエタ」等のキリスト教主題のフレスコ画を描いたものでした。同礼拝堂の壁には、クーロンによるフランスの聖人たちが描かれたフランスの地図もありました。明るい色合いで描かれた天使や聖人が見守るこのささやかな祈りの空間が、どれほど多くの捕虜たちの心を慰め、また故郷への思いを募らせたことでしょう。

そのような苦難の日々を経て、ようやく戻ったパリおよび、次いで滞在したローマにて、ジレはかつての日常を取り戻し、解放後の自由を謳歌します。

そのなかで、彼はジャンヌ・ランバンの娘であるポリニャック伯爵夫人と親しくなり、戦後のランバン社の香水の広告をいくつも手掛けています。そのいずれもがこの香水瓶同様、明るく楽しい雰囲気に満ちているのです。例えばこちらです👇

画像4

ランバン社 広告《ランバンの香水》デザイン:ギョーム・ジレ、1950年、印刷、 海の見える杜美術館 LANVIN, ADVERTISEMENT Design by Guillaume Gillet -C.1950 Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

ランバン社の戦前のアール・デコ・デザインを知る者としては、香水名すら正面に明記されていない、1925年を代表する黒と金のシンプルかつ優美な球形香水瓶からの、サーカスの愉快な面々が体現する香水へのデザインの変化に驚きつつも、その大胆なユーモアについ笑みが浮かんでしまいます。なんといっても、名香「アルページュ」の名は、陽気なお猿さんが手にする日傘の柄として描かれていますし、これまた一時代を築いた「マイ・シン(私の罪)」は、なんとヒョウ柄パンツ姿にスキンヘッドのいかついレスラーの胸板に直接記されているのです!

左:ランバン社《球形香水瓶、マイ・シン(私の罪)》 デザイン:アルマン・ラトー(本体)ポール・イリーブ(イラスト部分)1925年、黒色ガラス、金、海の見える杜美術館LANVIN, BOULE FLACON, Design by Armand Rateau, Paul Iribe -1925, Black glass, gold、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima右:ランバン社 広告《ランバンの香水》部分、 LANVIN, ADVERTISEMENT  ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

戦争の苦難の年月の反動のように、そこかしこで笑みが生まれるこの雰囲気こそ、ジレに限らず彼と同時代の多くの人々の様々な思いや願いを代弁するものではないでしょうか。1950年前後のランバン社の香水瓶と広告は、心身に多くの傷を負いながらも、平穏な世界を目指して前へ進もうとする無数の人々の存在を克明に伝えてくれるものであると私には思えるのです。

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

画像7

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

「アルページュ」の日傘を持つお猿さんの顔にも笑みが!

 

うみもり香水瓶コレクション13 スキャパレリ社《ショッキング》

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。金木犀が香り、すっかり秋らしくなってまいりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

現在、海の見える杜美術館では企画展「美人画ラプソディ・アンコール―妖しく・愛しく・美しく―」が行われています。明治以降の日本の画家たちが表現した様々な女性美を紹介する展覧会です。会場の出品作品は4つのテーマに分けられていますが、そのうちの一つ「第3章 女の装い プラス・マイナス」では、下の画像のような女性が身繕いをしている姿やそれを解いた姿をとらえた作品が展示されています。岡本神草が描いた女性のこの表情は全体の優しい色合いと黒髪に引き立てられて、はっとする美しさですね。

岡本神草《梳髪の女》後期

岡本神草《梳髪の女》大正15年(1926年)頃、©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ※『美人画ラプソディ・アンコール』展の展示期間後期(10月5日~)出品作品

そこで今回は、「女の装い プラス・マイナス番外編 フランス」として、ヨーロッパの香水瓶において同テーマに該当する作品をご紹介したいと思います。

まず一つ目は、服飾デザイナーのエルザ・スキャパレリが1937年に発表した《ショッキング》です。こちらです👇

画像1

スキャパレリ社 、香水瓶《ショッキング》デザイン:レオノール・フィニおよびピエール・カマン、1937年、透明ガラス、彩色ガラス、海の見える杜美術館SCHIAPARELLI, SHOCKING FLACON Design by Leonor FINI and Pierre CAMIN  -1937, Transparent glass , color glass, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

美人画展に合わせたと申しながら、いきなり顔のない人体を登場させて驚かせてしまいますが、どうかお許しください! 目の覚めるように鮮やかなピンク「ショッキング・ピンク」の生みの親であり、「モード界のシュルレアリスト」「奇想天外志願者」とも称されたスキャパレリの香水瓶ですので、一筋縄ではいかないことをご諒承くださいませ。

しかし、顔のない人体とはいえ、肩にはなにやら可愛らしいお花もたくさんついていますし、決して不気味な印象は受けませんよね!? よく見ると、首には巻き尺が掛けられ、首の上には金色のヘッドキャップがついています。そう、こちらは洋装の仕立て用ボディ(トルソー、裁縫用マネキンともいいます)をかたどった香水瓶なのです。肩のお花は、お遊びのように添えられた装飾ですね。言葉通り、エレガントに華を添えています。

この香水瓶は、瓶本体だけでは完結しません。瓶に加えて、あたかも貴重品のように、ガラスのドームで覆う仕様になっています。ドームの縁には、花嫁が頂く伝統的な冠のレース模様が施されています。

画像2

それらを収めるケースも、まるでダイヤのブレスレットあたりが入っていそうなジュエリー・ケースを思わせるデザインです。もちろんこちらにも繊細なレース模様が転写されています。

この香水瓶のデザインを完成させたのは、シュルレアリスムの影響を受けた女性画家レオノール・フィニとガラス工芸作家のピエール・カマンです。夜の闇の中に浮かぶような、フィニの幻想的な絵画に比べると意外なほど、明るく華やいで開放的な印象を受けますが、それはデザインの注文主であるスキャパレリ自身の最初の構想を尊重したものであるからでしょう。

ジュエリーのような高級感とユーモアに満ちたこの香水瓶に入れられたのは、常識を打ち破る香水を誕生させたいというスキャパレリの希望通りに調合された、奇抜かつセンシュアルな独特な香り。当然のことながら、発表当時から、多くの人々をあっと驚かせ、斬新な香りに魅せられる人々が続出し、大成功をおさめました。

さて、ときには顧客を奪いあうほどに、同時代に活躍したシャネルとは長年のライバル関係にあったエルザ・スキャパレリですが、前者が男性的で直線的なシルエットによってミニマリズムを追求したことに対し、後者のスキャパレリは女性的な曲線を多用し、装飾を積極的に用いたという大きな違いがあります。

また、スキャパレリの特徴として特筆すべきなのは、同時代の芸術家たち、とりわけダダイストやシュルレアリストといった前衛芸術家たちと親しく交わり、しばしば彼らとコラボレーションをしながら、ドレスや靴や帽子が、そのまま芸術作品となるようなファッションを提案したことです。つまり、彼女はファッションに芸術を持ち込んだのです。

それは、リンチェイ・アカデミー図書館長を務める東洋学者の父を筆頭に、著名な天文学者やエジプト学者を輩出した学者一族と、ルネサンスの大パトロンであるメディチ家の末裔を母にして、現在はローマの国立古典絵画館となっているコルシーニ宮で生を受けたときから既に運命づけられていたのかもしれません。彼女の家庭環境は、第一級の学問と芸術が常に身近なところにあり、日々の装いとはそれらと分かちがたく結ばれていたのでしょう。

しかも1890年生まれの彼女が青年時代を迎える1900年代から1920年代にかけては、欧米各地で、前衛芸術が生まれた時期に当たります。スキャパレリは、イタリアを出て、結婚、出産、離婚を経験しながら、イギリス、ニューヨーク、パリで暮らすなかで、各地の最新のファッションと芸術家たちと知り合っていきました。なかでもサルヴァドール・ダリとは、その型破りな独創性を持つ個性同士で、気が合ったのでしょう。1935年にパリのヴァンドーム広場に新たなブティックに開店させた年に、同広場に面したホテル・ムーリスに住むダリと知り合うと、彼の絵画やデッサンを基にしたドレスや帽子を次々と作り、長きにわたって協力関係を築きました。例えば、逆さまにしたハイヒールの形の帽子や、前身ごろに引き出し型のポケットを多数つけて、チェストに見立てたジャケットなど、現在も語り草となるような、かつて誰も見たことのなかったデザインを生み出しています。

ところで、マドンナが監督をした映画『ウォリスとエドワード』においても、エドワード8世と結婚しウィンザー公爵夫人となるウォリス・シンプソンが、会食にてスキャパレリのドレスを話題にする場面がありましたが、スキャパレリのドレスは、洗練された上流階級の女性たちの間で人気を博し、とりわけ社交の折には欠かせないものとなっていました。それらに加えてマレーネ・ディートリッヒ、グレタ・ガルボ、アルレッティといった名だたる女優たちも、スクリーンの中だけでなく日常着として、スキャパレリの服を纏ったため、映画が全盛の時代において、無数の女性たちの憧れとなっていったのです。

実は、香水瓶《ショッキング》の仕立て用ボディも、スキャパレリの顧客であったアメリカの女優、メイ・ウェストの体型を再現したものと言われています。なんでも、ドレスの寸法のために来店する時間を惜しんだメイ・ウェストが、正確な寸法のボディを送ってよこしたものを模したとのこと。道理で、香水瓶のシルエットがグラマラスなはずですね!

それにしても、この仕立て用ボディからは、これから一体どのようなドレスが生まれるのでしょう? 本作品を見ていると、女性が新たな一着に出合うときの、期待に胸を膨らませた華やいだ気持ちまでも伝わってきます。

女性の美を最も輝かせるのは、ひょっとしたら流行のファッションそのものではなく、このような、一歩先の未来を夢見る、無邪気で明るい心なのかもしれませんね。スキャパレリの遊び心に満ちた香水瓶がもたらす心の作用をひしひしと感じつつ、今一度「美人画ラプソディ・アンコール」の展示作品とじっくりと見比べたいと思います。

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

うみもり香水瓶コレクション12 ルネ・ラリック《アンフィトリート》とラリック社《オンディーヌ》

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。現在、海の見える杜美術館で開催中の企画展「アート魚ッチング 描かれた海の仲間たち」では、様々な水中動物を描いた、江戸時代から昭和時代までの絵画や版画を展示しています。

それに関連して香水瓶展示室でも、従来の常設展示に加え、夏期限定にて海の仲間たちをかたどった香水瓶2作品を、8月22日まで展示しています。

ひとつめは、1920年にルネ・ラリックがデザインした貝殻の形をした香水瓶《アンフィトリート》です。

画像1

ルネ・ラリック、香水瓶《アンフィトリート》デザイン:ルネ・ラリック、1920年、透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館RENE LALIQUE, AMPHYTRITE FLACON, Design by René Lalique -1920, Transparent glass , brown patina, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

本作品の貝殻は、写実的な表現ではなく、全体を正円に近い形とし、細部も簡略化しているのがわかります。この形に、1920年というアール・デコ・デザインが興隆した時代が色濃く反映されていますね。

栓には、アムピトリーテーという、ギリシャ神話の海神ポセイドンの妃である海の女神の姿がかたどられています。彼女は、ラファエロがローマのファルネーゼ宮に描いた、かの有名な美しき《ガラテイア》の姉妹です。香水瓶名の「アンフィトリート」とは、アムピトリーテーのフランス語名です。

ところで彼女の姿勢は、一体何をしているところなのでしょう? 片膝をつき、その上にひじをついています。あまり見かけることのない姿勢ですね。その疑問を解くカギが、本作品の6年前にルネ・ラリックがデザインをした、よく似た形の香水瓶《ル・シュクセ》(今期は展示していません)から探ることができます。こちらです。画像2

ルネ・ラリック、ドルセー社香水瓶《ル・シュクセ》デザイン:ルネ・ラリック、1914年、透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館RENE LALIQUE, D’ORSAY, FLACON LE SUCCES, Design by René Lalique -1914, Transparent glass , brown patina, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

いかがでしょう? 《アンフィトリート》に、酷似していると思われませんか? 2つの作品を並べてみると、全体のサイズがほぼ同じであり、高さにいたっては9.5㎝で一致していることがわかります。

画像3

両作品はともに貝殻を模した円形の香水瓶ですが、右の《ル・シュクセ》では貝殻の表面の渦巻に沿って、真珠のフリーズがあしらわれている一方、左の《アンフィトリート》ではそれが取り払われ、よりシンプルになっています。

そして、問題のアムピトリーテーの不可解な姿勢ですが、右《ル・シュクセ》は、膝を抱えてうずくまった姿勢であることに対し、左の《アンフィトリート》は、そこから、いざ立ち上がろうとしている姿勢であると、先行研究では考えられているのです。

アムピトリーテーが描かれる際には、海の仲間たちから讃えられる勝利の姿が、ニコラ・プッサンを始め多くの画家の筆により繰り返し表現されてまいりましたが、本作品では眠りから覚めて、新たな世界へと踏み出そうとする姿となっているために、より人間らしさ(女神とはいえ、「あの」ギリシャの神様ですから!)や親しみを感じられるものとなっています。

さて、二つ目の作品は、ゲルマン神話の四大精霊のひとつ、水の精であるオンディーヌ(ドイツ語名 ウンディーネ)をテーマにした香水瓶です。

画像4

ラリック社、香水瓶《オンディーヌ》デザイン:ラリック・フランス社、1998年、透明クリスタル、限定エディション、海の見える杜美術館LALIQUE, ONDINE FLACON, Design by Lalique France -1998, Transparent crystal, Limited edition, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

オンディーヌは、本来は性別のない存在でしたが、19世紀初頭のドイツのロマン主義の作家フーケの小説によって、美しき乙女の姿の精霊として描かれて以来、広く親しまれることとなりました。フーケのオンディーヌ像は、多くの芸術家にインスピレーションを与え、この美しき精霊を主題とした音楽や演劇、美術や文学が、世界各地で次々と生み出されます。なかでもチャイコフスキーのオペラや、ラヴェルやドビュッシーのピアノ曲はよく知られていますので、すぐにその旋律が浮かぶ方も少なくないのではないでしょうか。

画像5

本作品では、オンディーヌの切なげな表情としなやかな肢体、そして手足のひれが、いくつもの真珠を重ねたような髪と水しぶきと一体化しています。それゆえに、水中の一瞬の動きが美しく情感の溢れるものとして表現されていますね。私はこの作品を見ると、その幻想的な雰囲気にはっと息をのんで、夏の暑さを瞬時に忘れてしまいます。

古来、日本人は夏の暑さを忘れるために、秋の草花や幽霊画(!)等、様々な図像を好んで見てまいりましたが、今夏は、宮島のさわやかな海風を感じつつ、西洋の水辺の神々をかたどった、ラリックの涼し気なガラス作品で涼を味わいたいと思います。

 

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

うみもり香水瓶コレクション7 蔵出しポマンダー

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。前回は、17世紀前半のドイツの《ポマンダー》をご紹介いたしましたが、当館は他にも多くのポマンダーを所蔵しています。

クリスマスのデコレーションにも使われる、オレンジにグローヴ等を刺した植物のポマンダーもそうであるように、香水瓶のポマンダーといえば、球形が広く知られていますね。たしかにポマンダーが使われ始めた当初は球形が主流でしたが、時代が下るにつれて、様々な形が登場しました。この機会にその多様性をお目に掛けたく、海杜蔵出しコレクションとして、今回は、とりわけちょっと面白い形のポマンダーをいくつかご紹介いたします!

1 洋ナシ型ポマンダー

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

《ポマンダー》 ドイツ、アウグスブルグ、1700-1720年頃、銀、銀に金メッキ、七宝、海の見える杜美術館所蔵 Pomander, Germany, C.1700-1720, Silver, gilt silver, enamel, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

まず一つ目は、洋ナシ型ポマンダーです。前回ご紹介した同国のポマンダーと同様、香料が収められた内部には、まぶしいほどの金色が塗られています。

こちらです👇

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

開いてわかる、この光! 疫病が流行するなかにあって、人間の健康を守る役割を担った香料の容器としては、十分な心理的効果(もう、見ただけで効きそう!)を与えてくれるように思います。

よく見ると、掌に収まる7センチ弱の洋ナシ型ポマンダーの両脇には、さらに小さな二つの洋ナシがぶら下がっています。これらは単なる装飾ではなく、本体同様、開閉可能で、小さなスポンジを収納するためのものであったと考えられています。

2 振り香炉型ポマンダー

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

《ポマンダー》 ドイツ、アウグスブルグ、1700-1720年頃、銀、銀に金メッキ、七宝、海の見える杜美術館所蔵 Pomander, Germany, C.1700-1720, Silver, gilt silver, enamel, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

さて、お次にご紹介するのは、振り香炉型です。キリスト教の聖堂での礼拝時に、祈りが天まで届くよう願って振られる香炉の形状は、疫病を遠ざけるために持ち歩かれるポマンダーに相応しい形ともいえますね。

表面の美しい編み目は、ヤナギの素材感を銀で表現したものです。17世紀と18世紀のドイツでは、このようなヤナギの籠編みを模した装飾が好まれました。この細工から、バスケット型とも命名したくもなります。しかも本作品は、ふっくらとした編み目はもちろん、鎖をつなぐ留め具部分にもヤナギの枝が精緻に表現されているため、当時の銀細工職人の技術の高さがうかがえます。

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

本体の蓋部分を取り外すと、画像のように、円盤状の中蓋がさらに付いているのがわかります。二重の蓋でしっかり閉じられた中には、液体香料が入れられていました。実はこのことからも、ポマンダーが持つ歴史の一端を知ることができるのです。というのも、ポマンダーにおさめられる香料は、当初は固形、しかもアンバーグリスやムスクなどの気化しない香料でしたが、その後、香料を密閉できる容器が作られるようになったため揮発性の香料になり、やがては、液体まで入れられるようになったからです。つまり、容器の形状とその中身から、制作された時代がある程度わかるのですね。

台座部分も取り外せる仕組みになっており、何らかの小物――やはりスポンジでしょうか――をおさめることができます。

3 ひょうたんとバロック真珠の間型ポマンダー

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

《ポマンダー》 オランダ、1690年頃、銀、七宝、海の見える杜美術館所蔵 Pomander, Netherlands, C.1690, Silver, enamel,Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

ドイツのポマンダーが続きましたので、最後はオランダのポマンダーを。この形を表現するのに、適当な語が見つからないのですが、あえていえば、くびれのないひょうたんと、制作当時の時代である「バロック」という名称の由来となった、歪んだ真珠を合わせたような形と言えるでしょうか。

本作品でご注目頂きたいのは、形よりもむしろ、表面に大きく描かれたチューリップの図柄です。

16世紀後半に、オスマン帝国からヨーロッパにもたらされたチューリップは、たちまちヨーロッパ各地の王侯貴族の富の象徴となりました(前回のドイツのポマンダーも、チューリップが彫られていましたね!)。その高まる人気に応えようと、チューリップ栽培に適した広大な砂地を有するオランダは、球根栽培や品種改良に励みます。17世紀には、チューリップが国の主要な輸出品のひとつにまでなりました。現在でもオランダといえば、風車とチューリップが真っ先に思い浮かびますが、それは17世紀以来、人々に共有され続けたイメージだったのですね。

さて、当時のオランダといえば、鎖国中の日本とすら貿易を行う、世界一の海運国家、しかも主権が市民にある共和国でした。市民が比較的裕福な暮らしをしていたため、小口投資家も数多くいたのですが、彼らが財を投じたのが、なんとこのチューリップ。それは実物の取引ではなく、あくまでも書類上の先物取引の対象でした。なかでも最も高値が付けられたのが、はなびらに縦縞のような斑が入る「ブレイク」と呼ばれる品種です。そう、まさに、このポマンダーに描かれたチューリップなのです。

不動産バブル等、行き過ぎた投機は、やがて悲劇的な終わりを迎えるのが世の常とも言えますが、チューリップもやはり1637年に突然、暴落します。しかしながら、それらの世情とは無関係にして、チューリップという春を告げる可憐な花を愛好する者たちの心は変わらなかったことを、チューリップ・バブル崩壊の約50年後に制作された、このポマンダーは教えてくれます。

最後に、ポマンダー内部もぜひご覧ください☟

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

ポマンダーを開けると、七宝のつやつやとした鮮やかなブルーが目に飛び込んでまいります。それは、チューリップの故郷オスマン・トルコの文物や、オランダ東インド会社が活躍した数々の海を彷彿とさせ、当時のオランダに暮らす人々の航海や遠い国々へのひとかたならぬ思いをも伝えてくれるものなのです。

岡村嘉子(クリザンテーム)

うみもり香水瓶コレクション5
18世紀と20世紀のハトの口づけ香水瓶

こんにちは。クリザンテームこと、特任学芸員の岡村嘉子です。窓越しから眺める庭の木々の葉がすっかり舞い落ちると、これまで清らかな声はすれども姿は見えずといった、葉かげの鳥たちがその姿を現わすようになります。光射し込む冬の済んだ空気の中を、枝から枝へと自由に飛び回る彼らを見るのが、パソコンに向かって疲れた目を休めるのに格好のひとときとなっています。

そこで、今月のうみもり香水瓶コレクションは、数多存在する鳥の中でも、人間の暮らしにとって常に身近にあったハトをかたどった香水瓶を取り上げたいと思います。

西洋の香水瓶でハトが題材となる場合、ある決まった型がよく用いられます。それは、二羽のハトが仲睦まじく嘴(くちばし)を寄せ合う「ハトの口づけ」です。とてもロマンティックなモチーフですが、時代を追っていくつもの香水瓶を見てまいりますと、それぞれがときの価値観を反映して、表現が異なっているのがわかります。今回はその代表的な例として貴族社会が繁栄していた18世紀中葉の作品と、第二次世界大戦を経験した直後の20世紀中葉の作品をご紹介したいと思います。

まず、18世紀のこちらの香水瓶から。👇

画像1

《双口セント・ボトル》 イギリス、セント・ジェイムズ、1755年頃、軟質磁器、金、海の見える杜美術館所蔵 DOUBLE SCENT BOTTLE, England- SAINT JAMES, C.1755, Soft paste porcelain, gold, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

18世紀の装飾芸術において、愛は重要なテーマのひとつでした。本作品の中央に配された二羽のハトを囲む咲き誇るバラの花は、言わずと知れた愛を象徴する花。その馥郁たる香りが漂うなか、二羽は口づけを交わしています。二羽の側に配された香水瓶の蓋部分には、愛の結晶たる三羽の雛鳥もいます。そのうちの二羽は親鳥を真似て口づけをしているのがほほえましいところ。ハトは古今東西の様々な象徴となってまいりましたが、ここではとりわけギリシャ神話に由来する子孫繁栄や豊穣の象徴として親しまれていたことを思い出させてくれます。

そして、香水瓶の表面に施された色鮮やかな薔薇色や緑のグラデーションが、二羽の親ハトが生み出す明るく甘美な世界を、一層印象深いものとしています。この繊細な色調は、イギリスの軟質磁器ならではのもの。幾世紀ものあいだ、はるか遠い中国や日本の伊万里から輸入しないかぎり入手できなかった貴重な磁器が、開発の末にようやくヨーロッパの地でも製造が可能となったのは、18世紀初頭のことでした。以後、ヨーロッパ各地で、磁器製造が盛んとなりますが、イギリスはドイツ、フランスに遅れて18世紀半ばにその製造に成功しました。したがって本作品は、イギリス磁器の黎明期(れいめいき)を語る貴重な作品のひとつともなっています。

次にご紹介するのは、こちらの香水瓶です。👇

画像2

ニナ・リッチ社 香水瓶《2羽のハト》 デザイン:マルク・ラリック、1951年、透明クリスタル、海の見える杜美術館所蔵 COLOMBES FLACON, Nina Ricci, L’AIR DU TEMPS 1948, Designs by Marc LALIQUE – 1951, Transparent crystal, Umi-Mori Art Museum, Hirosima

ニナ・リッチ社を代表する香水「レール・デュ・タン」は、1951年にその装いを新たにした香水瓶を発表しました。新デザインを担当したのは、ガラス工芸家ルネ・ラリックの息子、マルク・ラリック。彼はそこで18世紀に流行した「ハトの口づけ」のモチーフを再解釈します。18世紀に花咲ける園で愛を確かめ睦び合っていた二羽のハトは、20世紀中葉には、翼を広げてともに世界の空へと羽ばたいていくことになったのです。

透明クリスタルの煌きが、どこまでも澄み渡る大空や大気、そして二羽のハトの心を物語るかのようです。第二次世界大戦を経て、傷ついた心を抱えながら、それでも新たな世界への希望を持ち続けようとする祈りにも似た時代の空気をここに感じるのは私だけでしょうか。この香水瓶を眺めていると、白いハトがキリスト教美術では、常に純潔や聖霊、平和の象徴であったことや、日本においては神の使いとして神聖視されていたこと等が思い出され、師走を迎えつい慌ただしくなりがちなこの季節に、清らかなものに触れてほっと一息、心が解き放たれる気がするのです。

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

 

 

 

第14回 香水散歩 パリ グラン・パレ
トゥールーズ=ロートレック展

編集IMG_4238

こんにちは、特任学芸員のクリザンテームこと岡村嘉子です。

明けましておめでとうございます。皆様、穏やかな御年始をお過ごしでしょうか。

本年の香水散歩の第一回目となる今回も、パリの最新情報をお届けいたします!

クリザンテームは先日、年金改革に伴う大規模ストライキによる交通機関の閉鎖に見舞われながらも、心待ちにしていた「アンリ・ドゥ・トゥールーズ=ロートレック展」を見にグラン・パレへ行ってまいりました。

IMG_4101編集

なにしろパリ市内は、東京の山手線内より少し大きい程度の面積ですので、たとえ地下鉄やバスが止まっても、いくつかの主要な美術館は歩いて回ることも可能です。とはいえ真冬のグラン・パレ周辺の散策は油断が禁物。ご覧の画像の通り、セーヌ川沿いにある施設ですから、川を渡る風のおかげで、それはそれは寒さが体に堪えるのです……(涙)!  ですので、ベレー帽をしっかりと被り、コートの下の防寒対策も万全にして、美術館へと向かいました。

ところで、なぜゆえ数ある展覧会の中から、トゥールーズ=ロートレック展なのでしょう? それはトゥールーズ=ロートレックの作品が、香りの歴史の転換期の様子を鮮明に伝えてくれるからなのです。

彼の生きた19世紀には、古代に始まる人間の香りの歴史において、従来の状況を一変させる、とても大きな出来事が起こりました。それは合成香料の発明です。

合成香料の誕生以前の香料は、限られた土地の特定の時期に、ごくわずかな量しか採取できないものでした。しかもその質は、気象状況等によって常に変化しました。ところが合成香料が発明されるやいなや、はるか遠方へ出かける必要もなく、化学の実験室で、一年中いつでも、天然の香りに似た香りをいくらでも作り出せるようになったのです。このような一大発見に加えて、手作業から機械生産へと製造工程の急速な近代化により増産が可能となり、19世紀の香水産業はかつてないほど興隆するようになっていくのです。

もちろん、合成香料が即座に人々に受け入れられたわけではありません。香りを必需品としたような当時の上流階級のレディたちは、代々伝わる「よき趣味」に反することはいたしません。あくまでも奥ゆかしさが尊ばれていたため、彼女たちは控えめであっさりとした天然の花の香りを好んだのです。

そのようなこともあり、実際に合成香料が多くの香水に調合されるようになるのは、発明からしばし時を経た1880年代のこと。それはまさにトゥールーズ=ロートレックがパリで活躍し始める時代なのです。

天然から人工へ―――当時の香料の変化と歩を同じくするように、絵画にも変化が訪れました。外光派や印象派が描いた自然光の注ぐ昼の世界から、オペラ座やダンス・ホールなど人工照明の下の夜の世界がトゥールーズ=ロートレックやドガらによって数多く描かれるようになるのです。

まさに近代の申し子のようなトゥールーズ=ロートレックの代表作が一堂に会するという、なんと27年ぶりとなる大回顧展ですから、交通機関の不便さがあっても、あきらめるわけにはいかなかったのです。

IMG_4244編集

では早速、展覧会を見てまいりましょう。

会場に入ると、シュザンヌ・ヴァラドン等、トゥールーズ=ロートレックの恋人兼モデルや、歌手イヴェット・ギルベール、当時の文学界、パリの歓楽など、全225点の傑作が、彼の画業を知るための12のテーマごとに展示されています。

IMG_4264

友人に風景画の制作をすすめられても、トゥールーズ=ロートレックは、人間こそ描かなくてはならない主題であると主張したといわれています。こうして彼は、36年という短くも充実した生涯を通じて人物像を描き続けたのです。

その人物像は、アカデミスムの絵画のような聖書や神話に基づく人物ではなく、彼と同時代を生きた都市生活における人間たちの活気ある姿でした。ですから展示室を巡っていると、まるで19世紀末のパリにタイムスリップした気分になるのです(展示構成も、当時の映像や、音源などを流し、その気分に浸らしてくれる工夫が随所になされています!)

彼の作品の登場人物たちのなかでも、私にとってとりわけ印象深かったのが、同じ時代を生きたあらゆる階層の女性たちの姿でした。つまり、控えめな香りを手袋や扇にしたためるような「よき趣味」を身に着けた女性たちも、大胆な香りを肌に直接付けるような、いわゆる「よき趣味」を知らぬ女性たちも、あえて「よき趣味」を無視して自由を求めた女性たちの姿も、彼の筆は克明に描き出しているのです。

例えば、こちらです。IMG_4255

パリの片隅で絵画モデルや洗濯女をしながら自活する女性たちが描かれています。

いずれの作品にも、女性が日常生活の中で見せる何気ない姿が表現されていますが、構図の斬新さもさることながら、自らの人生を懸命に生きる女性へのトゥールーズ=ロートレックの愛情ある眼差しがそこにあるように思えて、いつまでも作品を見ていたい気持ちになりました。

しかも不思議なことにその眼差しは、娼婦たちを描いた作品にも、母親である伯爵夫人を描いた作品にも、当時の前衛芸術家のサロンの女主人を描いた作品にも共通して感じられたのです。

トゥールーズ=ロートレックは、南フランスの約1000年の伝統を持つ伯爵家の長男でありながら、パリの大歓楽街モンマルトルに居を据えて、娼婦たちや女優たちと親しく交わりました。陽気で機知に富み、気前が良くて紳士的な振る舞いをする彼は、何処へ行っても人気者であったといわれています。それらの友愛に満ちた交友体験が彼を、あらゆる階層の女性たちを分け隔てなく身近な存在として描ける稀有な画家へとしたのかもしれませんね。

トゥールーズ=ロートレックの絵画からは、自然の花々の香りも、人工的に作られたムスクやヴァニラなどの強い香りも、また洗濯石鹸の香りも漂ってくるようで、真冬の昼下がり、展覧会会場で香水散歩を存分に楽しみました。

 

岡村嘉子 (クリザンテーム)

 

♢ 今月の香水瓶 ♢

サーカスを愛したトゥールーズ=ロートレックと同時代のフランスでつくられた香水瓶です。アルルカン

《香水瓶》フランス、1900年頃、水晶、ダイヤモンド、ルビー、エメラルド、サファイヤ、銀、七宝、海の見える杜美術館所蔵

第13回 香水散歩 パリ16区
国立ギメ東洋美術館

IMG_2663ブログ

こんにちは、特任学芸員のクリザンテームです。

この秋の初めにパリで行われた、いくつかの興味深い展覧会のなかから、今回は世界屈指の東洋美術館として知られるパリの国立ギメ東洋美術館での東海道展を取り上げたいと思います。

ポスター

パリにいながら、わざわざ日本関連の展覧会? と訝られる方もあることでしょう。しかし、明治初期に廃仏毀釈が行われた日本では、明治維新以前の日本の名品が海外に残されていることが少なくありません。例えば、ギメ美術館には奈良・法隆寺の金堂にあった勢至菩薩像が所蔵されていますが、その日本コレクションの基礎となったのも、明治9年に宗教調査のために来日した実業家エミール・ギメが、日本滞在中に購入し、フランスに持ち帰ったものでした。

そのギメ美術館で、今年没後100年を迎えたフランスの医師・作家・中国学者のヴィクトル・セガレンが旧蔵した東海道に関する錦絵の画帳が公開されると聞き、早速足を運びました。なんでもその画帳がこのほどギメ美術館所蔵となったので、そのお披露目展とのことです。

20世紀初頭、セガレンは10年余り中国に滞在し、医療活動とともに、現地に取材した文学作品を執筆しました。したがって、中国に精通した人物として知られていますが、日本文化を愛する側面はほとんど知られていなかったため、日本関連の旧蔵品がいかなるものかと興味が湧きました。

では早速、企画展示室へと向かいましょう。

IMG_2672ブログ

こちらは新古典主義様式で建てられた美術館の端正な円形エントランスホール。列柱の間にある企画展の幟(最近はバナーと呼ぶらしいですね!)に展覧会への期待が高まります!

展示室に入ると、目に飛び込んでくるのは、東海道を中心とした大きな地図。IMG_2676

傍らの解説文には、江戸時代において東海道が、幕府のおかれた江戸と天皇のすまいである京都を結ぶ海沿いの街道であったことや、全部で5つある街道のなかでも最も重要な大動脈であったことなどが、わかりやすく紹介されています。皆、ご熱心に読んでいらっしゃいますね。

展示作品は、セガレン旧蔵品のほかに、歌川広重の代表作《東海道五十三次》や↓IMG_2707ブログ

 

江戸後期から明治にかけて活躍した絵師、歌川貞秀の4巻からなる鳥瞰図による東海道五十三次も出品されています↓。

IMG_2679blog

さてさて、東海道のいわば“スタンダード”をしっかり押さえたところで、ではお目当ての新所蔵品であるセガレン旧蔵の東海道に関する作品を見てまいりましょう。

展示室の大きな壁に沿うように広げられた、全166枚の錦絵による東海道五十三次の情景。目を凝らしてみると、なんとそれは通称《御上洛東海道》として知られる《東海道名所風景》ではないですか! それはつまり幕末の1863年2月、開国の意を天皇に言上するために、十四代将軍徳川家茂が行列を引き連れて上洛する様子を錦絵で描いた作品です。東海道五十三次のほとんどすべての風景の中に、将軍の行列が描き込まれているのはそのためです。

IMG_2681

ちなみに将軍が上洛するのは、三代将軍徳川家光以来229年ぶりのことであり、これは歴史的な出来事であったのです。そこで多数の絵師たちが協力して、その様子をあたかもルポルタージュのように描き出しました。

もちろん、名所絵としての面白味もふんだんにあります。ですから順を追っていくと、各地の様子に、すっかり旅心が刺激されてしまうのです。

なんといっても、将軍一行の行く先々での活気がなんとも魅力的! 歴史を左右する大事な使命を持った旅が中心主題であるにもかかわらず、描かれている人物たち――やんごとなき人々も、また市井の人々も皆――の表情が概しておおらかで楽し気なのです。

『東海道 浪花享保山』《東海道名所風景》1863年、国立ギメ東洋美術館蔵

『東海道 浪花享保山』《東海道名所風景》1863年、国立ギメ東洋美術館蔵

さらに、歌川広重、歌川国定、月岡芳年、河鍋暁斎等、名だたる15名もの絵師が手分けして名所を担当しているので、一枚ごとに対象のとらえ方や表現方法が異なり、その多様性が見る者を飽きさせません。

セガレンも日本の海沿いの旅路を空想しながら、ひとつの物語を編むかのように錦絵を見ていたのかもしれませんね。この画帳を彼がいつどこで入手したのか正確には判明していません。しかしジャポニスムがヨーロッパを席巻した時代の貴重な証左のひとつであるといえるでしょう。

さて、ギメ美術館を訪れたら常設展示室も見逃すわけにはいきません。ガンダーラ美術、シルクロード美術、中国美術、韓国美術、インド美術等、様々な東洋美術を満喫することができます。なかでも今回、クリザンテームが真っ先に向かったのは、日本美術コレクション室です。

IMG_2710blog

というのも、そこには江戸後期の香道のお道具が展示されていたからです。

作者不詳《源氏香之図》江戸後期(1603-1868)国立ギメ東洋美術館蔵

作者不詳《源氏香之図》江戸後期(1603-1868)国立ギメ東洋美術館蔵

香道には、天然香木の香りを聞いて〔動詞は嗅ぐの代わりに聞くを使います〕鑑賞する聞香と、その香りが何かを当てる遊びの組香がありますが、展示作品《源氏香之図》は組香の種類の一つである源氏香において、香元が焚いた香りを客が答える際に参照する、いわば香りの名称早見表です。源氏香で用いられる香りには、源氏物語を構成する52の巻名〔桐壺と夢浮橋の2巻は除かれています〕が付されているので、香りの名称として巻名を紙にしたためるのです。

心を静めて繊細な香りを感じ取り、その名称を当てる雅な遊び……考えてみれば前回ご紹介したパリ香水大博物館の香り当てっこゲーム椅子も、発想は同じことですね!

覚えていらっしゃいますか? こちらです↓

香水

時代が異なるとはいえ、同じ発想の遊びにおける日本とフランスの文化の違いをひしひしと感じさせますね。

 

この《源氏香之図》がギメ美術館のコレクションに加えられたのは、今から100年以上も前のことです。日本から遠く離れた地で、日本の香りの文化にまなざしを向けていた存在があったかと思うと、ことさら嬉しくなるのは私だけでしょうか。

 

クリザンテーム(岡村嘉子)

 

◇ 今月の香水瓶 ◇

PGU084

ゲラン社、香水瓶《トルチュ》1904年、透明クリスタル、海の見える杜美術館蔵

国立ギメ東洋美術館に《源氏香之図》が所蔵された頃にフランスでつくられた香水瓶。《トルチュ》とは、フランス語の亀の意味。亀の形をしていることに気づくと、妙に可愛らしく見えてくるから不思議です!

このなかには、今日もなおファンの多い香水「シャンゼリゼ」がおさめられています。クリザンテームの世代にとってこの香水は、香水のイメージキャラクターをつとめたソフィー・マルソーと結びついています。懐かしい!