「二十四孝図ーふしぎで過激な親孝行」展、後期展示のみどころ

二十四孝図展、後期展示開催中です。

二十四孝図展では、室町時代から桃山時代にかけての狩野派によって描かれた大画面の二十四孝図の優品をご覧いただけます。今回のブログでは、その中でも後期(4/8~5/6)より展示している福岡市博物館所蔵の狩野永徳《二十四孝図屏風》をご紹介したいと思います。

狩野永徳《二十四孝図屏風》六曲一双より右隻 室町時代 福岡市博物館蔵 展示期間4/8~5/6
狩野永徳《二十四孝図屏風》六曲一双より左隻 室町時代 福岡市博物館蔵 展示期間4/8~5/6

狩野派の4代目当主・狩野永徳(かのうえいとく、1543~90)による《二十四孝図屏風》六曲一双には、水墨技法によって描かれた連続する山水空間の中に、二十四孝の孝子たちが一扇ごとにそれぞれ配され、12の場面が表されています。

画面の上部にはそれぞれの孝子について詠まれた漢詩が色紙型に書き付けられ、貼られています。これらの漢詩は、当時二十四孝を日本で解釈し取り入れていく上で中心的存在であった、禅宗の高僧によるものです。これらの漢詩をまとめた詩文集から、本作はもともと二双の屏風で、24場面描かれていたと考えられています。

狩野派は室町時代に始まる絵師の一大流派で、足利将軍家や時の権力者、有力貴族や寺社からの依頼を受け、屏風絵や襖絵などの大画面から、絵巻物や扇面画などの小画面まで多くの作品を工房制作によって手がけました。狩野派は江戸時代以降も続き、徳川将軍家や大名の御用も務めています。

永徳は20代半ばから父・松栄(しょうえい、1519~92)とともに狩野派を(ひき)いて多くの画事を務めました。特に織田(おだ)信長(のぶなが)豊臣(とよとみ)(ひで)(よし)に仕え、安土(あづち)(じょう)大坂城(おおさかじょう)(じゅ)楽第などに桃山時代の主要な障壁画を次々と手掛け、天下人好みの豪壮華麗な作品を制作したことで知られています。

本作は画面上部の漢詩が詠まれた時期や永徳の画風の比較などから、永徳が20代半ば頃の作と考えられています。それはちょうど、狩野派内の大きな仕事を任され始めた頃と考えられます。樹木の枝や岩の表現や、水しぶきを上げる川の勢いを表した力強い筆遣いはエネルギッシュで、そこには永徳個人の若々しさもまた表れていると言えるでしょう。

狩野永徳《二十四孝図屏風》六曲一双のうち右隻部分     室町時代 福岡市博物館蔵 展示期間4/8~5/6
狩野永徳《二十四孝図屏風》六曲一双のうち左隻部分    
室町時代 福岡市博物館蔵 展示期間4/8~5/6

水墨表現ならではの、スピード感あふれる筆遣いと墨の濃淡による表現の妙を味わっていただきたい作品です。同じく水墨技法による、洛東遺芳館所蔵の父・松栄による《二十四孝図屏風》(後期は左隻のみ展示)と画風の違いを比較してご覧いただくと、よりお楽しみいただけると思います。この機会に是非ご覧ください。

二十四孝図展の開催期間中、JR阿品駅から当館への無料のシャトルバスを運行しています。お気軽にご利用ください。

中島紀子

うみもり香水瓶コレクション 30  ランバン社「金色のアルページュ」

こんにちは。現在、海の見える杜美術館では、「二十四孝図―ふしぎで過激な親孝行」展が開催されています。「二十四孝図」と聞くと、落語好きの方は古典の「二十四孝」が、歌舞伎や文楽ファンの方は八重垣姫の登場する「本朝廿四考」(香りが効果的に使われる演目でもあります)で語られる中国の故事が思い浮かぶかもしません。

【参考画像】:もったいなくて使いきれずにいる、拙宅の八重垣姫の切手シート。

既に日本の大衆文化において長く親しまれている「二十四孝」ですが、元来、中国をはじめ東アジアの儒教世界において重視された孝養を説く「孝子(こうし)説話」のなかから選ばれた24の物語のことを指します。本展はこの「二十四孝」が描かれた「二十四孝図」を題材とする狩野派を中心とした作品を一堂に会したものです。日本の二十四孝図の受容の実態と受容の在り方に着目した初めての展覧会とあって、開催前から各方面において話題となっていた展覧会でもあります。

そもそも「孝子説話」の孝子とは、親に考を尽くした人を指す中国の言葉です。したがって今回の展示作品にも、孝行息子、孝行娘の孝行ぶりが様々に描かれています。ただ、ひとことで「様々」とは言っても、その孝行ぶりたるや、想像をはるかに上回る、いわば予想の斜め上を行ってしまっているものばかり。副題「ふしぎで過激な親孝行」やコピー「孝行か、奇行か。」が表す通り、冬に生魚を食べたがる母のために、裸で凍った川に寝そべり氷を溶かして魚を捕まえるとか、貧しさから蚊帳が持てない親の安眠のために、裸になって代わりに蚊に刺されまくる等々、ときに体を張った相当エキセントリックな行動が盛りだくさんです。そのため、香水瓶展示室として関連作品を選定するのに苦慮いたしました。その結果、「二十四孝図」の孝行は、東アジア圏独特の表現としてひとまず脇におき、より広く「親子の表現」としてとらえることにいたしました。こうして選んだのが、冒頭の画像の作品です。以前、このブログでも一度取り上げましたランバン社の豪華版の香水瓶です。

本作の前面には、香水瓶の歴史上、最も有名な親子であるファッション・デザイナーのジャンヌ・ランバンとその娘が描かれています。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima

おりしも本年2025年は、ランバン社《球形香水瓶》が登場して100周年に当たります。前回のブログでは、ちょうど100年前の1925年に発表されたフランスのアール・デコの代表作として、そのデザインを中心にご紹介しました。今回はランバン親子の関係を物語る、本作に収められた香水について取り上げたいと思います。

あまり知られていないことですが、この《球形香水瓶》には、ひとつの香水のみが収められたわけではありません。ランバン社は1925年に製作された「マイ・シン」をはじめ、複数の香水をこの香水瓶に詰めました。この点が同じ時期の香水瓶であっても、香りと香水瓶のイメージが一体化したシャネル社の「No.5」やゲラン社の「シャリマー」と異なるところです。もちろん、《球形香水瓶》より以前にはメゾン共通の香水瓶デザインを採用する方が多かったので、その点において本作がとりたてて珍しいわけではありません。ただし共通デザインの場合には、表面に香水名が記されたラベルが付されます。しかしながら、シンプルさを極めたこの作品には、下の画像の通り、それが一切ないのです。ぜひそれを今回の出品作でもある「黒い球(ブールノワール)」と呼ばれる伝説的な黒いボトルにてご覧くださいませ。👇

この非常に洗練されたデザインは、実に学芸員泣かせです。表面から中身が判別しにくいデザインで、しかもそれが海杜コレクションのように複数ある場合は、展示や画像を扱う際や作品データの表記に細心の注意を払います。

では一体どこで中身を見分けるかといいますと、香水瓶の底に貼られた小さなラベルです。そこに香水名がこれまた小さく記されています。このことを美術館ではなく日常生活におきかえて考えてみると、私はあることが少々気にかかります。というのも、香水を纏う人はたいてい、複数の香水をシーンによって使い分けるもの。もしドレッサーにこの香水瓶をいくつか並べていたら(しかも私のように老眼が少々進んでいたら!)、一度くらいはうっかり中身を間違えてしまいそうです。

さて、様々な香水が詰められた《球形香水瓶》ですが、なかでも最も名高い香水は、1927年に発表された「アルページュ」でしょう。五大名香のひとつとして、時代を越えて愛されている香水です。この香水はもともと、香水瓶前面にイラストレーターのポール・イリーブが描いたランバンの娘マルグリット(後年マリー=ブランシュに改名)のために作られた香水でした。

ランバンにとってマルグリットは、つねに創造力の源泉たるミューズであり、同時に幸運の女神であり続けたといえます。帽子デザイナーであったランバンが高級婦人服の世界へと躍進したきっかけは、幼い娘のために作った、見事な仕立ての子供服でした。彼女が作る服は、まずマルグリットの友達の母親の間で評判となります。それが高級婦人服の注文へと繋がり、次第に顧客の幅を広げていきました。その様子がよくわかるのが、今回、香水瓶とともに展示をしているこちらのリトグラフです。👇

こちらは、当時の高級ファッション雑誌『ガゼット・デュ・ボン・トン』に掲載されたランバンのイヴニング・ドレスの一ページです。女性の美しさを引き立たせるエレガントでシックなドレスを纏ったマダムの横には、夜会の間に留守番をしていた愛らしい少女の姿が描かれています。ランバンは、こうして親子それぞれの年齢に相応しい、おしゃれで上質な服を提案していたのです。さらに彼女は紳士服も手掛けました。ランバンの躍進は目覚ましく、小説『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者エドモン・ロスタンや、ポール・ヴァレリー、ポール・クローデルらアカデミー会員の礼服も彼女が手掛けていたほど。その成功ぶりは、《球形香水瓶》を発表した1925年の時点で、8つのアトリエを持ち、800人以上の従業員を雇い、新作発表の際には300人のモデルを出演させたことにも表れています。その規模は、シャネルを凌ぐものであったといわれています。

そして1927年にランバンは、30歳を迎える娘のために香水を作ります。ランバン社は1923年から香水製造に着手し、有能な調香師を雇い、既に10点以上の香水を発表し、ヒット作も生み出していました。けれども、娘の記念の香水となると、その思い入れの強さが全く異なるものでした。彼女は調香師のポール・ヴァシェとランバン専属調香師アンドレ・フレイスの二人に、どれほど費用がかかろうとも、極上の香水を創り出してほしいと依頼します。こうしてフレイスは62種類もの最高品質の原料を用いて、「アルページュ」を誕生させました。

その香りの構成は、複雑かつ完璧なものでした。最初に知覚されるトップノートにネロリ、ベルガモット、そして1921年にシャネル社「No.5」で調香師エルネスト・ボーが大胆にも初めて大量に使った合成香料のアルデヒド、続いてミドル・ノートにローズ、イリス、ジャスミン、イランイラン、コリアンダー、クローヴ、ゼラニウム、スズラン、チュベローズ、最後のラスト・ノートはウッディで、ヴァニラ、スティラックス、パチュリ、ベチバー、サンダルウッドというように、ひとつの調和のなかに、肌の上で多種多様な芳香が立ち昇ってくるよう計算されています。このように様々な香料が調和し響きあう様を、音楽家として成長したマリー=ブランシュことマルグリットは、音楽用語アルペジオ(フランス語はアルページュ)に例えました。アルペジオは、和音を分散して連続的に演奏する方法のこと。それは例えば、モーリス・ラヴェルのピアノ曲「水の戯れ」における繊細で澄んだ水の動きを表現する際に使われている、あの弾き方です。

それにしても、言い得て妙とはまさにこのことです。まだ名付けられていない未知なる香りの複雑な構成を、アルペジオに例えたマルグリットの感性に感嘆するばかりです。彼女が例えた通りに香水名「アルページュ」がすぐさま決定したのにも頷けます。

その後1946年にジャンヌが79歳で世を去ると、マルグリットがランバン社の経営を引き継ぎました。戦後の彼女のランバン社への貢献を考えるときに思い浮かぶのは、以前このブログで取り上げた《モリス広告塔》(今回は展示しておりません)です。👇

パリの街頭にある、ポスターを掲示するための広告塔をかたどった香水瓶です。この香水瓶をデザインした建築家のギョーム・ジレは、戦時中、ドイツ軍の捕虜として過ごしました。その後無事に帰還し、自由を謳歌するなか、ポリニャック伯爵夫人となったマリー=ブランシュことマルグリットと親交します。それが縁となって、彼はランバン社のために広告をはじめとする数々の作品を制作しました。マルグリットは、ジレを採用することで、戦前のシンプルかつ優美なランバン社のイメージに、陽気さや解放感を加え、苦難の年月を乗り越え迎えた新時代に相応しいイメージを作り出すことに成功したのです。

香水瓶の《モリス広告塔》に貼られたポスターをよく見ると、《球形香水瓶》の前面を飾ったランバン親子のあのシルエットがあるのがわかります。この手を取り合う情愛あふれる親子の姿は、ランバン社の精神を表す商標としても今日まで長く親しまれています。今回の展示では、「アルページュ」のオーデコロンが詰められた透明ガラスの《球形香水瓶》も出品しています。「二十四考図」展と合わせて、香水瓶展示室にもぜひお運びくださいませ。

岡村嘉子(特任学芸員)

春の特別展「二十四孝図―ふしぎで過激な親孝行」を開催中です

杜の遊歩道のソメイヨシノも咲き誇り、まさに春本番です。

海の見える杜美術館では、春の特別展「二十四孝図―ふしぎで過激な親孝行」を開催中です。

ここでは展覧会の見どころを章ごとにご紹介いたします。

中国では親に孝養を尽くした人々の説話は数多く編まれ、古くから絵画化もされてきました。そうした数ある孝子たちの説話の中から24のエピソードが選ばれてまとめられたのが「二十四孝」です。

本展覧会は二十四孝をテーマにし、室町時代から桃山時代の狩野派の作品を中心にご覧いただきます。

第一部では二十四孝に選ばれた孝子たちを、一図ずつ24面に描いた狩野玉楽《二十四孝図扇面》や24枚揃の歌川国芳《唐土廿四孝》などとともにご紹介します。

孝子たちの親孝行の中には、氷の上に寝そべって親の好物の魚を捕ろうとしたり、親が蚊に刺されないように自分は裸になって蚊に刺され放題になったりといった、とても真似できないような過激な親孝行のお話が多く、驚かれるかもしれません。

氷の上に寝そべって魚を捕ろうとする王祥
狩野玉楽《二十四孝図扇面》より王祥 室町時代
歌川国芳《唐土廿四孝》より黄香、庾黔婁、蔡順  嘉永6年(1853) 海の見える杜美術館蔵

続く第二部では、狩野派による二十四孝図屏風の優品を中心にご覧いただきます。

24のエピソードを描いた押絵貼形式のものや水墨技法によるもの、そして金地に鮮やかな岩絵具で描かれた金碧障壁画のものまで、二十四孝図の大画面作品を一挙にご覧いただけるまたとない機会です。

室町から桃山時代を代表する狩野派の画技をぜひお楽しみください。

狩野派《二十四孝図屏風》六曲一双のうち右隻  桃山時代 大阪歴史博物館蔵

二十四孝図展の開催期間中、JR阿品駅から当館への無料のシャトルバスを運行しています。お気軽にご利用ください。

中島紀子