第11回 香水散歩 オランダ・ライデン
ライデン国立考古博物館

IMG_0812 こんにちは、特任学芸員のクリザンテームです。

美しい香水瓶を求めて世界各地を巡る中で、一度ゆっくり訪ねてみたいと以前から願っていた場所がありました。香水産業とはさして関わりのない土地ですので、意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それはオランダの古都ライデンです。

首都アムステルダムにほど近いこの町は、オランダ最古の大学都市として知られています。大学の設立の興味深い逸話は、ライデンを愛した作家、司馬遼太郎の著作『街道をゆく オランダ紀行』にも紹介されています。アメリカ独立宣言やフランス革命より約200年も早く、市民社会が誕生するきっかけとなった支配者層に対する市民の反乱が起きたのは、ここオランダのライデンでした。

それは16世紀後半に始まる、所謂八十年戦争のことであり、当時の支配者スペインに対しオランダ人は勇敢に立ち上がりました。その最中、ライデンにおいて市民軍がスペイン軍に勝利したときに、市民軍の指導者オラニエ公ウィレム1世は、その褒美として数年にわたる免税を提案したところ、市民たちはそれよりも大学の設立を望んだといわれています。

町中を運河が巡るライデン。博物館も運河沿いにあります。

町中を運河が巡るライデン。博物館も運河沿いにあります。

目先の経済的価値よりも、市民たちが意義を見出した教育・研究施設としての大学。実はこの国立考古博物館も、その歴史と密接にかかわっています。なぜなら、博物館のコレクションの基礎となったのは、まさにライデン大学の考古学部門(研究室)であるからです。

現在では約18万点にも上る古代から中世までの大学の所蔵品が、1995年から博物館として一般公開されるようになりました。そのなかには、香りの道具が多く含まれているのです。

ではその内部を見てまいりましょう。エントランスホールにあるのは、なんと神殿です。

じゃーん!!

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こちらは、タファ神殿と呼ばれるもので、エジプトの南部ヌビア地方から運ばれました。

1954年、アスワンハイダム建設によって水没する当地の神殿の移築に尽力したオランダに、エジプト政府が贈ったといわれています。

驚くことにこの神殿は、一定の時間になるとライトアップします! にわかにホールの照明が落とされ、大音量のナレーションと音楽とともに、神殿の歴史が語られるのです。演出が少々おどろおどろしくもあり、恐怖心も掻き立てられました(笑)! その様子を画像でお伝えできず恐れ入りますが、おりしも家族に連れられて神殿前に集まっていた子供たちの悲鳴が上がり、次いで彼らは身動きできぬまま、神殿に目が釘づけになっていた様子をご想像ください!

エントランスホールにすっかり溶け込んでいますが、奥の四角い建物が神殿です。そして、右端の影のなかに直立する丸身を帯びた二つの物体は、第27王朝の棺です。

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さりげなーく展示されている所蔵品のレベルが高すぎて、本展示室への期待は、否が応にも高まります!

いざ展示室へ入ると、そこで目にするのは、広い展示室内に整然と並ぶ大量の発掘品です。

こちらの列にも……!IMG_0659

あちらの列にも……!!ずらりと名品が勢ぞろい。IMG_0663

見事なエジプト・ファイアンスのカバもいます!IMG_0662 横長

左の人物像との並列が、なんだかそこはかとなくユーモアのある展示ですね。

さてさて、香りが使われた容器を見ていきましょう。

例えばこちらは、海の見える杜美術館所蔵作品の中でも人気の高い《7つの聖油パレット》とほぼ同型のものですね。副葬品として発見されたものです。IMG_0646

こちらが海杜ヴァージョン。

《7つの聖油パレット》エジプト、古王国時代(第6王朝、前2320-2150年)、アラバスター、海の見える杜美術館所蔵

《7つの聖油パレット》エジプト、古王国時代(第6王朝、前2320-2150年)、アラバスター、海の見える杜美術館所蔵

パレットにある7つの丸い窪みとヒエログリフは、埋葬された死者が再生へと向かうときに助けとなる、7種類の聖油の存在を示しています。

古代エジプトでは、独自の宇宙観に基づく、多岐にわたる聖なる儀式が行われていました。このパレットは、それらに香りが欠かせなかったことを教えてくれます。

儀式の多くは密議であったため、神官たちの間で、口承により詳細が引き継がれました。そのため、香りがどのように使われていたのかをつまびらかにすることは、今日では難しい状況ですが、いくつかの資料から部分的に推測されていることもあります。

例えば、香りが王ファラオを聖なる存在にする役割を担っていたことや、ナイル川流域に咲き誇るロータスやユリの香りはもちろんのこと、イエス・キリスト生誕時に、真っ先にお祝いに訪れた東方三博士の一人が献上した乳香も、すでに使用されていたと考えられています。いつの日か、考古学の科学的調査のさらなる進展によって、エジプト人と香りの関係が解明されることを望まずにはいられません。

さて、燻蒸や塗布によって、芳香を漂わせながら古代では祈りが行われていましたが、エジプト人が崇めていた神々の像も、この博物館には多く展示されています。

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まあ、なんと分かりやすい展示方法でしょう!中央にひときわ大きなオシリス神が置かれ、その両脇にイシス女神、ネフティス女神等の神々の小像が配されています。この展示からも、オシリス神話で語られるように、冥界の王たるオシリス神の重要性がわかります。

しつこいようですが、この大きさの違い! いやはや、教育普及効果絶大ですね。IMG_0677

ところで、古代エジプト人は男性も女性も化粧を施し、香水も用いたと考えられています。

「お化粧品コーナー」展示ケースにも、香りがおさめられていた数々の容器が展示されていました。こちらです!

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アラバスター製の容器は、見事な石の縞模様に価値が置かれます。ここでは照明の工夫によりその模様が浮かび上がっていたので、思わず見入ってしまいました。

この他にも、美しい装飾の施されたミイラの棺がずらりと居並ぶ展示室をはじめ、古代エジプト文明の豊かさを伝える発掘品が大量に、大量に(!)あるのですが、それらについてはいつか別の機会に譲りましょう。

螺旋階段を上るとその先には、もう一つの重要な古代文明、ギリシャを中心とした地域からの出土品の展示室があり、見逃せません。IMG_0706

大小様々な容器が並ぶ、ギリシャ展示室へようこそ!IMG_0755

IMG_0773 横長 こちらのケースには、平らな広い口を持つ球形の小瓶がいくつも展示されていますね。これは《アリュバロス》と呼ばれる、コリントス島で作られたテラコッタ製の香油壷です。ひとつを拡大すると……IMG_0773 横長の拡大

この特徴的な口の形は、香油を身体に直接塗りつけるのに便利であったからと考えられています。

古代ギリシャでは、香油は香水として使われることも当然ありましたが、強張った筋肉を和らげるためにもしばしば活用されました。そのようなこともあって、アリュバロスは、若きギリシャ人男性がレスリングを行うときの必需品であったといわれています。彼らは、この中におさめられた香油で筋肉痛を和らげ、体に付いた砂を払い、太陽光や寒さから肌を守りました。現代風に言うなら、たったひとつで何役もこなす「オールインワン・オイル」ですね! それは手放せないはずです。

以上のような、目を見張る古代の香りの容器に加えて、この博物館には、1818年に始まる発掘調査や考古学研究の歴史を伝える展示室もあり、大いに好奇心や探究心が刺激されました。IMG_0786 拡大

フランスやアメリカのようには、市民社会の誕生を声高に主張しないオランダの国民性なのでしょうか。この博物館の所蔵作品も、他国の同分野の博物館ほど広く知られていませんが、実際に来館してみれば、その充実度に誰もが驚くことでしょう。そして、そのような博物館の奥ゆかしい姿勢が、かえって印象を深め、どなたにとっても、とっておきの博物館になるのではないでしょうか。

 

クリザンテーム (岡村嘉子)

《今月の香水瓶》

海の見える杜美術館にも《アリュバロス》があります! 3人の滑稽な踊りをする人物像と花模様が交互に描かれています。この図柄では若き青年たちの闘争心があまり掻き立てられないのでは!?、と疑問を抱くのはクリザンテームだけでしょうか。このアリュバロスの所有者は、はたしてレスリングの試合に勝利したの否か? 歴史の謎です。

《アリュバロス》ギリシャ、コリントス、紀元前6世紀、テラコッタ

《アリュバロス》ギリシャ、コリントス、紀元前6世紀、テラコッタ

第10回 香水散歩 東京丸の内
マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展、三菱一号館美術館

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こんにちは。学芸員のクリザンテームです!
開催を心待ちにしていた「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」展が、東京・丸の内の三菱一号館美術館で始まりましたので、早速オープニングに足を運んでまいりました。

クリザンテームがフォルチュニの名を初めて知ったのは、今から12年ほど前。ヴェネツィア・ビエンナーレという、2年に一度開催される現代美術の大規模な展覧会の関連イベントに、20世紀前半に活躍した芸術家、マリアノ・フォルチュニの旧居兼工房(1975年より美術館として公開)が会場として使われていたのです。

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おりしも、射すような陽ざしが降り注ぐ夏のヴェネツィアで、町中に点在する展示会場を連日足が棒になるほど歩き回り、概念的で社会的なテーマを持つ大量の作品を前に心と頭をフル回転させ、もはや体力の限界も近くなったそのとき、一服の清涼剤のような彼の旧居に行き合ったのです。

こちらが、2007年、「アルテンポ」展開催時のフォルチュニ美術館外観。外壁を覆うようにかけられているのは展覧会時の作品です!
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「ペーザロ・オルフェイ邸」の名で親しまれる15世紀半ば建造のフォルチュニの邸宅。ヴェネツィア・ゴシック様式の厚い壁に守られた室内は、ひんやりとした空気で満ち、どこよりも静かで、町の喧噪とは無縁の別世界でした。

展覧会自体はジャコメッティやジェームズ・タレルはじめ80人を超える近代・現代美術家の作品が一堂に会する見応えのあるものでしたが、美術館の真っ白な空間の中で見慣れたそれらの作品が、邸内の調度品が置かれたままの部屋に配置されると、より雄弁に自ら語りだすようで、とても印象的でした。

邸内には織機のような機械をはじめテキスタイルに関する所蔵品が数多く見出せることから、フォルチュニがその分野の専門家であることは容易くうかがえたのですが、彼の旧蔵品は一分野にとどまらない造詣の深さを物語っていました。邸宅まるごと驚異の部屋のような中で暮らしたマリアノ・フォルチュニとは一体、どのような人物であったのでしょう? その好奇心にかられて、疲労など一瞬で忘れてしまったのです。

調べてみると彼は、ポール・ポワレと同時期に活躍したファッション及びテキスタイル・デザイナーであり、画家、写真家、建築家、舞台芸術家、照明デザイナー等、様々な顔を持った人物とわかりました。
また、香水瓶デザインの方向性を決定づけた、香水史上極めて重要なあの現代産業装飾芸術国際博覧会(1925年、パリ開催。通称「アール・デコ博覧会」)において、テキスタイル部門のグランプリ受賞者として一時代を築いたことも後に知ったのです。

住まいを目にしたことを端緒として、知れば知るほどこの芸術家に興味が湧き、その後、パリや東京など数々の展覧会に足を運びましたが、なかでも三菱一号館美術館のフォルチュニ展は、忘れがたいものとなりました。
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なぜなら、ファッション分野以外での彼の多彩な活動を伝える作品群が、わかりやすく紹介されていたからです。
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また本展は、19世紀後半ヨーロッパを席巻したジャポニスムの影響もよくわかる展示となっています。古典文様の刺繍が施された美しい小袖や着物の型紙などの旧蔵品が出品されているのは、とくに嬉しいところでした。
着物類は彼の母親から妻へと受け継がれたもの。妻はそれを室内着として纏っていたそうです。彼を愛した女性たちの存在もわかり楽しいですね。
流行の先端をゆく女性たちに囲まれながら、フォルチュニは着物をはじめ非西洋の芸術をも吸収して、デザインに活かしていったのです。

その結晶が例えばこちらです! 《「キモノ」ジャケット》(1925年頃)。
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このジャケットの下に着ているのが、あの名高きプリーツ加工ドレス《デルフォス》(1920年頃)です。
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「やはり」といいますか、「何度見ても」といいますか、目にする度に驚きを与えてくれるこのドレスは、発表当時の人々には、今では想像もつかぬほど画期的なものでありました。
なにしろそれまでの女性の装いは、腰をぎゅぎゅぎゅと締め上げる(恐ろしいですね……)コルセットをドレスの下に身に着けるのが美徳とされていました。たとえ内臓を圧迫して健康を害したとしても、その習慣を長いことやめなかったのです。
挙句の果てには、コルセットが原因で気絶をした際に嗅ぐ特別な救急用の香水まで開発され、それを携帯するのがレディのたしなみとまでなっていました。ネックレス型やリング付きの18世紀や19世紀の優美な香水瓶には、そのような事情が隠されていたのですね。

《指輪付き香水瓶》1890年頃、イギリス、白色グラス、金、トルコ石、海の見える杜美術館所蔵

《指輪付き香水瓶》1890年頃、イギリス、白色グラス、金、トルコ石、海の見える杜美術館所蔵

クリザンテームは、これらの型の香水瓶を美術館で扱うたびに、か弱くなるよう強いられていた女性たちの声なき声が聞こえてくるような……(時節柄、夏の風物詩、怪談っぽくしてみました!)

おやおや、つい話題が香水瓶にそれてしまいましたが、今回の主役フォルチュニに話を戻しましょう。
女性にとっては悲喜こもごもといったコルセットの慣習を破ったのが、まさにこの《デルフォス》なのです。
しなやかな上質の絹地は、コルセットを着用しない人間の身体のラインをそのまま浮かび上がらせます。こちらの画像では、ウエストにベルトを使用していますが、もちろん使用せずに、ストンとした直線的シルエットとなるよう着用も可能です。

近寄りますと、サイドには美しいトンボ玉が配されています。さすが東洋と西洋が交わる海運都市ヴェネツィアのドレスですね。
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興味深く感じるのは、コルセットから女性を解放する動きは、フォルチュニだけではなく、ポール・ポワレやジャンヌ・パキャンなど、1906年頃ほぼ同時期に数々のデザイナーたちによって行われたことです。そしてそれらのアイデアソースには、しばしば古代文化があるのも見逃せないことのひとつです。
例えば、ポワレは古代の服装を研究するうちに、重点がウエストではなく肩に置かれていることに気づき、コルセットを排したデザインを発案したといわれています。
フォルチュニの《デルフォス》もまた、古代ギリシャで男性も女性も身に着けていた衣などから想を得たとされています。
本展では、ドレス名の由来となった、19世紀末ギリシャのデルフォイの神殿近くで出土した彫刻《デルフォイの御者》のレプリカ像や、ギリシャ彫刻の写真アルバムも出品されていますので、どうかお見逃しなく。

「ドレスの仕上げに香水を」と、自身のブランドの香水製造に精力的に取り組んだポール・ポワレとは異なり、フォルチュニは香水を生み出しませんでした。しかし彼のドレスを見ていると、ほぼ同時期に、古代文化に思いを馳せて、古代の衣服ペプロスに身を包んだ女性像をボトルやパッケージにあしらった、いくつもの香水瓶の名作が私には浮かんでまいります。
例えば、ガラス工芸作家ルネ・ラリックが手掛けた《アンブル・アンティーク》や、L.T.ピヴェール社の《ポンペイア》等です。

L.T.ピヴェール社 ケース付き香水瓶《ポンペイア》 デザイン:1907年 透明ガラス、海の見える杜美術館所蔵

L.T.ピヴェール社
ケース付き香水瓶《ポンペイア》
デザイン:1907年
透明ガラス、海の見える杜美術館所蔵

コティ社、《アンブル・アンティーク》 デザイン:ルネ・ラリック、1910年 艶消し透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館所蔵

コティ社、《アンブル・アンティーク》
デザイン:ルネ・ラリック、1910年
艶消し透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館所蔵

フォルチュニやポワレのドレス、ラリックらの香水瓶に登場する20世紀初頭の女性たちの衣服からは、女性性を強調したコルセットによるS字シルエットから、古より伝わる男性も使用したI字シルエットへと、価値観を変化させた時代の様子をも見出せます。ユニセックスの香水《ダバ・ブロン》に代表される男装の麗人たちギャルソンヌの流行もすぐそこです。フォルチュニ展の展示室を巡りながら、香水瓶や女性性のあり方の歴史を再確認いたしました。

さて、ドレス《デルフォス》は、発表以来40年以上もデザインを大きく変えずに製造され続け、フォルチュニの死後約70年を経た現在も世界のセレブリティたちにパーティで着用され続けています。時代や地域を超えて愛され続ける源は、異文化や多様性を尊重した彼のエスプリにあるのかもしれませんね。

クリザンテーム(岡村嘉子)

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《今月の一冊》
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シックなデザインの『フォルチュニ展』図録に見惚れていましたら、デザインは、海杜でもおなじみ『香水瓶の世界』展(2010-11年)および『香水瓶の至宝』展(2018年)図録と同様、D_CODE社によるものでした!
至宝展図録

マリアノ・フォルチュニ作品及び展示会場写真は、三菱一号館美術館の提供によるものです。
本記事執筆にあたり、ご協力頂きました三菱一号館美術館の酒井英恵氏と阿佐美淑子氏に心より御礼申し上げます。

「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」
会場:三菱一号館美術館
開催日:2019年7月6日(土)~2019年10月6日(日)
開館時間:10:00-18:00 (祝日・振替休日除く金曜、第2水曜、展覧会会期中の最終週平日は21:00まで)
休館日:月曜日

第8回 香水散歩 フランス
グラース・フラゴナール香水博物館 

 

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こんにちは、クリザンテームです。今回もグラースでの香水散歩が続きます。なにしろ、世界の香水製造の中心地たるグラースには、その豊かな文化を物語る史跡や美術館が目白押しなのです。

今回訪れたのは、フラゴナール香水美術館です。

「フラゴナール」の名を聞くと、18世紀フランスの宮廷画家でグラース出身のジャン=オノレ・フラゴナールを、真っ先に思い出される方がいらっしゃるかもしれませんね。かくいう私もその一人でした。フラゴナールの父は、宮廷における手袋と香水の責任者でありました。この美術館を運営するのは、1926年創業の南仏を代表する香水製造会社フラゴナール社。その社名は、絢爛たるフランス宮廷文化を彩った、フラゴナール一家にちなんでつけられたものなのです。

フラゴナール社の製品は、南仏らしい明るい色彩を多用した、フランスのエスプリ溢れるパッケージ・デザインやグッズでも知られ、パリのサン=ジェルマン・デ・プレやオペラ、ルーヴル美術館カルーセル店をはじめとするフランス各地のブティックは、いつも多くの女性たちで溢れています。

社はまた、その豊かな香水瓶コレクションも名高く、グラースとパリにそれぞれ美術館を持っています。

こちらはパリのフラゴナール香水美術館。

パリ2

そして、こちらがグラースの香水美術館入り口。

入り口

入り口2

両館とも、古代から現代までの膨大な香水瓶コレクションが年代順に陳列されていて、香水瓶の歴史を一望できる作りとなっていますが、その楽しみ方は少し異なっています。

パリの美術館は解説者つき見学が主であるのに対し、グラースでは、来館者の心の赴くまま自由に見られます。またグラースの展示空間は、個人の邸宅に招かれたかのような設えであることも、楽しみの一つでしょう。そのおかげで、より寛いだ気持ちでコレクションを味わえるのです。

例えば、こちらは古代世界の香水瓶展示室。シックな壁色にシャンデリアが映えますね。

内部1

壁の色は、各時代に合わせて塗り分けられています。その色合いのセンスが、また秀逸。

日が射し込んだときのワインボトルのようなライムグリーンや、鮮やかなカシス・レッド、はっとするようなモーヴ色など、これぞフレンチ・シック!とつい言いたくたるような、ニュアンスのある色たちが、各時代の雰囲気を伝え、また美術館全体の印象をさらに強めています。

内部2

こちらは、香水のラベルと香水製造機械の展示。

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内部3

こちらは多種多様なポマンダーがずらりと陳列されています。海の見える杜美術館のお仲間たちがここでも見出せました!

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キャビネットを中心に、古代エジプトのアラバスター製容器、古代ギリシャのアリュバロス、ルネサンス以降のポマンダー、17世紀以降のガラス製、18世紀以降の陶器製やクリスタル製の香水瓶、ネセセール……と歴史を代表する名品が展示されているのですが、クリザンテームがとりわけ注目したのは、グラースならではの芳香容器「ベルガモット」のコレクションです。

こちらです!

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「ベルガモット」とは、18世紀、グラースで栽培された、ミカン科の香木ベルガモット(紛らわしいですね!)の樹皮で作られた小箱です。掌サイズの箱には、優しい色合いのテンペラ画が施されています。アールグレイを淹れると、にわかにふわっと立ち上る、柑橘系のあの芳香がする小箱たち。生活におけるなんと洒落た演出なのでしょう!

画像を拡大して見ると……

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18世紀、グラースのブルジョワ階級の人々にとってベルガモットは欠かせないものでした。彼らはこの中に、キャンディ、嗅ぎ煙草、アクセサリー、ちょっとした思い出の品といった、思い思いの品をおさめていました。技を極めた職人の作る貴重な材の香水瓶もいいものですが、このような樹皮製の小箱も、生活が垣間見えるようで面白いですね。

ちなみに、デメル社やドゥバイヨル社などの、乙女心が刺激される愛らしい図柄のチョコレートの空き小箱を捨てられずに、ついついちょっとした小物を入れしまうクリザンテームは、18世紀のグラースの人々に勝手に親近感が湧いてしまいました!

さて、この美術館の独自性はこれだけではありません。地階において、香水の製造工程の解説ツアーが定期的に催されているのです。

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ずらりと並んだ蒸留器などの機械を前にして聞く解説が、また面白いのです。

男性用香水と女性用香水の成分の違いや、工程に要する時間など、知っていそうで実はよく知らない情報を、丁寧に教えて頂きました。

最後は、ミュージアムショップで、見学の余韻を味わいながら、フラゴナール社の製品選びを楽しみました。

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ふと気づくと、窓の外に夕闇が迫っていました。

クリザンテーム(岡村嘉子)

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◇ 今月の香水瓶 ◇

ポマンダー

 

《ポマンダー》ドイツ、アウグスブルグ、1700-1720年頃、銀、銀に金メッキ、七宝、海の見える杜美術館所蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

第6回 香水散歩 フランス
グラース国際香水博物館 前編

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こんにちは、クリザンテームです。

香水の歴史を知るために、雨空や曇り空が続く冬のパリから、南仏の避寒地コート・ダジュールへとやってまいりました。地中海に面したカンヌやニースから小高い山間部へとのぼると、近代香水発祥の地である小さな町グラースがあるからです。

そのあちらこちらには、香水の研究所や香水専門店、そしてもちろん博物館があり、少し足を延ばして郊外へといけば、グラースの豊かな歴史を支え続ける数々のお花畑があります。それらの写真を見るにつけ、またこの地で数々の香りを嗅ぐにつけ、今回は時期がかなわなかったものの、次こそはラヴェンダーの季節に戻ってこようとの思いが強まります。

グラースには、香水に関する博物館がいくつもあるのですが、まずはもっとも規模の大きい国際香水博物館をのぞいてみました。

エントランスを抜けると、巨大な香水工場に入ったような内装に驚かされます。

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と思うと、邸宅のような建物に迷い込んだり……

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と思うと、冬の果実が彩る、魅力的な中庭に不意に行き当たったり……(あれ!?外に出てしまった?)

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この階段はのぼるべきか否か……また迷子になりそうな予感と好奇心の狭間で悩みます。

この階段はのぼるべきか否か……また迷子になりそうな予感と好奇心の狭間で悩みます。

展示室の次なる扉を開けると、思いもよらぬ空間が待っています。いくつもの建物が連結した広大な博物館内は、入り組んでいるのですね。なにしろ、エントランスと出口も違うほどですので、方向音痴のクリザンテームには大変です!

 

さて、展示室の構成は、海の見える杜美術館の常設展示室同様、古代エジプトから現代までの香りの容器が時代と地域ごとに分類展示されています。順路が正しく辿れた暁には(!)、香りの悠久の歴史を辿ることができるでしょう。

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順路に沿って、古代から……

香りの器がずらりと並ぶ古代ギリシャ・ローマ展示室。

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18世紀展示室では、これこそ究極のネセセールのひとつと、つい言いたくなるような作品が見られます。象牙製ケースにおさめられた、マリー=アントワネットの旅行用ネセセールです。

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20世紀は、社会の大きな出来事の記述ともに、なんと一年毎に代表する香水瓶が展示されています!

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順路通りに辿れず、戻ってしまった時代の展示室では……

まあ!とても親近感の湧く二つの香水瓶が! このように海杜のコレクションのお仲間たちもこちらでは多数発見できます。その相違を確かめるのもまた楽しみのひとつですね。

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次回の後編では、グラース香水博物館の調香に関する展示室や、皮手袋について取り上げます。香水散歩をまたご一緒にお楽しみくださいませ。

 

クリザンテーム(岡村嘉子)

◇ 今月の香水瓶 ◇

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《セント・ボトル》イギリス、セント・ジェイムズ1760年頃 右《双口セント・ボトル》イギリス、セント・ジェイムズ1755年頃、ともに海の見える杜美術館所蔵

 

 

 

 

 

 

 

第5回 香水散歩 パリ装飾美術館
「ジャポニスムの150年」展

パリ

こんにちは、クリザンテームです。

今回は再びパリから最新情報をお届けします。 本年2018年は、日本とフランスにとって、交流160周年という記念の年です。この春、当館で開催された「香水瓶の至宝展」のチラシの片端にも、小さくそのマークが記されているのはお気づきになられましたか?

香水瓶ちらし表紙

↑ここです!

↑ここです!

パリ装飾美術館、ミュージアムショップのショー・ウィンドウもジャポン一色!

パリ装飾美術館、ミュージアムショップのショー・ウィンドウもジャポン一色!

今年2018年のフランスでは、各地で関連イベントが行われています。伝統芸能や現代演劇の野田秀樹や宮本亜門演出作品の上演や講演会等々、華々しい催しが盛りだくさんですが、もちろん美術館も例外ではありません。

魅力あふれる数多の展覧会の中でも、私が最も楽しみにしておりましたのは、11月中旬からパリ装飾美術館で始まりました「ジャポニスムの150年」展です。

貴重なパリ万博資料をはじめ、パリ装飾美術館や国立ギメ東洋美術館等のフランスの美術館が所蔵する日本美術コレクションや、日本美術に影響を受けたフランス人芸術家の作品、さらには現代日本の工芸品やドレスなどが、2000㎡を超える展示会場に陳列されています。約1400点というその膨大な出品点数たるや、どれほどのものであるのかがおわかり頂ける画像がこちらです。

展示室

展示室2

このような展示室がいくつも続きます! 一点一点をじっくりと見る場合、期間中に何度も足を運ばなくては、すべてを見終えられないでしょう。

そこで訪問第1回目は、限られた時間の中で、主要作品を中心に展示全体を見ようと努めました。とはいえ、当館所蔵の香水瓶でも人気の高い、宝飾デザイナーのリュシアン・ガイヤールが手掛けたかんざしは、その美しさに思わずため息が出て、時間を忘れて拝見してしまいました。

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家として名を馳せたガイヤールは、植物の表現が実に巧みです。

リュシアン・ガイヤール《かんざし、スピノサスモモの花》1904年頃、べっ甲、ダイヤモンド、金、銀、パリ装飾美術館蔵

リュシアン・ガイヤール《かんざし、スピノサスモモの花》1904年頃、べっ甲、ダイヤモンド、金、銀、パリ装飾美術館蔵

こちらは、当館所蔵のヤグルマギクをモチーフにした、リュシアン・ガイヤールが手掛けた香水瓶。クラミー社、デザイン1913年。

こちらは、当館所蔵のヤグルマギクをモチーフにした、リュシアン・ガイヤールが手掛けた香水瓶。クラミー社、デザイン1913年

本展覧会は、その斬新な展示方法でも、学芸員としてはメモをとることしきりでした。例えばこちらはクリザンテーム、つまり「菊」をモチーフにした作品の展示室。展示台がアヴァンギャルドですね。

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まるで展示台が浮いているようです!

私が美術館を訪れたのは、来館者が比較的少ない平日の昼下がりでした。展示室を巡っていると、お話好きなパリジェンヌたちに何度も話しかけられました。そして、その度ごとに、ついつい長話……。本展覧会の訪問第1回目の時間は、あっという間に過ぎていきました。

しかしながら、美術鑑賞を通じて互いが身近に感じられる、日仏交流160周年という特別な年を満喫いたしました。

思いがけないちょっとしたおしゃべり、長い年数をかけて使用するからこそ起こる数々の故障類……、何をするにも予想外に時間がかかる、このフランス時間が、ときに人生には必要なのかもしれませんね。

 

クリザンテーム

 

この季節にぴったりの松かさをモチーフにしたデザイン。 リュシアン・ガイヤール《香水瓶、松かさ》1913年頃、ニース・フロール社、海の見える杜美術館所蔵

この季節にぴったりの松かさをモチーフにしたデザイン。
リュシアン・ガイヤール《香水瓶、松かさ》1913年頃、ニース・フロール社、海の見える杜美術館

第4回 香水散歩 東京都庭園美術館
「エキゾティック×モダン、 アール・デコと
異境への眼差し」展内覧会 後編

こんにちは、クリザンテームです。

前回同様、東京・白金にある東京都庭園美術館で開催の「エキゾティック×モダン、アール・デコと異境への眼差し」展オープニングレセプションと内覧会の夜が続きます。

さて、ポール・ポワレ着用のガウン《ローブ》の展示場所も、また忘れがたきものでした。美術館のロゴマークにも採用された、アンリ・ラパンのあの名高き《香水塔》の隣に並んでいたのです。

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会場風景 ポール・ポワレ《ローブ》の後ろにアンリ・ラパン《香水塔》

 

私は、ちょうど一年ほど前「香水瓶の至宝展」図録の翻訳作業中に出合った、ポワレの次の言葉を思い出しました。

「私のドレスは、あなたの身体のために作るもの。

私の香水は、あなたの魂のために作りたい」

これは、香りが精神に及ぼす効果をよく理解していた、ポワレならではの言葉と言えるでしょう。

展示風景 ブロデールやバルビエのデザイン画やポワレのアフタヌーン・ドレスが、壁の装飾にぴったり合っていますね!

展示風景 ブロデールやバルビエのデザイン画やポワレのアフタヌーン・ドレスが、壁の装飾にぴったり合っていますね!

ところで、当時の異文化へのまなざしを考える上で、1931年にパリで開催された「植民地博覧会」に象徴される、当時の植民地の存在が看過できぬことも、この展覧会は教えてくれます。

展示室をめぐりながら、一アジア人として、また一日本人として、時代と表現をどのようにとらえ、未来に活かすのかを、鋭く突き付けられました。

 

会場風景 フランソワ・ポンポン《シロクマ》1923-33年とジャン・デュナン《森》20世紀前半

会場風景 フランソワ・ポンポン《シロクマ》1923-33年とジャン・デュナン《森》20世紀前半

雨後の清らかな香り先で、見応えのある展覧会に出合い、ふと立ち止まって歴史を考える、いい時節になったことを実感いたしました。

クリザンテーム

「香水瓶の至宝」展時(2018年3月~7月)に公開した、ポール・ポワレ・ロジーヌ社の《香水瓶》1912年頃、透明ガラス、七宝、海の見える杜美術館美術館蔵。 なんと手描きです!

「香水瓶の至宝」展時(2018年3月~7月)に公開した、ポール・ポワレ・ロジーヌ社の《香水瓶》1912年頃、透明ガラス、七宝、海の見える杜美術館美術館蔵。
なんと手描きです!

本記事執筆にあたり、ご協力頂きました東京都庭園美術館の関昭郎氏に心より御礼申し上げます。

写真は、内覧会にて主催者の許可を得て撮影したものです。

「エキゾティック×モダン、アール・デコと異境への眼差し展」

会場:東京都庭園美術館

開催日:2018年10月6日(土)~2019年1月14日(月・祝)

開館時間:11:00-18:00 (夜間開館あり、詳細は下記公式ウェブサイトご参照ください)

休館日:第2・第4水曜および年末年始

2019年1月22日(火)より群馬県館林美術館に巡回

https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/

第3回 香水散歩 東京都庭園美術館 
「エキゾティック×モダン、 アール・デコと
異境への眼差し」展内覧会 前編

庭園美術館

こんにちは、クリザンテームです。

金木犀の甘い香りに誘われて、そぞろ歩きに心が弾む季節ですね。とりわけ、雨上がりの静かな庭を散策するのは、至福のひとときです。もしその先に、美しい作品の数々が待っていたら……、その喜びを表すのに、どれほど言葉を尽くせばよろしいのでしょう。

このほど、東京・白金にある東京都庭園美術館で開催の「エキゾティック×モダン、アール・デコと異境への眼差し」展オープニングレセプションと内覧会を顧みると、私はまさにそのような思いを抱くのです。

緑深い庭園の先に佇む、優美なアール・デコ様式の旧朝香宮邸を、今に伝える東京都庭園美術館。

海の見える杜美術館所蔵の香水瓶コレクションが、東京で公開された折も(「香水瓶の世界 きらめく装いの美」展、2010-11年)、会場はこの美術館でしたが、こちらは、装飾芸術と自然の豊かな香りを同時に堪能できる、東京随一の美術館と言えるのではないでしょうか。

さて、本展覧会は、フランスにおけるアール・デコの代表的な芸術家たちが、非ヨーロッパ圏の異文化をいかに見つめ、制作に活かしたのかをテーマとしたものです。アフリカやアメリカ、アジアに取材した装飾品や家具、絵画、彫刻はもちろん、貴重な資料がずらりと並び、時代の姿を立体的に見ることができます。

グルー4MP ドレス2MP展示風景 左:アンドレ・グルー《椅子》1924年頃のセットを中心に。右:ポール・  ポワレ《デイ・ドレス》1920年頃、東京都庭園美術館蔵

 

なかでも私は、ファッション・デザイナー、ポール・ポワレ自身が着用した室内用ガウン《ローブ》(1920年頃)が、深く印象に残りました。

ほっそりとしたシルエットのドレスやデザイン画が並ぶなかにあって、恰幅のよい彼の体に合わせたガウンには、時代の先駆者としての彼の威厳と自信が伝わってくるようで、その存在感に圧倒されたのです。

poiret robe 4MP

会場風景 ポール・ポワレ《ローブ》の後ろにアンリ・ラパン《香水塔》

 

赤い生地に龍文様が鮮やかに浮かび上がるこのガウンは、ポワレが設立した香水製造会社ロジーヌ社の香水瓶「ニュイ・ドゥ・シーヌ(中国の夜)」(1913年)と同様、中国から想を得たものでした。

その堂々とした存在感を前にすると、裾の広がったシルエットを、本展覧会企画者の関昭郎氏が「清朝の皇帝服のよう」とご指摘なさるのも頷けます。

さて次回の後編では、本展覧会テーマの背景を取り上げます。どうぞお楽しみに!

クリザンテーム

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「ニュイ・ドゥ・シーヌ(中国の夜)」の香水瓶、1913年、厚紙、布、絹、海の見える杜美術館蔵

 

本記事執筆にあたり、ご協力頂きました東京都庭園美術館の関昭郎氏に心より御礼申し上げます。

写真は、内覧会にて主催者の許可を得て撮影したものです。

 

「エキゾティック×モダン、アール・デコと異境への眼差し展」

会場:東京都庭園美術館

開催日:2018年10月6日(土)~2019年1月14日(月・祝)

開館時間:11:00-18:00 (夜間開館あり、詳細は下記公式ウェブサイトご参照ください)

休館日:第2・第4水曜および年末年始

2019年1月22日(火)より群馬県館林美術館に巡回

https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/

第2回 香水散歩  パリ・マレ地区
 エディション・ドゥ・パルファン
フレデリック・マル社ブティック

こんにちは、学芸員のクリザンテームです。前回のコニャック=ジェイ美術館訪問と同様、今回もパリ・マレ地区での散策が続きます。

なぜならこの地区には、香水専門店をはじめとする魅力的なお店がひしめきあっているからです。

なかでも、エディション・ドゥ・パルファン フレデリック・マル社のブティックは、シックな黒い外観でひときわ異彩を放つ存在です。

画像1(画像1)ブティック外観

 

フレデリック・マルについては、当館の企画展「香水瓶の至宝 ――祈りとメッセージ」の図録に収録されたマルティーヌ・シャザル氏の論文においても、新世代の香水アーティストとして言及されていますね。

彼が現代の香水界における革命児の一人といわれるゆえんを、私はブティックで改めて思い知らされることになりました。

まず驚くのは陳列された香水瓶がすべて同じデザインであること。しかもラベルには調香師の名前と香水名が併記されているではありませんか!

つまりここでは、調香師は決して影の存在ではないのです。あたかも本の著者名のように明記されているため、調香師名をたよりに香水を選ぶこともできるのです。

これでブランド名に冠せられた「エディション・ドゥ・パルファン」(エディションはフランス語で「出版社」)の意味にも納得させられます。

画像2(画像2)ジャン=クロード・エレナ作『冬の水』エディション・ドゥ・パルファン フレデリック・マル社。
エレナは、エルメス社「庭園のフレグランス」シリーズで知られる調香師。ちなみにクリザンテームは
同シリーズ『李氏の庭』がお気に入り。

ところでフレデリック・マルが採用したもうひとつの斬新な手法、それは新たな香りを世に出す際にはマーケティングに依存せず、調香師たちが生み出したいと願う香りを製品化することでした。

あらゆる分野においてマーケティングが主流となった今日では、実に勇気あることと言えます。

ラベル上の調香師たちの名は、そのようなマルの潔さをも表しているのですね。

画像3(画像3)調香師たちの肖像画がずらり。

シンプルを極めた香水瓶が置かれているのは、一転して個性豊かな空間です。

なんと壁も天井も鏡張りなのです。さらに有機的な形の木製キャビネットが設置されています。落ち着いた照明も相まって、SF小説で描かれる近未来へ来てしまった気がしてまいります。

画像4(画像4)ブティックのインテリア。

私はこちらで香水専用試着室を体験いたしました。                                                     「試着」とはいっても、ここで纏うのは服ではなく香水。            下の画像のようなキャビネットの中に香水を吹きかけて頂き、香りを嗅ぎます。

暗闇の中に立ち上る芳香。 一瞬にして言葉を失います。

嗅覚を研ぎ澄まして出会う香りは、かようにも雄弁であるのかと気づかされました。

 

クリザンテーム(岡村嘉子)

 

画像5(画像5)「さあ、どうぞ」 ムッシューが香水試着室の扉を優雅に開けてくれます。照明の灯る右隣の棚は

     温度を一定に保つ香水専用のカーヴです。

Remerciements

本記事執筆にあたり、ご協力頂きましたエディション・ドゥ・パルファン フレデリック・マル社のデルファン氏およびエリカ・ペシャール=エルリー博士に心より御礼申し上げます。Je tiens à exprimer mes remerciements à Delphin, Editions de Parfums Frédéric Malle et Dr. Erika Pechard-Erlih qui ont permis de réaliser cet article.

第1回 香水散歩  パリ マレ地区 
   コニャック=ジェイ美術館 

はじめまして。海の見える杜美術館の香水瓶担当の学芸員クリザンテームです。香水瓶や美術作品を求めて、日本はもとより世界中を旅しています。

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本日は、パリの中世の街並みが残るマレ地区へまいりました。まずはコニャック=ジェイ美術館を訪問いたします。というのも、こちらの美術館では、当館所蔵の香水瓶(画像1-5)と同時代にあたる18世紀美術の素晴らしいコレクションを見ることができるからです。

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1《ネセセール》イギリス、1760-1765年頃、瑪瑙、ルビー、金、象牙、ガラス、海の見える杜美術館
2《香水瓶》フランス、1720-1730年、金属に金メッキ、海の見える杜美術館
3《ネセセール》フランス、1785年頃、マザー・オブ・パール、銀、透明ガラス、金属に金メッキ、海の見える杜美術館
4《香水瓶》フランス、1785年頃、透明ガラス、金、象牙、海の見える杜美術館
5《香水瓶》フランス、1740年頃、金、海の見える杜美術館

 

パリで最も古い建物のひとつ、ドノン館に設えられた展示室には、デパート「サマリテーヌ」の創業者夫妻が蒐集したロココ様式や新古典様式の絵画や家具調度品による、18世紀の室内空間が再現されています。《ネセセール》等の香水瓶が好まれた、当時の王侯貴族の生活をより理解するには、まさにうってつけの場所といえるでしょう。

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コニャック=ジェイ美術館展示室
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展示室に足を踏み入れると、そこには曲線美を誇る寄木細工の家具や金銀細工の燭台セット、マイセンをはじめとする磁器製品といった、18世紀美術を特徴づけるものがずらりと並んでいます。キャビネットの中には、当館所蔵作品と同型の作品がいくつも見出せました。

当時は、画家でいえば「雅宴画」を得意としたヴァトーやフラゴナールらが活躍した時代ですが、コニャック=ジェイ美術館にかけられた絵画や何気ない装飾の中にも、恋愛の駆け引きの場面が生き生きと描かれていました。それらからは、18世紀には雅な情事が人々の道楽でありエチケットでもあったことがよくわかります。 私はふと、当館所蔵のセント・ボトルとボンボニエール(菓子器)が一体となった作品を思い出しました。かつてそのボンボニエールには、香り付きドロップスが入れられていたといわれています。宮廷において、愛のささやきの効果を得るためには、香水はもちろんのこと、口臭にも気を配る必要があったのですね。この美しい室内空間にいると、吐く息までも香り豊かなものでありたいと願う昔日の貴族たちの姿が身近に感じられるのです。

クリザンテーム

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《セント・ボトルとボンボニエール》イギリス、サウス・スタフォードシャー、ビルストン、1760年頃、七宝、金属に金メッキ、海の見える杜美術館

 

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ジャスミンが香る中庭で一休み。