「歌仙をえがく—歌・神・人の物語—」展 浮世絵と歌仙

「歌仙をえがく」展も会期を残すところ1週間ほどとなりました。

王朝の雅を伝える存在として和歌とともにしばしば絵に描かれてきた歌仙たち。その存在は、江戸時代も中期以降になると、絵入り版本の流通とともに庶民の教養としても浸透していきます。また歌仙や彼らの詠んだ和歌は浮世絵の主題ともなり、しばしば「見立て」の手法で、当世の美人や役者にそのイメージが投影されていきます。

今回の展覧会では、三代歌川豊国(国貞)による《見立三十六歌撰之内》を36枚まとめてご覧いただけます。展覧会後半の見所です。
この作品は、役者見立絵です。歌仙の名とその和歌が色紙形の中に書かれ、劇中の登場人物の名が役者の似顔絵に添えられます。登場人物と、歌意や歌のモチーフ、あるいはそれを詠んだ歌仙の境遇などの間に連想されることを読み解き、描かれている人物が登場するのはどの演目か、さらに、似顔からどの役者であるのかを当てることが、この作品を見る際の楽しみ方だったようです。

凡河内躬恒

歌川国貞(三代豊国)《見立三十六歌撰之内》「凡河内躬恒」嘉永5年(1852) 海の見える杜美術館

謎解きはなかなか難しく、よほどの歌舞伎通で、かつ和歌や歌仙に明るくなければできなさそう。会場には柿本人麻呂などほんの数人分ですが、謎解きの解説のパネルをつけました。江戸の芝居愛好者の教養をぜひ追体験してみてください。浮世絵自体も力強く、見応えがあります。

 

YouTubeに画像をゆっくりご覧頂ける動画にしてアップしました。ぜひお楽しみください。

https://www.youtube.com/channel/UCyOWfAm66u_WefHCAvhlPkA

 

谷川ゆき

「歌仙をえがく—歌・神・人の物語—」展がはじまりました

9月5日から「歌仙をえがく」展が始まりました。

「歌仙(かせん)」とはいささか耳慣れない言葉でしょうか。古来宮廷文化を支えた和歌は、そもそもは単なる文芸ではなく、神仏と人のコミュニケーションを司る神聖な役割をそなえたことばでした。そのような和歌に長けた歌人達は歌仙とよばれ、尊敬を集め、時に信仰の対象となりました。歌仙たちは平安の雅を伝える存在として、和歌とともにしばしば絵に描かれ、その肖像は「歌仙絵」と呼ばれます。

この展覧会では、海の見える杜美術館の所蔵品のなかから江戸時代の作例を中心に、絵に描かれた歌仙たちの姿をご紹介します。

今回、展覧会のポスターやチラシには、土佐光起が描いた《三十六歌仙画帖》をデザインしました。土佐光起(1617〜91)は、宮廷絵所預として活躍した江戸時代のやまと絵を代表する絵師のひとり。王朝の雅を伝える歌仙を描くにふさわしい絵師と言えるでしょう。

土佐光起《三十六歌仙画帖》のうち、「小野小町」江戸時代 海の見える杜美術館のコピー

土佐光起《三十六歌仙画帖》のうち、「小野小町」 江戸時代・17世紀 海の見える杜美術館

この図のように、歌仙の名前と和歌を書いた色紙と、歌仙の肖像が組み合わされています。

土佐光起《三十六歌仙画帖》0024 小野小町・絵

鮮やかな色彩と繊細な筆致が魅力です。

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会場にも同じ光起の作品を配しました。写真は1階エントランスの様子。

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1階の廊下には、みなさんもきっと名前や和歌を聞いたことがある有名な歌仙5名を選んで大きく引き延ばしました。柿本人麻呂、小野小町、在原業平、紀貫之、斎宮女御です。光起の作品自体は本当に小さいのですが、ここでは歌仙を1メートル以上の大きさに。細かい着物の模様や、繊細な線を間近にご覧いただけます。ぜひ会場でお楽しみください!

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向かい側にはやはり光起の《三十六歌仙画帖》を用いて、三十六歌仙(平安時代の貴族藤原公任が撰んだ歌の名手36人)の和歌と略歴を紹介するパネルを設けました。お気に入りの歌仙を見つけてみてください。

まだ日中は残暑が続きますが、朝や夕方は杜の遊歩道も歩きやすい季節になりました。海杜テラスから見る宮島は秋の空に映えて今日も見事です。初秋の一日、海の見える杜美術館で、平安の雅を伝える華やかな歌仙絵と、美しい自然を満喫する時間をぜひお楽しみください。

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