西山翠嶂《女役者》その2

(1からの続き)

では、実際に私が見つけてきた資料等を見ていただきたいと思います。

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左が歴彩館にてコピーさせていただいた、高島屋『現代名家風俗画集』の翠嶂のページ。右が当館所蔵の《女役者》。

比較してみると本当によく似ているのですが、決定的に違うのが、背景の幕の紋、そして印章(落款、つまり署名のところに押されている印鑑)です。まったく別の作品です。お恥ずかしながら、最初この図録を手にしたときは完全に「おお一緒だ一緒だ」と思っており、「あれっ…え…うそ…違う…?」と気づくまでに3~4日かかりました。思い込みとはかように怖いものです。落丁に気づいたとき以上の驚きが私を包みました。こちらもお察しいただければ幸いです。

 

では当館の作品はニセモノなのか?という疑問がわいてきてしまいますが、近代の日本画の世界では展覧会に出したものを画家自身がコピーすることは結構多く見られます。例えば当館所蔵の北野恒富の《阿波踊り》、榊原紫峰の《獅子》なども展覧会に出したものを縮小して描いたものです。おそらく、求めに応じて描いたのでしょう。

 

驚愕の発見の日から自分を納得させること数ヶ月、先日また別の資料を手にすることができました。西山翠嶂が自ら3年かけて発行した『翠嶂作品集』(西山翠嶂著、瑠璃社、大正10(1921)年)です。

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左は、《翠嶂作品集》に収録されていた女役者(木版)です。こちらは幕の紋も印鑑の形もほぼ一致。色や紋の微妙な部分が違うのは、木版で完全なコピーではないことが原因です。違う紋を背負う2つの《女役者》が翠嶂の手によって描かれたことは間違いないと、資料でも証明されました。

この《翠嶂作品集》は、帝展出品作などの力作を収録していることから、こちらの《女役者》も、翠嶂にとってまずまずの自信作だったと見られます。なんとなく一安心。

 

さて、では、描かれた女役者とはいったい誰なのか。この疑問も現在まだ回答が出ておりません。はじめ私は、紋があるということは、特定の誰であるか当時見る人が見ればわかったのだろうと想像していました。しかし2作品でまったく紋を変えてしまったという事実がここで判明しました。誰であるのかは問題ではなかったということになるのでしょうか。もう少し、演劇史のほうを調べる必要があるかもしれません。

 

結局、わかったことは以下の2点。

1つめは、翠嶂は高島屋の展覧会に出品したものと、『翠嶂作品集』に掲載したもの、少なくとも2つの《女役者》を描いたということ。

そして2つめは、当館の作品は『翠嶂作品集』に掲載された《女役者》であること。

 

調べていくうちにかえって疑問点も増えました。でも研究や調査とは、きっとそんなもの。簡単にはいかないということを改めて思い知らされました。

 

このように学芸員の喜び悲しみを織り交ぜて調査中の翠嶂作品は、2018年の秋に西山翠嶂展の中でご紹介する予定です。ご興味を持っていただけますと大変うれしく存じます。

 

主要参考文献

高木多喜男「西山翠嶂の人と画業に関する基礎調査(年譜私案)」『京都文化博物館紀要 朱雀』第5集、1992年

『現代名家風俗画集』、高島屋飯田呉服貿易店 発行、1912年

西山翠嶂『翠嶂作品集』、瑠璃社 発行、1921年

『京都府百年の年表 8 美術工芸編』京都府立総合資料館 編、京都府 発行、1970年

※本記事での図版の掲載にあたり、京都府立京都学・歴彩館様と高島屋史料館様にご協力をいただきました。感謝申し上げます。

森下麻衣子

 

西山翠嶂《女役者》その1

今回は、当館所蔵の西山翠嶂作品《女役者》についてお話しいたします。しかしこれは皆様に作品解説をしようという記事ではございません。ただ、話を聞いていただきたい、そんな気持ちをつづってみました。長いです。

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大きな紋の入った幕の前に立つ女性。着崩した格子柄の着物、余裕のあるしぐさが非常にかっこいいですね。作者自身がつけた「女役者」というタイトルが示すとおり、おそらくこの人は女性の歌舞伎役者でしょう。現在、歌舞伎を演じるのは男性のみですが、江戸時代末から大正時代の頃にかけて、女性も演じており、彼女たちは女役者と呼ばれていたのです。女団州と呼ばれた市川粂八などが最も有名でしょうか。粂八は鏑木清方によって肖像が描かれていますので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

さて、彼女が誰で、この絵がいつ頃描かれたものなのかを考える前に、作者についてお話しておきたいと思います。

描いた西山翠嶂(1879-1958)は、竹内栖鳳の高弟で、娘婿でもありました。一時期、洋画家 浅井忠にも師事し、人物デッサンを学びました。風景や動植物が多い栖鳳と違い、人物画の大作を多く描き、文展や帝展などに出品しています。大正から昭和にかけて重鎮として京都の画壇を支え、自身が主宰する画塾・青甲社からは、秋野不矩・上村松篁、中村大三郎ら重要な画家を輩出しています。

そんな翠嶂ですが、落款や印章などのデータの蓄積はまだ多くはなく、文展・帝展に出品した代表作以外は年代の特定などが難しいのが現状です。この絵について調べたいと思ったとき、どうすればいいのか。まずやはり先人の研究に頼るほかありません。

幸いにも、高木多喜夫氏が研究成果として「西山翠嶂の人と画業に関する基礎調査(年譜私案)」(『京都文化博物館研究紀要「朱雀」第5集』、1992年発行)を残されています。これは、図書や雑誌ほか膨大な資料を丹念に整理されたもので、私は翠嶂を調べる上でこれをいつも頼りにしています。その中に、見逃せない箇所がありました。

 

明治45(1912)年6月1日、(翠嶂)33歳 女役者 現代名家風俗画集(高島屋飯田橋呉服貿易店 明治45(1912)年6月5日)に掲載。京都高島屋呉服店の新築落成記念現代名家風俗画展に出品。出典『高島屋美術部五十年史』(掲載にあたり、年号の表記など適宜変えました)

 

これを見つけた私はひそかに大喜びしました。当館の《女役者》は高島屋の展覧会に出たものだと確信して…。作品の出品歴がわかると何がよいかといいますと、素性がわかるということももちろん、やはり展覧会に出すということはそれだけ力を入れて描いているという想像もできるわけで、その力作に画家がどのような苦心・工夫をしたのか、調べがいも出てくるのです。また別の本を参照すると、この展覧会には栖鳳の名画《アレ夕立に》も特別に陳列されていた、という興味深い事実もわかりました。

調べで「現代名家風俗画展」の明治45年当時の図録が図書館や資料館に残されているとわかってさらに有頂天になった私は、資料を保存している図書館に突撃しました。

とある図書館へ飛び込んでカウンターで恐る恐る「すいません、『現代名家風俗画集』を見せてください」とお願いし(貴重書なので開架ではないのですね)、司書の方から本を手渡され、私はドキドキしながら年月の蓄積を感じるその本のページを丁寧にめくりました。そして…

 

「あれ?ない…ないよ…?」

 

そう、あろうことか落丁です。それも翠嶂のページだけが。なんとも驚くことではありませんか。私の落胆をお察しいただければ幸いです。

そして次の機会を求めて待つこと数ヶ月。オープンしたての京都府立京都学・歴彩館にて、とうとう図録を手にすることができました。そして、確認することができたのです。

 

当館の《女役者》は高島屋呉服店現代名家風俗画展出品の《女役者》ではないということを…。

 

続きます。

森下麻衣子

二条城行幸図 (洛中洛外図) 屏風


二条城行幸図 屏風 右隻 UMAM右隻

二条城行幸図 屏風 左隻 UMAM左隻

寛永3年(1626年)の後水尾天皇の二条城行幸が描かれた、金色にきらめく豪華な屏風です。

屏風全体には、京都の町並みと周りの風景が描かれています。そしてその中段に一直線、左側の屏風には、二条城を出て後水尾天皇を迎えに御所をたずねる三代将軍家光の一行が、
二条城行幸図 屏風 左隻2

右側の屏風には、御所を出て二条城に向かう後水尾天皇一行が、二条城行幸図 屏風 右隻2 UMAM

見物する群衆や沿道警備の武士も一緒に臨場感豊かに描かれています。
二条城行幸図 屏風 左隻3 UMAM

おそらくこの屏風のどこかに登場していると思われる人物、土御門 泰重(つちみかど やすしげ)の日記に当時の様子を見てみましょう。

9月4日 晴れ 行幸の用意。身に付けるものや道具を点検した。今日太刀がとどいた。樋螺鈿蒔絵梨地(ひらでんまきえなしじ)だ。

9月5日 晴れ 中山元親(なかやまもとちか)のところへ行って場所を借りてきた。行幸を見物する人たちのためだ。夜になって雨が降り始めた。深夜には大雨になった。明日の行幸はどうなるのだろう。用意は大体終わった。夜12時頃就寝。20170601二条城行幸図 屏風 右隻3

9月6日 日の出前まで大雨だったが、晴れてよかった。先発隊が出た。その後に中宮(天皇の妃)が出発した。将軍が迎えに参内した。鳳輦(天皇が乗る駕籠)を紫宸殿の庇によせ、鳳輦にお移りになられた。華やかなる行幸、民衆が群れをなした。(適宜抜粋して現代語に訳した)
二条城行幸図 屏風 右隻4

実在の人物の日記を読んであらためて絵を眺めると、絵空事のようだった屏風絵が、記録映像のように現実感を伴って見えてきます。

この日の高揚した様子を再現するのに、画家が苦心したのは京都の市街や名所、1300人以上の人々を描き込む労力だけではありません。左側の屏風は堀川沿いを北に向かう行列を、
二条城行幸図 屏風 左隻4 UMAM

右側の屏風は堀川へ向けて西に向かう行列を描いていて、二条城行幸図 屏風 右隻5 UMAM

左右の屏風を直角になるように並べると、堀川の橋で曲がる列が立体的に正しく再現されるように工夫されているのです。二条城行幸図 屏風 一双

徳川家康が戦国時代に区切りを告げた後、二代将軍秀忠は娘の和子(まさこ)を後水尾天皇に入内させ、天皇家と姻戚関係になります。その後将軍職を家光に譲り穏便に世代交代を済ませ、次に天皇を徳川の城、二条城に招いて歓待したのです。天皇家と徳川家の和平を決定的に内外に示したこの二条城行幸によって、完全に戦国の世に終わりを告げることができたのかもしれません。そのような観点からは、この屏風はとても記念碑的な作品として輝いていますし、また、この屏風は藤堂家伝来と言われていて、徳川和子入内の立て役者であり、後水尾天皇を迎えるための二条城改修工事の基本設計を担当した藤堂高虎との関係性にも興味がつきません。

なお この原稿は当館の季刊誌『プロムナード』Vol.22 2017年夏号に掲載されています

さち

 

物語絵巻を文化遺産オンラインで公開しています

物語絵巻を文化遺産オンラインに登録したので、ぜひご覧ください。

以前ブログに公開した物語絵巻を採録しますので、こちらもご覧ください。

太い字をクリックするとブログのページが開きます。

動画の画面をクリックすると、絵が動き出します。

道成寺縁起絵巻(パワーポイントで作った絵巻アニメ1/4)

 

三井寺絵巻(パワーポイントで作った絵巻アニメ2/4) 

 

八幡宮縁起絵巻(パワーポイントで作った絵巻アニメ3/4)

 

天神の本地絵巻(パワーポイントで作った絵巻アニメ4/4)

 

うみひこ

蘇州版画 西洋劇場図

2016年11月1日から12月10日まで、中国江蘇省蘇州市の蘇州美術館で開催された「蘇州桃花塢木版年画特展」に《西洋劇場図》が出品されていました。

20161221中国版画 西洋劇場図 UMAM(5)

西洋劇場図 『支那古版画図録』美術研究所編 美術懇話会 1932年 図27

その昔、黒田源次氏、岡田伊三次郎氏らが協力して収集し、そして矢代幸雄氏らの尽力を経て、現在の東京文化財研究所の前身、美術研究所の開所記念展覧会「故岡田伊三次郎氏蒐集支那版画(姑蘇板)陳列」(1931(昭和6)年11月1~3日)で展観された作品です。1932(昭和7)年3月に刊行された美術研究所編輯美術研究資料第一輯 支那古版画図録 図版27番に掲載されています。

この書籍はコロタイプ印刷なので、近頃よく見る印刷のような網点がなく、とても細かいところまで良く見えます。ですからルーペを使って何度も何度もそれこそ穴が開くほど繰り返し見てきました。なぜなら、西洋の遠近法、陰影法が建築物などをはじめ、ここまで正確に用いられている、そしてなにより人物の顔、肉体などが西洋人そのものに表現されている、現段階では唯一無二ともいえる作品だからです。また、中国人が西洋的な版画を制作したときに賛に記すことが多い「倣西洋画筆法」などと書かれていないことを併せて考えたときに、これまで論じられることのなかった、西洋人が蘇州版画の作画に直接かかわった可能性をも感じさせられる作品だったからです。(『支那古版画図録』では「ヴェネチア派の劇プルチネラに関する書籍の挿絵を模したもの」と指摘している)

20161221中国版画 西洋劇場図 UMAM(2)建築

20161221中国版画 西洋劇場図 UMAM(4)

20161221中国版画 西洋劇場図 UMAM(3)

この作品以降、中国風に変化した数々の作品が生み出されていきます。

20161221中国版画 西洋劇場図 UMAM(5)20161221中国版画 西湖風景図UMAM (1)
西洋劇場図        西湖風景図(海の見える杜美術館蔵)

《西洋劇場図》は現在、縁あって遼寧省博物館の所蔵品となっています。歴史に埋もれていた作品が公開されて、本当に良かったと思います。

なお、コレクター岡田伊三次郎氏について、あまり知られていませんが、氏の中国版画収集の経緯などが、三隅貞吉「岡田伊三次郎さんを偲ぶ2」(『日本美術工芸』245号、1959年2月)に記録されています。そのなかで岡田氏は「私は、自分の趣味の赴くままに、あれこれと色々のものを蒐集して来たが、結局は支那の古版画を集めにこの世に出て来たようなものだった」と述懐していたことが記されています。氏の尽力に敬意を表します。

さち

関連記事:中国版画(蘇州版画)とグスタフ・クリムト

真田丸 大坂冬の陣図

海の見える杜美術館は、「大坂冬の陣」の布陣図を所蔵しています。

20161119大坂冬の陣図(仮称)UMAM (1)

大坂城の敷地の右下に四角く飛び出ているところに「さなたとり出」(真田砦)と書かれています。ここがあの真田丸なのでしょう。そのすぐ下には、「将軍様」と書かれ四角く囲まれた城があります。真田信繁(幸村)が徳川本隊の真正面に対峙しているのが分かります。

NHK大河ドラマ「真田丸」は冬の陣の真っただ中です。冬の陣に参加した武将たちが見たかもしれない布陣図を眺めながら、ぜひお楽しみください。

なお、《大坂冬の陣図》(仮称)は、いつ、だれが、何のために作ったのかわかっていません。
一枚刷りの冬の陣図は、ほかに《大坂城之図》(江戸東京博物館蔵)が知られていますが、比較すると、絵の感じも真田の軍勢の数も異なります。当館の《大坂冬の陣図》は冬の陣のその年に刊行された「大坂物かたり」(慶長19年(1614)成簣堂文庫蔵)の巻末に付された布陣図と、かなり似ています。

さち

 

浮世絵 を文化遺産オンラインで公開しています

「文化遺産オンライン」で、海の見える杜美術館の所蔵品公開を進めています。
いま「浮世絵」のデータを入力していますので是非ご覧ください。

ところで、当館の所蔵する浮世絵の中で、歌川広重の花鳥画の一群は際立っていて、展覧会「生誕二百年記念 広重・花鳥画 王舍城美術寳物館所蔵」(*) 太田記念美術館1997年や、「姫路市立美術館開館30周年記念・神戸新聞創刊115周年記念・海の見える杜美術館所蔵  広重」 姫路市立美術館2013年などで特別公開されてきましたが、はたして当館の歌川広重花鳥画コレクションの規模は、客観的にはどれくらいなのでしょうか。

当館学芸員青木隆幸氏の調査データ (2014年1月18日版)には、世界の美術館で所蔵されている歌川広重花鳥版画1828点、836種類が登録されていて、その内の243点、183種類が当館の所蔵となっています。 所蔵数上位5館は以下のとおりです。
ボストン美術館                                         863点
ホノルル美術館                                        316点
海の見える杜美術館                                243点
ロードアイランドデザイン学校美術館        220点
メトロポリタン美術館                                  81点

月に雁 歌川広重

月に雁 歌川広重

うみひこ

*「王舍城美術寳物館」は「海の見える杜美術館」の旧称

 

 

中国版画の素材分析調査

以前もご紹介しました通り、海の見える杜美術館では、東京芸術大学の研究チームのみなさんと、長い時間をかけて、作品に使われている紙や絵の具の調査分析をしています。

今回は、

20160929 中国版画の素材分析調査 (3)複合エックス線装置 XRDF
①蛍光エックス線分析装置    XRF

20160929 中国版画の素材分析調査 (2)複合エックス線装置 XRDF
②複合エックス線装置      XRDF

20160929 中国版画の素材分析調査 (5)
③フーリエ変換式赤外分光分析機 FTIR

という、やたら難しい名前の、とても精密な分析機器を美術館に持ち込んで調査をしました。全部合わせると立派な家が建つくらい、高価な機械だそうです。

これで何を調べるかというと、

①のXRFは、とても弱いエックス線を当てて、反射してくるエネルギーを測り、どのような元素が作品にあるのか大まかに判断します。1つのポイントを計測するのに1分ぐらいかかります。

②のXRDFは、エックス線を当てる角度を何十回も変えて照射して、その反射してくるエネルギーを測るので、1つのポイントを計測するのに約30分もかかります。これで元素と原子の並びが分かるそうです。

③のFTIRは、赤外線を物質にあてて、反射パターンの特徴を読み取って物質を特定します。

これまで、紙の繊維や絵の具の粒子の拡大撮影、赤外線撮影、紫外線撮影もしています。これから、科学の目でみたデーターを全部合わせて分析します。気の遠くなるような作業ですが、紙や絵の具などについて、わからなかったことが分かるようになり(それでもわからない材料もあります!)、作品の制作地、制作年代、制作技法など謎の解明につながるかもしれません。

結果が出たら、またご案内します。

20160929 中国版画の素材分析調査 (4)
写真右から、木島隆康先生、桐野文良先生、塚田全彦先生、大久保早希子先生、ここには写っていませんが半田昌規先生。丸3日間、部屋にこもりっきりで調査にあたりました。

おつかれ様でした。そしてこれからよろしくお願いします。

うみひこ

「三井寺」絵巻との再びの出会い  小林健二

 

先日、久し振りに海の見える杜美術館に所蔵される「三井寺」絵巻を手にとって見る機会を得た。秋の名曲である能「三井寺」の物語を幅17、5センチ、長さ6メートルに描いた愛らしい小絵巻で、私が芸能の絵画化を研究するきっかけとなった作品である。

作られたのは室町末期であろうか。この時は豊臣秀吉が愛好したことによって、諸大名が能を稽古し自ら演じた、ちょっとした能ブームの時代であった。その隆盛を背景としてこの絵巻も作られたのであろう。

今回、ゆっくり拝見して、能のストーリーに忠実ながら、三井寺の月見の情景を膨らませたり、舞台では見られない主人公の悲しみや喜びが描かれていて、あらためて素晴らしい絵巻であることを確認した。この出会いの後で、同じような能を絵巻にしたものを探し求めたが、その例はきわめて少ない。

海の見える杜美術館にはこれも能の名曲「松風」を描いた「松風村雨」絵巻もある。これは絵本を絵巻に改装したものであるが、やはり貴重な作例で、こちらもじっくり見ることができた。至福の時間とはまさにこのことである。

現在、美術館は改装中であるが、リニューアルしたら絵巻・絵本の展示も予定されていると聞く。その時にはまた来よう。もちろんこれらの絵巻・絵本との再会を期して……

三井寺絵巻 UMAM三井寺

松風村雨 UMAM松風村雨


 

小林健二先生(国文学研究資料館 教授)と、ともに絵巻を見る時間は本当に楽しいひと時でした。当館が所蔵する「三井寺」絵巻や、「松風村雨」絵巻が、能を描いた作品としてどのように重要であるかも、丁寧に教えていただきました。先生の研究が発表になりましたら、改めて紹介したいと思います。

さち