季刊誌「Promenade Vol.29」情報

厳しい寒さが感じられる毎日ですが、今年はまだ暖かい方だということを知り、

広島の冬を初めて体験する私としましては、来年以降の冬を私は耐えられるのかと

若干うなだれそうになっております。

皆様はいかがお過ごしでしょうか?

先日は寒さの中にも日の光が暖かく、ぽかぽか陽気にひなたぼっこをしたくなりました。

立春が過ぎてからは、明るい時間がよりいっそう長くなったように感じます。

気がつけば杜の遊歩道の梅の花がぽつぽつと咲き始めました。

例年より暖かい気候のせいか、一部の木では見頃を迎えています。

~杜の遊歩道梅林より~ 2月10日撮影

20190210 梅林2

20190210 梅林1

これから徐々にまだ固いつぼみも開いていくことでしょう。

20190210 梅林3

 

下の写真は昨年の見ごろを迎えた梅の写真です。

20180311梅の花

2018年3月11日ブログ「梅の花が見ごろを迎えました」より

 

また、当館発行の季刊誌「Promenade Vol.29」春号が完成いたしました。

こちらも梅の花のように一足早い春のお知らせになれば幸いです。

PromenadeVol.29-1

PromenadeVol.29

3月2日(土)より開催する春期特別展

「幸若舞曲と絵画 武将が愛した英雄(ヒーロー)たち 」の開幕に先駆けて、

幸若展の見どころはもちろん、香水瓶展示室や竹内栖鳳展示室、

次回展覧会予告などなど、様々な内容をご紹介しております。

「幸若舞曲って何?」と疑問に思う方も、

Promenadeの中でたくさんの絵と共に解説されていますので、

ぜひお手にとってみてください。

 

さて、そんな春期特別展も開幕まであと一ヶ月を切りました。

展示室はというと、

20190209

20190206-1

試行錯誤をしながら、着々と開館に向けて準備をしております。

果たして間に合うのか…。

A.N

長期休館に入りました。

ご無沙汰しております。

昨年の10月27日(土)から開催しておりました

「西山翠嶂-知られざる京都画壇の巨匠-」が

先日1月14日(月)を持ちまして、無事に閉幕いたしました。

期間中は、多くのお客様にご来館いただき

誠にありがとうございました。

西山翠嶂1

 

 

\また逢う日まで/

西山翠嶂3

 

さて、当館は1月15日(火)より長期休館に入り、

現在は3月2日(土)より開催の春期特別展、

「幸若舞曲と絵画 武将が愛した英雄(ヒーロー)たち」

に向けて、着々と展示替えを進めております。

また、先日ポスターとチラシが出来上がりました!

幸若舞曲1

今までとは一味違ったデザインとなっており、スタッフ一同満足の仕上がりになっております。

今後は、展示替え期間中の内部をご紹介いたしますので、

引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

A.N

次回展 「西山翠嶂」展に向けて

かんかん照りだった8月も残り1日となりました。

風もどこか秋の匂いを感じます。

そんな中、美術館の受付・総務を務める私たちは

次回の展覧会

「西山翠嶂-知られざる京都画壇の巨匠-」

に向けてチラシ発送の準備を進めております。

皆様のお手元に届くのは9月に入ってからになりますが、

どうぞ楽しみにお待ちくださいませ。

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「西山翠嶂」展

2018年10月27日(土) から開催です。

A.N

香水瓶の至宝展53 《香水瓶》 イギリス セント・ジェイムズ 1760年頃

リニューアルオープン記念特別展「香水瓶の至宝 ~祈りとメッセージ~」開催中

海の見える杜美術館の香水瓶コレクションから、選りすぐりの名品を展観いたします。香りと人類の歩んできた重厚かつきらびやかな歴史をご覧ください。

この香水瓶の、高さは7.6cm。素材は軟質磁器、金属に金メッキです。

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うみひこ

中国版画(蘇州版画)の素材分析

昨年の暮れに、中国版画(蘇州版画)の素材分析をしました。

20180105中国版画の素材分析 (7)

分析部屋の風景

調査を開始してはや3年、そろそろ成果を纏めなければならないのですが、その道のりは遠く長く、ゴールが霞んで見えます。

メンバーはこれまで通り、東京芸術大学 文化財保存学専攻のチーム 木島隆康教授、桐野文良教授、塚田全彦准教授、半田昌規非常勤講師、そしてあらたに加わった安田真実子助手です。

ことしはいよいよ中国版画の美術史的な研究会も開始いたします。本格的な中国版画展の開催に向けて、調査研究を積み重ねています。

20180105中国版画の素材分析 (3)

可視光、赤外線、紫外線撮影 左から安田先生、木島先生、半田先生

20180105中国版画の素材分析 (2)

複合エックス線装置 XRDF

20180105中国版画の素材分析 (1)

XRDFを操る桐野先生

20180105中国版画の素材分析 (5)

フーリエ変換式赤外分光分析機 FTIRを操る塚田先生

20180105中国版画の素材分析 (4)

蛍光エックス線分析装置 XRFで分析する左から安田先生、木島先生、桐野先生

20180105中国版画の素材分析 (6)

左から半田先生、塚田先生、木島先生、桐野先生、安田先生 撮影:うみひこ

うみひこ

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久しぶりの棚つくり

学芸の森下さんから久しぶりの依頼で、展示台を収納するための大きな棚を作ることになりました。

20171204棚づくり (4)

いつものように、無駄な部材は購入しない! 工事の時に使っていた棚を解体して、再利用です。

20171204棚づくり (1)

うみひこは ほとんどを丸のこで済ませてしまうのですが、きちんと臍をかみ合わせるのに、久しぶりに鑿を使いました。

20171204棚づくり (2)

根太を組んで、コンパネを貼って、最近は写真撮影の依頼が多かったので、ちょっと腕が落ち気味ですが・・・

20171204棚づくり (3)

あとはケガをしないように棚の周りを磨けば完成です。

開館に向けて、美術館は大片づけの毎日です。

うみひこ

 

 

香水瓶の至宝展 《香水セット》 フランス 1870年頃

「香水瓶の至宝 ~祈りとメッセージ~」展
2018年3月17日(土)から 開催です。
海の見える杜美術館の香水瓶コレクションから、選りすぐりの名品を展観いたします。香りと人類の歩んできた重厚かつきらびやかな歴史をご覧ください。

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うみひこ

 

歌川広重 東海道五十三次封筒

歌川広重の浮世絵の連作『東海道五十三次』は、制作当時からとても人気があり、世界的に有名ないわゆる保永堂版をはじめとして、たくさんのシリーズが作られました。その種類は30種類を超え、中にはいまだに全容が確認できない『東海道五十三次』もあります。三井高陽氏が「広重の絵封筒」(『浮世絵芸術』27号、1970年11月)のなかで、五十三次揃っていたかどうかわかりませんが、と断りつつ示された「五十三次 吉原」封筒もその一つでした。

三井高陽「広重の絵封筒」『浮世絵芸術』27号、1970年11月
「五十三次 吉原」
三井高陽「広重の絵封筒」『浮世絵芸術』27号、1970年11月より転載

当館に、歌川広重の東海道五十三次の封筒の貼交ぜ帖が所蔵されていて、この中に、三井高陽氏が示された「五十三次 吉原」が含まれていました。

貼交ぜ帖に添付されている封筒は順に次の通りです。(文末画像参照)

東海道五十三次封筒           一立齋 廣重筆
日本橋
品川
川崎
神奈川
程か谷
戸塚
藤澤
五十三次 封筒  立斎筆
平塚
大礒
小田原
箱根
三嶋
沼津

東海道五十三次 続画封筒 一立斎中はし□ぐ 丸喜軒□
吉原
蒲原
中居
興津
江尻
府中
鞠子
五十三次封筒 立斎筆
岡部
藤枝
嶋田
金谷
日阪
懸川
袋井
五十三次 封筒 立斎筆
見付
浜松
舞阪
荒井
白須賀
二川
吉田
五十三次続画封筒 廣重筆
御油
赤坂
藤川
岡崎
池鯉鮒
鳴海

桑名
四日市
石薬師
庄野
立斎筆 五十三次封筒 東海道
亀山

坂の下
土山
石部
水口
草津
大津

淀川

これで広重の東海道五十三次封筒の全容が明らかになったかと期待したのですが、東海道を描いた封筒が、はじめ7枚ずつなのに、最後は11枚、10枚と添付されていることや、水口宿、石部宿の順序が逆になっていることが気になります。この貼交ぜ帖は発行された当時の状況を正しく反映していない可能性があることを慎重に考慮しなくてはならないようです。

しかし、揃っているのかわからないとされていた歌川広重の東海道五十三次封筒について、いろいろなことが明らかになりました。東海道五十三次の封筒は間違いなく発行されていたという事実。表題と広重の落款が入った封筒を入れるための包みと思われるものが少なくとも7種類はあること。その包みの1枚に丸喜軒と記されていること。各地の名産名勝を縦長の画面に配していること。色彩を淡くおさえ、中央には宛名を書くための空間を配慮するほか、随所に封筒ならではの工夫を凝らしたデザインになっていること。そして落款の書体から制作が広重晩年の1853年頃と推定されることなどです。

以上のことから、歌川広重の東海道五十三次封筒は、1853年頃、丸喜軒という版元で、東海道の53宿と起点の日本橋、終点の京、そして淀川を加えた56枚が企画され、8枚セットにして7回(※1)に分けて順次販売、あるいは配布された(※2)のではないかと考えてみました。

さち

青木隆幸

※1 ほかに封筒の包みがもう一つ存在していた場合は7枚セットにして8回になる
※2 先の「広重の絵封筒」のなかで、筆者の先祖の話として、財閥の三井家では昔、東京は榛原(はいばら)、京都は金光堂(きんかどう)というところで封筒を特別に誂えたことが記されており、私製の配布物の可能性を排除できない

 

海の見える杜美術館蔵 歌川広重 東海道五十三次封筒
歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (1) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (2) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (3) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (4) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (5) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (6) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (7) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (8) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (9) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (10) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (11) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (12) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (13) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (14) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (15) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (16) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (17) 歌川広重 東海道五十三次封筒 UMAM (18)

香水瓶の撮影をしました

リニューアルオープン記念展示「香水瓶の至宝 ~祈りとメッセージ~」開催に向けて、香水瓶の撮影をしました。

20171013香水瓶の撮影です

カメラマンは、エス・アンド・ティフォトの尾見 重治さんと大塚 敏幸さんです。

うみひこ もカメラマンとして美術品撮影をするのですが、立体物の経験は浅いので、香水瓶の撮影はいつもこのお二人にお願いをしています。すごくきれいに撮影してくれます。これから制作する図録『香水瓶の至宝』に写真が掲載されますのでご期待ください!(うみひこが撮影した香水瓶も少しだけ入ってます)

うみひこ

リニューアルオープン記念 企画展覧会情報

名  称:香水瓶の至宝 ~祈りとメッセージ~
期  間:2018年3月17日(土) ~ 7月8日(日)
休  館  日:月曜日 ※4/30(月祝)は開館
開館時間:10:00-17:00 (入館は16:30まで)
入  館  料:一般 \1,000 高•大学生 \500(要学生証提示) 中学生以下無料
※障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。
20名以上の団体は各200円引き

20171013香水瓶UMAM

 

西南戦争錦絵「西南雲晴朝東風役者絵」

当館の主要コレクションの一つである西南戦争錦絵の中から、西南戦争に取材した歌舞伎の舞台を錦絵「西南雲晴朝東風役者絵」(おきげのくもはらうあさごちやくしゃえ)をご紹介します。

西南戦争は、明治10年(1877)年に起きた西郷隆盛を首領とした薩摩軍兵士(薩軍)と政府軍(官軍)との間の大規模な内乱で、日本最後の内戦と言われています。その戦況は、当時の絵入り新聞や錦絵を通してリアルタイムに庶民へと伝えられました。新聞や錦絵は戦況の速報だけでなく、西南戦争の登場人物にスポットを当てた記事なども取り扱ったため、西郷隆盛のみならず、薩軍の重要人物であった桐野利秋や篠原国幹、村田新八や池上四郎、官軍の野津道貫・鎮雄の野津兄弟などは知名度を上げ、庶民の人気を得ました。戦争が終結し、戦況の速報としての錦絵の役目は終わりましたが、錦絵の出版自体はそれ以降も続き、子供の教育用の玩具絵(おもちゃえ)や、今回ご紹介する歌舞伎の役者絵などが出版されました。

西南戦争は明治10年9月24日に西郷の自決で終戦となりましたが、年が明けるとすぐにそれを題材に歌舞伎がいくつか上演され、その中でも明治11年2月、東京・新富座の『西南雲晴朝東風』は最大のヒットになりました。この劇の作者は幕末から明治時代にかけて活躍した河竹黙阿弥で、当時出版された新聞や錦絵、関係者への取材をもとに制作され、全7幕16場が薩軍視点で構成されています。(1)

役者は九代目市川団十郎や五代目尾上菊五郎らが出演しました。「西南雲晴朝東風役者絵」は、この歌舞伎を錦絵にしたもので、当時の役者絵の名手・豊原国周とその弟子楊洲周延によって制作されました。

豊原国周筆「吉次越蓑原討死之図」 西南戦争錦絵 UMAM 海の見える杜美術館
豊原国周筆「吉次越蓑原討死之場」 大判錦絵三枚続 明治11(1878)年3月届出

上は『西南雲晴朝東風』第3幕の、西南戦争最大の激戦、田原坂・吉次峠の戦い(明治10年3月1日~3月31日)の「吉次越蓑原討死之場」です。この場面は劇中において最大の見せ場であり、砲撃の特殊効果に花火を、音響効果にラッパを用いて戦場の迫力を再現したことから大きな評判となりました。(2)

馬に乗り右手にサーベルを持った薩軍の蓑原国元が、敗走する味方を鼓舞しながら敵陣へと進みますが、官軍の流れ弾に当たり斃(たお)れます。銃弾を受けた簑原の胸からは血が流れ、傍らにいる薩軍の武上四郎は突然の出来事に驚いた様子です。画面右上の短冊から、簑原を五世尾上菊五郎が、武上を中村宗十郎が演じていたことがわかります。

蓑原国元、武上四郎は、それぞれ史実における篠原国幹、池上四郎のことですが、実名から微妙に改変されているのは、歌舞伎や人形浄瑠璃で実在する人物を扱うときは、時局に触れぬよう、名前や時代を変えてごまかしながら扱うのが通例とされていたためです。(3)

篠原国幹は薩軍の副司令格としてこの戦いに臨んでおり、その死は、西南戦争序盤においては最大のニュースでした。

豊原国周筆「日向西條陣営の場」 西南戦争錦絵 UMAM 海の見える杜美術館
豊原国周筆「日向西條陣営の場」 大判錦絵三枚続 明治11(1878)年届出

こちらは、第7幕の戦争終盤の薩軍本営の場面です。各地から召集された少年兵に対し市川団十郎扮する西條高盛(史実では西郷隆盛)が国に帰るように説得しますが、少年の一人が、両親のいない自分だけでも一緒に戦いたいと願い出て、その姿に皆が涙します。この場面は、『西南雲晴朝東風』終盤の泣かせどころとなっています。

史実では薩軍の兵の召集は、田原坂の戦いで敗れ、敗色が濃厚となって以降、子供から老人まで及ぶようになったといいますが、官軍の兵であった喜多平四郎の手記によると、少年を兵として招集したことを知った西郷隆盛は激怒したといいます。(4)

西南戦争錦絵は、その画題の多くが戦況の速報ですが、今回ご紹介した歌舞伎の役者絵のように娯楽としての側面を持っているものも少なくなく、広く大衆に受け入れられていました。今後も定期的に西南戦争錦絵について紹介していきたいと思います。

大内直輝

※西南戦争錦絵については現在鋭意研究中で美術館リニューアル後に展示する予定です。

(1)  埋忠美沙「西南戦争における報道メディアとしての歌舞伎 -日清戦争と対比して-」(『演劇学論集 日本演劇学会紀要 62集』収載) P.19-20 日本演劇学会 2016年
(2)  同前 P.24-28
(3)  大庭卓也・生住昌大『西南戦争 -報道とその広がり-』 P.69 久留米大学文学部 2014年
(4)  前掲「西南戦争における報道メディアとしての歌舞伎 -日清戦争と対比して-」 P20-22