和名はシチヘンゲ(七変化)。
中心から外へと色を変えながら開く花々が、花火のようにみえました。
6~10月ごろ、夏の長いあいだ咲き続けます。
花言葉は「合意、協力、確かな計画性」だとか、
竹内栖鳳展に向けての打合せ中、花言葉の話題でちょっとだけ盛り上がりました。
もりひこ
重い雲に閉ざされた空の下、壁のようにそそり立つ荒波の上を、一羽の鶴が烈風にひるまず翼をひろげて飛んでいます。
画面左下部には、大きく隆起する海面が垣間見せる深い青、わずかな陽光に透かされて輝く波の緑、そして波に巻き上げられる海砂を表す金を、うねる動きそのままにダイナミックな筆遣いで描き、そこに真っ白な絵具を散らして、そのもっとも印象的な瞬間を劇的にとどめています。一方、画面右半部に目を向けると、中央から放射線状に広がる波頂が崩れ落ちながら、この絵と対峙する鑑賞者の眼前へと迫り、まるでアニメーション映画が1コマずつそのすがたを変えていくような躍動感に満ちあふれています。部分的には意味を持たない色とかたちが、全体を通して見ると、ひとつの画面の中に静と動がせめぎ合い、またたく間にその姿を変える荒海を表現するのに欠くことのできない要素へと変貌しています。
このような、抽象的ともいえる細部描写を圧倒的なリアリズムへと昇華させる表現は、対象の本質をつかむため、飽くことなく観察し続けた者しか達成し得ない境地ではないでしょうか。栖鳳はことあるごとに観察を繰り返したはずです。
この作品を制作した13年ほど後の話ですが、竹内栖鳳が荒波を観察したときの逸話が残されています。
「(1931(昭和6)年ごろの)冬、沼津の海岸に四五日滞在していると、急に大しけが始まって、海岸はごうごうと怒涛が巻き崩れた。すると先生(栖鳳)はその怒涛を見るという。見ると言ったって、老人には無理な芸当で、念のため筆者(栖鳳の長男竹内逸)は海岸へ出てみたが、風は強く、寒さは激しく、砂は散り、しぶきが飛ぶ。だがどうしても父は海岸へ出るという。仕方ないから、父の体にドテラを着せ、頭から耳へずぼりと帽子をかぶせ、眼には水中眼鏡をかけ、口と鼻とは日本手拭で巻き、さらに合羽をどっさり買ってきて、頭から腰のあたりまで包み、それを両腕もろとも帯やひもでからめ上げてしまった。まあ案山子かミイラのような姿で、それを筆者と女中との二人で海岸へ押し出していった。だが困ったことには、あまりの強風で、老人は後ろへ倒れそうになる。そこで二人は支柱のように後ろから肩と腰とを押している。そうなればむしろ老人は平気だが、二人は防寒も防水も防砂もやっていない。しかもそれが10分か15分なら我慢するが、30分以上もじっと逆巻く怒涛を見ている・・・」
(竹内逸「湯河原対話」『栖鳳閑話』所収、改造社、1936年、頁63〜64。転載にあたり文字を適宜あらためました。( )はブログ執筆者による注記です。)
「風濤(ふうとう)」は、11月1日から開催の『生誕150年記念 竹内栖鳳』展に出品いたします。
さち
青木隆幸
「生誕150年記念 竹内栖鳳」特設ページはこちら
ご近所にあるギャラリースペース、アートギャラリーミヤウチで開催されている「喋る、響く、植物の声。‐The Voice of Plant-」展に行きました!こちらで企画される展示がいつも素敵で、たびたびお邪魔しています。
今回は「いい顔してる植物」というコンセプトに独自の美しさを提案する植物屋「叢 – Qusamura」のサボテンを多数展示していらっしゃいます。本来22日までの予定だったのが、好評につき一週間延長で29日まで開催とのことです。
展示室には多種多様のサボテンがたくさん並べられていて、白い壁の部屋の中にオアシスがあるみたいですごく癒されました。また、光る箱(暗い室内でも光合成させることができるそうです)の中に入れてのサボテンの展示が神秘的でした。
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5月ごろから芝生や草地に群生して目を楽しませてくれたニワゼキショウ。

そろそろ花の時季も終わりそうです。
小指の先ほどの大きさの花の横で、さきに咲いた花がほんの小さな実に姿を変えていました。

もりひこ