うみもり香水瓶コレクション14 キャロン社《プール・ユンヌ・ファム》

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。ご好評を頂いている秋季の企画展「美人画ラプソディ・アンコール――妖しく・愛しく・美しく」も、まもなく会期終了を迎えようとしています。前回のブログ「うみもり香水瓶コレクション」では、企画展のテーマのひとつ「女の装い プラス・マイナス」(女性が身繕いをしている姿やそれを解いた姿をとらえた作品群)にちなみまして、「番外編 フランス」と題し、スキャパレリ社《ショッキング》を取り上げました。今回はその続きで、この機会にぜひお目にかけたいキャロン社の香水瓶をご紹介いたします!

こちらの香水瓶です。👇

プール・ユンヌ・ファム

キャロン社 、香水瓶《プール・ユンヌ・ファム》デザイン:フレデリコ・レストレポ、2001年、透明クリスタル、リボン、製造:バカラ社 海の見える杜美術館CARON, POUR UNE FEMME WITH ITS CASE Design by Frederico RESTOREPO -2001, Transparent crystal, ribbon, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

今回も女性のボディをかたどった香水瓶です。前回の《ショッキング》と並べてみると、その相違がわかりますね!

左:スキャパレリ社 、香水瓶《ショッキング》デザイン:レオノール・フィニおよびピエール・カマン、1937年、透明ガラス、彩色ガラス、海の見える杜美術館RENE LALIQUE, SHOCKING FLACON Design by Leonor FINI and Pierre CAMIN  -1937, Transparent glass , color glass, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

スキャパレリ社《ショッキング》は、巻き尺が首にかけられた仕立て用ボディが表現されており、鮮やかな色合いと花々の装飾も相まって、華やいだ雰囲気に満ちています。この香水瓶からは「これからどんな素敵なドレスに仕上がるかしら?」と目を輝かせる女性の顔が浮かんでまいります。

一方、キャロン社《プール・ユンヌ・ファム》では、体型にぴったりと合ったドレスを纏い、三面鏡の前に立つ全身像が表現されています。ここでは、「今夜はどんな楽しいことがあるかしら?」という期待に胸をはずませつつも、決してそれだけではないように思えます。鏡の前では、パーティの装いの最終チェックを欠かさない女性の真剣かつ冷静なまなざしをも浮かんでくるのです。三面鏡を配した2001年の限定エディション用の専用ケースが、香水瓶単体では紡ぎ得なかった物語を語っているかのようです。

ところで、私はこの香水瓶を初めて目にした時に、思わずうなり、感嘆してしまいました。それはひとえに、香水瓶の構造に起因しています。香水瓶のキャップが、思いがけないところにあったのです。

皆様は、どちらにキャップがあるかおわかりになりますでしょうか? スキャパレリ社《ショッキング》とは反対に、ドレスの足元、つまり瓶の底に配されているのです。これは香水瓶の歴史において、大変珍しい形です。ここにはどのような意味が込められているのでしょうか?

プール・ユンヌ・ファム3

👆この部分です!©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

一般的に、レディの装いは常に何かを付け加えていくこととで完成します。ドレスを一枚纏えば、それに合う手袋やジュエリーを着け、場合によっては帽子やティアラ、髪飾りを頭部に頂きます。そして香水は装いの仕上げとして用いられてまいりました。こうして近代以降、ドレスと香水は切っても切り離せない関係にあったのですが、《プール・ユンヌ・ファム》ではそう単純な話ではないようです。なにしろ、香水を使えば使うほど、ドレスに見立てられた香水は減っていってしまうのですから! 大事なドレスは静かに足元の方へと次第に下がっていき、最終的にはすっかり脱げてしまうのです。

しかしそれは決して悲しいことではないでしょう。なぜならドレスを脱いで、生来の姿となった先にあるのは、ドレスが体現していた社会的役割や経歴――あるいはときに虚飾の混じる世界――から解き放たれて、ただ一個の、今を生きる裸の人間になることです。そのありのままの姿となった女性は、なんと気高く美しいのでしょう。

話を冒頭に戻しますと、前回と今回のテーマは「女性の装い プラス・マイナス」です。ドレスを纏い、鏡の中の自分を真剣に見つめていた女性は、装いを解いた自らの姿をも、勇気をもって冷静に直視し、受け入れることでしょう。マイナスがもたらす美が表現されたこの香水瓶に、私は21世紀の知性ある美しき女性像を見る思いがするのです。

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

うみもり香水瓶コレクション13 スキャパレリ社《ショッキング》

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。金木犀が香り、すっかり秋らしくなってまいりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

現在、海の見える杜美術館では企画展「美人画ラプソディ・アンコール―妖しく・愛しく・美しく―」が行われています。明治以降の日本の画家たちが表現した様々な女性美を紹介する展覧会です。会場の出品作品は4つのテーマに分けられていますが、そのうちの一つ「第3章 女の装い プラス・マイナス」では、下の画像のような女性が身繕いをしている姿やそれを解いた姿をとらえた作品が展示されています。岡本神草が描いた女性のこの表情は全体の優しい色合いと黒髪に引き立てられて、はっとする美しさですね。

岡本神草《梳髪の女》後期

岡本神草《梳髪の女》大正15年(1926年)頃、©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ※『美人画ラプソディ・アンコール』展の展示期間後期(10月5日~)出品作品

そこで今回は、「女の装い プラス・マイナス番外編 フランス」として、ヨーロッパの香水瓶において同テーマに該当する作品をご紹介したいと思います。

まず一つ目は、服飾デザイナーのエルザ・スキャパレリが1937年に発表した《ショッキング》です。こちらです👇

画像1

スキャパレリ社 、香水瓶《ショッキング》デザイン:レオノール・フィニおよびピエール・カマン、1937年、透明ガラス、彩色ガラス、海の見える杜美術館SCHIAPARELLI, SHOCKING FLACON Design by Leonor FINI and Pierre CAMIN  -1937, Transparent glass , color glass, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

美人画展に合わせたと申しながら、いきなり顔のない人体を登場させて驚かせてしまいますが、どうかお許しください! 目の覚めるように鮮やかなピンク「ショッキング・ピンク」の生みの親であり、「モード界のシュルレアリスト」「奇想天外志願者」とも称されたスキャパレリの香水瓶ですので、一筋縄ではいかないことをご諒承くださいませ。

しかし、顔のない人体とはいえ、肩にはなにやら可愛らしいお花もたくさんついていますし、決して不気味な印象は受けませんよね!? よく見ると、首には巻き尺が掛けられ、首の上には金色のヘッドキャップがついています。そう、こちらは洋装の仕立て用ボディ(トルソー、裁縫用マネキンともいいます)をかたどった香水瓶なのです。肩のお花は、お遊びのように添えられた装飾ですね。言葉通り、エレガントに華を添えています。

この香水瓶は、瓶本体だけでは完結しません。瓶に加えて、あたかも貴重品のように、ガラスのドームで覆う仕様になっています。ドームの縁には、花嫁が頂く伝統的な冠のレース模様が施されています。

画像2

それらを収めるケースも、まるでダイヤのブレスレットあたりが入っていそうなジュエリー・ケースを思わせるデザインです。もちろんこちらにも繊細なレース模様が転写されています。

この香水瓶のデザインを完成させたのは、シュルレアリスムの影響を受けた女性画家レオノール・フィニとガラス工芸作家のピエール・カマンです。夜の闇の中に浮かぶような、フィニの幻想的な絵画に比べると意外なほど、明るく華やいで開放的な印象を受けますが、それはデザインの注文主であるスキャパレリ自身の最初の構想を尊重したものであるからでしょう。

ジュエリーのような高級感とユーモアに満ちたこの香水瓶に入れられたのは、常識を打ち破る香水を誕生させたいというスキャパレリの希望通りに調合された、奇抜かつセンシュアルな独特な香り。当然のことながら、発表当時から、多くの人々をあっと驚かせ、斬新な香りに魅せられる人々が続出し、大成功をおさめました。

さて、ときには顧客を奪いあうほどに、同時代に活躍したシャネルとは長年のライバル関係にあったエルザ・スキャパレリですが、前者が男性的で直線的なシルエットによってミニマリズムを追求したことに対し、後者のスキャパレリは女性的な曲線を多用し、装飾を積極的に用いたという大きな違いがあります。

また、スキャパレリの特徴として特筆すべきなのは、同時代の芸術家たち、とりわけダダイストやシュルレアリストといった前衛芸術家たちと親しく交わり、しばしば彼らとコラボレーションをしながら、ドレスや靴や帽子が、そのまま芸術作品となるようなファッションを提案したことです。つまり、彼女はファッションに芸術を持ち込んだのです。

それは、リンチェイ・アカデミー図書館長を務める東洋学者の父を筆頭に、著名な天文学者やエジプト学者を輩出した学者一族と、ルネサンスの大パトロンであるメディチ家の末裔を母にして、現在はローマの国立古典絵画館となっているコルシーニ宮で生を受けたときから既に運命づけられていたのかもしれません。彼女の家庭環境は、第一級の学問と芸術が常に身近なところにあり、日々の装いとはそれらと分かちがたく結ばれていたのでしょう。

しかも1890年生まれの彼女が青年時代を迎える1900年代から1920年代にかけては、欧米各地で、前衛芸術が生まれた時期に当たります。スキャパレリは、イタリアを出て、結婚、出産、離婚を経験しながら、イギリス、ニューヨーク、パリで暮らすなかで、各地の最新のファッションと芸術家たちと知り合っていきました。なかでもサルヴァドール・ダリとは、その型破りな独創性を持つ個性同士で、気が合ったのでしょう。1935年にパリのヴァンドーム広場に新たなブティックに開店させた年に、同広場に面したホテル・ムーリスに住むダリと知り合うと、彼の絵画やデッサンを基にしたドレスや帽子を次々と作り、長きにわたって協力関係を築きました。例えば、逆さまにしたハイヒールの形の帽子や、前身ごろに引き出し型のポケットを多数つけて、チェストに見立てたジャケットなど、現在も語り草となるような、かつて誰も見たことのなかったデザインを生み出しています。

ところで、マドンナが監督をした映画『ウォリスとエドワード』においても、エドワード8世と結婚しウィンザー公爵夫人となるウォリス・シンプソンが、会食にてスキャパレリのドレスを話題にする場面がありましたが、スキャパレリのドレスは、洗練された上流階級の女性たちの間で人気を博し、とりわけ社交の折には欠かせないものとなっていました。それらに加えてマレーネ・ディートリッヒ、グレタ・ガルボ、アルレッティといった名だたる女優たちも、スクリーンの中だけでなく日常着として、スキャパレリの服を纏ったため、映画が全盛の時代において、無数の女性たちの憧れとなっていったのです。

実は、香水瓶《ショッキング》の仕立て用ボディも、スキャパレリの顧客であったアメリカの女優、メイ・ウェストの体型を再現したものと言われています。なんでも、ドレスの寸法のために来店する時間を惜しんだメイ・ウェストが、正確な寸法のボディを送ってよこしたものを模したとのこと。道理で、香水瓶のシルエットがグラマラスなはずですね!

それにしても、この仕立て用ボディからは、これから一体どのようなドレスが生まれるのでしょう? 本作品を見ていると、女性が新たな一着に出合うときの、期待に胸を膨らませた華やいだ気持ちまでも伝わってきます。

女性の美を最も輝かせるのは、ひょっとしたら流行のファッションそのものではなく、このような、一歩先の未来を夢見る、無邪気で明るい心なのかもしれませんね。スキャパレリの遊び心に満ちた香水瓶がもたらす心の作用をひしひしと感じつつ、今一度「美人画ラプソディ・アンコール」の展示作品とじっくりと見比べたいと思います。

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

「山田勝二時計店(山田時計店)」の引札

山田勝二時計店

日の出を思わせる朱色の丸の上に1羽の鶴が佇んでいます。
横に添えられた短冊には「不相変御引立之程奉願上 鶴(花押)」。
まるでこの鶴が「今年も変わらずに御引立てください」と言っているようです。

鶴の目線の先には新年のあいさつ「謹賀新年」と、この引札を配布した商店の住所と名前「金澤市尾張町 山田勝二時計店」が記されています。ですので、なじみのお客様に新年のあいさつをしているのは山田勝二時計店、ということがわかります。

この引札はいつ頃配られたものでしょうか。山田勝二時計店は、明治5年創業の初代山田勝見時計店の2代目にあたります(※1)。明治30年「開業広告」と銘打って北国新聞に出した山田勝二時計店9月12日オープンの広告がある(※2)ので、この時から2代目である山田勝二時計店が始まったと思われます。また、この引札にはお店の電話番号が掲載されていません。山田勝二時計店は明治35年頃に電話番号を取得(※3)しています。ですからこの引札は、明治31年以降明治35年以前の正月に配布されたものと考えるのが妥当です。

この引札は何のために配られたのでしょうか、「謹賀新年」とあるだけで、詳しい住所や商品の宣伝文句などほかに何も書いていません。ですから、この時計店のことを全く知らない人にむけて宣伝のために配ったのではなく、なじみのお得意様にむけた新年の御挨拶のようです。

以上のことをまとめると、この引札は、明治31~35年(1898~1902)の正月に、金沢市尾張町の山田勝二時計店が、なじみのお客様に向けて、一年の御愛顧を願って配布したものと考えてよいのではないでしょうか。

このたびは、本引札の発行店である、石川県金沢市尾張町2-10-15 株式会社 山田時計店 社長 山田正雄様に数々のご教示を賜りました。山田時計店は明治5年に北陸初の時計店として開業し、今年創業150年目を迎えておられます。日本初の腕時計を製作した服部時計店(セイコーホールディングス株式会社)の創業は明治14年(1881)ですからそれより長い歴史を有し、セイコーのマスターショップとして強い信頼関係のもとに数量限定の入手困難な型の時計もそろうので、全国各地から問い合わせが途絶えません。また、この長い歴史を有するプライドなのでしょうか、山田時計店は年中無休・メカニック常駐で、修理については他店で断られたものでも問い合わせを受けるという姿勢を貫いておられます。

店舗の3階には「老舗時計資料館」としてゼンマイ仕掛けで動いていた時計や蓄音機に始まる歴代の商品を並べ、商いの足跡を展示しておられます。

この引札にいざなわれて、ぜひ一度金沢の山田時計店に足を運ぶ計画を立てて見られてはいかがでしょうか。

海の見える杜美術館では下の通り「引札」の展覧会を開催します。本展は所蔵する2000点を超える引札の中から約 150 点を選びだし、明治期の引札の魅力を紐解いてゆくものです。目くるめく引札の世界をぜひお楽しみください。
【展覧会名】 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
【会  期】 2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
【休  館  日】月曜日
【会  場】 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

青木隆幸

※1. 本引札が現山田時計店の物であることは、㈱山田時計店 社長 山田正雄様がご確認のうえ、以下のことをご教示くださいました。
・初代 山田勝見は、前田藩の下級武士で江戸時代の終わりとともに職を失い(当時20代半ば)、一念発起して長崎で時計の技術を習得し、明治5年に尾張町で店を開いた。
・正式に商売願いを出して認められたのは、明治7年。添付資料の通り。
商売願い
・山田勝二は勝見の長男(2代目)。

※2.
新聞広告明治30年(株)山田時計店提供 北國新聞 明治30年(1897)

※3. 引き札(株)山田時計店提供
この引札の通り、山田勝二時計店は電話番号「261」を取得しています。明治34年(1901)に金沢に電話が開設され、当初の加入者は183人(金沢市史編さん室編『金沢の百年 市史年表 明治編』金沢市 1965)だったので、電話番号200番台の取得は明治35年(1902)頃と考えられます。

 

 

「よしだや(吉田屋山王閣)」の引札

よしだや 吉田屋山王閣 引札

明治時代中頃のお正月、旅館がなじみのお客様に配った引札です。新年の御挨拶が書かれています。

「新年の御慶目出度申納候/先以舊年中は不一方御引立ニ預り/日々隆盛ニ趣き候段深く御禮申上候/猶時節柄御手軽を旨とし御待遇方/注意可仕候間本年も不相変御入湯の/節ハ御尊来の程只管奉希上候 謹言/一月元旦/加賀山代温泉場/よしだや事/吉田初次郎」

ざっくり現代風に改めますと「新年おめでとうございます。旧年中はお引き立て下さり大変ありがとうございました。日々隆盛にしておりますのは皆様のおかげとお礼申し上げます。時節柄お手軽にしておりますが丁寧な接遇につとめてまいりますので、本年も温泉にお越しの際は引き続き当旅館をご利用くださいませ。」といったところでしょう。 いつからこのように引札で新年のあいさつをするという習慣が始まったのかはっきりしないのですが、明治時代の旅館が配る引札には、このように挨拶文が書かれたものが多いです。年賀状の歴史とあわせて考えなくてはならないかもしれません。 ところで最後に記されている「よしだや」とは、今も続く名湯「吉田屋 山王閣」(石川県加賀市山代温泉13-1)の名前です。このたび吉田屋山王閣様には作品の確認などに懇切丁寧なご協力をいただきました。

明治32年10月30日北国新聞付録の番付「加越能三州宿屋料理屋投票得点数」を確認すると、山代温泉から得票順に「荒屋」「出藏屋」「蔵屋」「白銀屋」の名前を確認することができますが、そこに「よしだや」(吉田屋)の名前はありません。この頃は大きな旅館ではなかったのでしょう。吉田屋山王閣の御主人によりますと「よしだや」の古い記録は残っていないのではっきりしたことは言えないそうですが。吉田屋山王閣の前身と考えて良いだろうとのことでした。その後の経営努力で今日の隆盛を果たされたのだと思うと改めて歴史の重みを感じます。また吉田屋山王閣は「くらや」(蔵屋)の流れも受け継いでおられるとのことですので、この番付にある「蔵屋」の後継でもあるかもしれません。

ぜひ吉田屋山王閣様のホームページをご覧ください。源泉かけ流しの露天風呂・貸切風呂・内湯を擁し、歴史と現代性を兼ね備えた魅力的な温泉です。ご旅行の予定に組み込んでみてはいかがでしょうか。

そういえば、吉田屋の御主人からいろいろとご教示いただいた中で、当館にある山代温泉「でぐらや 伊豆蔵安平」の引札について興味深い示唆をいただきました。現在「でぐらや」という旅館はないのですが、昔「いづくら」という旅館があり、今も伊豆蔵さんという方はいらっしゃる。もしかしたら「でぐら=出蔵=いづくら=伊豆蔵」ではないか。とのことでした。 なるほど確かにそのような展開はありそうです。「でぐらや 伊豆蔵安平」の引札は先に上げた番付の「出藏屋」の引札なのかもしれません。下の「でぐらや 伊豆蔵安平」の引札3点を眺めてみてください。番付の上位に上るほどの隆盛を誇っていたせいか、印刷も凝った仕上げになっています。3枚3様、異なる技術で印刷されているのです。

でぐらや 引札2平版(木版 石版転写 多色刷)

でぐらや 引札1平版(木版 写真製版 石版転写 多色刷)

でぐらや 引札3平版(アルミ板 アルモ印刷)

海の見える杜美術館では下の通り「引札」の展覧会を開催します。本展は、海の見える杜美術館所蔵の2000点を超える引札の中から約 150 点を選びだし、明治期の引札の魅力を紐解いてゆきます。目くるめく引札の世界をぜひお楽しみください。
【展覧会名】 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
【会  期】 2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
【休  館  日】月曜日
【会  場】 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

青木隆幸

 

「田川五三郎(たがわ龍泉閣)」の引札(続々)

田川旅館提供 明治28年-2
1.たがわ龍泉閣蔵

田川旅館提供 明治40年代-3
2.たがわ龍泉閣蔵

引札 鉱泉御宿 田川五三郎 海の見える杜美術館
3.海の見える杜美術館蔵

今回は、田川五三郎の引札を3枚並べて、特に文字の部分を比較して、語ってみたいと思います。

それではまず、以下に1.2.3番それぞれの引札の文字情報を書き出してみます。

添付情報
1. 明治28年略暦
2. 辰口鉱泉効能書
3. 辰口鉱泉効能書

住所・店名
1. 石川県能美郡辰口鉱泉所 御定宿(屋号紋-地紙にタ)田川五三郎
2. 石川県能美郡辰ノ口鉱泉所 鉱泉御宿(屋号紋-地紙にタ)田川五三郎
3. 石川県能美郡辰ノ口鉱泉所 鉱泉御宿(屋号紋-地紙にタ)田川五三郎

挨拶文(/は改行)
1. 恭奉賀新年/併而閣台之萬福を禱る/布説旧年中は毎々御愛顧を/蒙り奉源謝候尚本年も倍旧の/御引立を以て御入湯之節は不相替/御投宿之程伏て奉希上候 敬白
2.恭賀新年/併而御尊台之祈萬福/旧年中はご愛顧を蒙り難有奉源/謝候当本年も御入浴の節は不相替/御来宿之程奉希上候 敬白
3.恭賀新年/併而御尊台之祈萬福/旧年中はご愛顧を蒙り難有奉源/謝候当本年も御入浴の節は不相替/御来宿之程奉希上候 敬白

絵はそれぞれに異なるのですが、3点とも文章はとても似通っています。そして2と3は、文言、書体や行間、それから字の並び具合までまったく同じです。

田川旅館提供 明治40年代-部分2017-002-11部分
             2              3

ここで考えなければならないのは、このふたつは同じ版木を使用したものなのか、それともそっくりに彫りなおした版木を使用しているのか。ということです。これがはっきりすれば、引札の制作順序がわかります。

よく観察してみると、どちらも恭の字の4画目の右側が欠けています。新しく彫りなおすのならきちんと修正するでしょう。また、下の写真を見ればわかる通り、文字を彫るときに、文字の周りをしっかり深く彫るべきところを、浅く彫ってしまったために文字の周りに黒い色がついてしまっています。この黒色がほとんど同じ場所についています。これらから考えると、2,3ふたつの引札の文字は、彫りなおした版木ではなく、まったく同じ版木を使ったものといえるでしょう。そして、それぞれの版木の傷み具合を考えると、3の方が痛みが激しいので、3の方が2よりも1年後あるいは何年も後の引札の印刷に使われたと考えるのが妥当でしょう。

田川旅館提供 明治40年代-部分22017-002-11部分2
         2           3

それではこの3枚の引札から、田川五三郎の引札の使用の歴史について考えてみます。

宿屋の田川五三郎は、明治28年の正月には大切なお客様へ年始の御挨拶に引札を使っていました。

明治28年頃は暦(カレンダー)付の引札を配りましたが、いつの頃からかその添える情報は暦から別の物に替わり、明治40年頃には辰口鉱泉効能書を添付するようになりました。

絵柄は毎年新しいデザインに替えたようですが、宿屋の名前や住所、そして新年のご挨拶文が彫られた版木は何年も同じ物を使っていて、ひどく傷んだ時に新しく彫りなおし、同時に文章を当世風に改めたようです。

このような引札を用いた新年の御挨拶は、飛行船や飛行機が流行していた明治45年頃までは続けていたことが確認できます。

この後のことは判然としません。現たがわ龍泉閣様に確認しますと、古い資料はあまり残っていないそうです。

ただ言えることは、明治時代、新年を迎えるごとに引札をお得意様に配っていた鉱泉宿の田川五三郎は、幾つもの困難を乗り越えて1400年の歴史ある辰口鉱泉の源泉を守り継ぎ、今はたがわ龍泉閣として隆盛を極めているということです。

画像は使用許可期限のため削除いたしました。
北陸中日新聞社編『老舗のおかみ 金沢・加賀・能登』中日新聞社 2003北陸中日新聞提供
たがわ龍泉閣様ご提供

海の見える杜美術館では下の通り「引札」の展覧会を開催します。本展は、海の見える杜美術館所蔵の2000点を超える引札の中から約 150 点を選びだし、明治期の引札の魅力を紐解いてゆきます。目くるめく引札の世界をぜひお楽しみください。
【展覧会名】 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
【会  期】 2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
【休 館 日】月曜日
【会  場】 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

青木隆幸

うみもり香水瓶コレクション12 ルネ・ラリック《アンフィトリート》とラリック社《オンディーヌ》

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。現在、海の見える杜美術館で開催中の企画展「アート魚ッチング 描かれた海の仲間たち」では、様々な水中動物を描いた、江戸時代から昭和時代までの絵画や版画を展示しています。

それに関連して香水瓶展示室でも、従来の常設展示に加え、夏期限定にて海の仲間たちをかたどった香水瓶2作品を、8月22日まで展示しています。

ひとつめは、1920年にルネ・ラリックがデザインした貝殻の形をした香水瓶《アンフィトリート》です。

画像1

ルネ・ラリック、香水瓶《アンフィトリート》デザイン:ルネ・ラリック、1920年、透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館RENE LALIQUE, AMPHYTRITE FLACON, Design by René Lalique -1920, Transparent glass , brown patina, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

本作品の貝殻は、写実的な表現ではなく、全体を正円に近い形とし、細部も簡略化しているのがわかります。この形に、1920年というアール・デコ・デザインが興隆した時代が色濃く反映されていますね。

栓には、アムピトリーテーという、ギリシャ神話の海神ポセイドンの妃である海の女神の姿がかたどられています。彼女は、ラファエロがローマのファルネーゼ宮に描いた、かの有名な美しき《ガラテイア》の姉妹です。香水瓶名の「アンフィトリート」とは、アムピトリーテーのフランス語名です。

ところで彼女の姿勢は、一体何をしているところなのでしょう? 片膝をつき、その上にひじをついています。あまり見かけることのない姿勢ですね。その疑問を解くカギが、本作品の6年前にルネ・ラリックがデザインをした、よく似た形の香水瓶《ル・シュクセ》(今期は展示していません)から探ることができます。こちらです。画像2

ルネ・ラリック、ドルセー社香水瓶《ル・シュクセ》デザイン:ルネ・ラリック、1914年、透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館RENE LALIQUE, D’ORSAY, FLACON LE SUCCES, Design by René Lalique -1914, Transparent glass , brown patina, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

いかがでしょう? 《アンフィトリート》に、酷似していると思われませんか? 2つの作品を並べてみると、全体のサイズがほぼ同じであり、高さにいたっては9.5㎝で一致していることがわかります。

画像3

両作品はともに貝殻を模した円形の香水瓶ですが、右の《ル・シュクセ》では貝殻の表面の渦巻に沿って、真珠のフリーズがあしらわれている一方、左の《アンフィトリート》ではそれが取り払われ、よりシンプルになっています。

そして、問題のアムピトリーテーの不可解な姿勢ですが、右《ル・シュクセ》は、膝を抱えてうずくまった姿勢であることに対し、左の《アンフィトリート》は、そこから、いざ立ち上がろうとしている姿勢であると、先行研究では考えられているのです。

アムピトリーテーが描かれる際には、海の仲間たちから讃えられる勝利の姿が、ニコラ・プッサンを始め多くの画家の筆により繰り返し表現されてまいりましたが、本作品では眠りから覚めて、新たな世界へと踏み出そうとする姿となっているために、より人間らしさ(女神とはいえ、「あの」ギリシャの神様ですから!)や親しみを感じられるものとなっています。

さて、二つ目の作品は、ゲルマン神話の四大精霊のひとつ、水の精であるオンディーヌ(ドイツ語名 ウンディーネ)をテーマにした香水瓶です。

画像4

ラリック社、香水瓶《オンディーヌ》デザイン:ラリック・フランス社、1998年、透明クリスタル、限定エディション、海の見える杜美術館LALIQUE, ONDINE FLACON, Design by Lalique France -1998, Transparent crystal, Limited edition, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

オンディーヌは、本来は性別のない存在でしたが、19世紀初頭のドイツのロマン主義の作家フーケの小説によって、美しき乙女の姿の精霊として描かれて以来、広く親しまれることとなりました。フーケのオンディーヌ像は、多くの芸術家にインスピレーションを与え、この美しき精霊を主題とした音楽や演劇、美術や文学が、世界各地で次々と生み出されます。なかでもチャイコフスキーのオペラや、ラヴェルやドビュッシーのピアノ曲はよく知られていますので、すぐにその旋律が浮かぶ方も少なくないのではないでしょうか。

画像5

本作品では、オンディーヌの切なげな表情としなやかな肢体、そして手足のひれが、いくつもの真珠を重ねたような髪と水しぶきと一体化しています。それゆえに、水中の一瞬の動きが美しく情感の溢れるものとして表現されていますね。私はこの作品を見ると、その幻想的な雰囲気にはっと息をのんで、夏の暑さを瞬時に忘れてしまいます。

古来、日本人は夏の暑さを忘れるために、秋の草花や幽霊画(!)等、様々な図像を好んで見てまいりましたが、今夏は、宮島のさわやかな海風を感じつつ、西洋の水辺の神々をかたどった、ラリックの涼し気なガラス作品で涼を味わいたいと思います。

 

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

「田川五三郎(たがわ龍泉閣)」の引札(続)

たがわ龍泉閣様より2点の引札の画像をご提供いただきましたので、それらについて考えてみます。

まずは、こちらの引札です。

田川旅館提供 明治28年-2
たがわ龍泉閣蔵

左は福助をまつるお多福。
金庫の上に鎮座する日の丸扇を広げた福助に、お多福が直径30㎝5升はあろうかと見える大きな鏡餅を供えています。福助のそして年神様の運気を分けてもらうととともに一年の無病息災を願っているのでしょうか。そして福助の上には分銅金や大福帳が下がった福笹が飾られています。

右は大黒をまつる恵比寿。七五三縄が貼られた神棚には、左肩に大きな袋をかけて右手に打ち出の小槌を持ち大俵のうえに立つ大黒天。その前では恵比寿が正座をして大麻(おおぬさ)を振って穢れ(気枯れ)を祓っています。大黒天のお力を戴く神事でしょうか。

左は人間、右は神、いずれも今年一年の商売繁昌 金運の上昇をこいねがっている絵のようです。

明治28年の略暦がついているので、この引札の印刷年代は明治27年と推定できます。ただし、絵柄の部分は以前から作成している版を使って、暦の部分だけ新しい版で印刷する手法があるので、絵の部分の版は明治27年よりもっと前に作られていたかもしれません。

絵には陰影表現がされていて、一見銅版画のようにも見えますが、写真で見る限りですが、線の切れやインクだまりのようなぽつぽつとした点がなどから、銅版風の彫刻を施した木版で作られた印刷物と思われます(※1)。この時代には銅版画風の木版画が数多くつくられているのでその可能性は十分あると思います。なぜわざわざ銅版画風にするのでしょうか。当時の流行だったのでしょうか。もしかしたら銅版画による紙幣の流通も影響していたかもしれません。明治15(1882)年に日本銀行が設立され、明治18年から1円、5円、10円、100円札が新たに発行されました。それらは4種とも大黒天が描かれているので通称「大黒札」とも呼ばれています(※2)。明治21年からは菅原道真や武内宿祢などの歴史上の人物が陰影豊かに銅版で印刷された紙幣が次々と発行されました。これまでいわゆる江戸時代の版本や浮世絵のような主に輪郭線で表現された木版画しか目にしたことがなかった人々にとって、紙幣に印刷された陰影の付いたリアルな像が新しい時代を感じさせる魅力的なものとして映ったのかもしれません。

田川旅館提供 明治28年-2-2田川旅館提供 明治28年-2-3

引札には暦と絵と別々に印刷会社が記されています。

暦の左下隅には「明治廿七年十一月十一日印刷/同年同月□□□/金沢市上近江町四番地/近広堂 広瀬与作」と記されています。そして引札の下中央には「金沢上近江町近広堂印刷」と記されています。この引札はどちらも近広堂で印刷されていますが、印刷会社が異なることもあります。
なお、この広瀬与作という人は発行人ではありますが、彫師でもあったようです。(※3)

田川旅館提供 明治28年-暦印刷会社名

田川旅館提供 明治28年-印刷会社名

ちなみに当館に明治30年の暦の付いた同じ金沢の地で印刷された引札があります。
海の見える杜美術館 引札 明治30
海の見える杜美術館蔵

前の引札と同じように銅版画風の絵になっています。ただ、この時代の印刷は日進月歩で木版・石版・銅版を混在させながら変化しているので正確な印刷手法はわからないのですが、拡大してみれば、こちらの引札の原版には普通の木版ではない手法が取り入れられているようです。ぱっと見では気づかないほどの微細な点が、インクの溜まりもなく鮮明に機械的に打たれて線となり、白地に淡い模様を浮き出させています。恵比寿の顔は先ほどの引札より小さな点で陰影を表現しています。少し拡大して見てみましょう。

海の見える杜美術館 引札 明治30 部分1「謹賀新年」の「謹」の字のところです。

海の見える杜美術館 引札 明治30 部分2恵比寿の顔のアップです。

こちらの印刷会社は山下印刷です。
暦の下段に「明治廿九年十一月一日印刷同月廿二日発行 印刷兼発行者 石川県金沢市上堤町五十三番地士族 山下義保」、そして引札下中央に「金沢上堤町山下印刷」と記されています。暦はこのころは届け出制で、印刷発行日・住所氏名の掲示が義務付けられていたので暦を見れば印刷発行者の住所と本名がわかります。海の見える杜美術館 引札 明治30 山下義保海の見える杜美術館 引札 明治30 山下印刷

以上、明治27-30年ごろに流通した銅版画風の印刷をご覧いただきました。

ここで、明治28年の引札の年始の挨拶文を書き記しておきます。田川五三郎の店の挨拶文がどのように変化するのか、その違いを次に紹介する引札で、あわせてお楽しみいただきたいのです。

「恭奉賀新年/併而閣台之萬福を禱る/布説旧年中は毎々御愛顧を/蒙り奉源謝候尚本年も倍旧の/御引立を以て御入湯之節は不相替/御投宿之程伏て奉希上候 敬白」

少し今風に書き改めてみると
「恭賀新年 あわせてあなたの万福をお祈りいたします。旧年中はご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。本年もご入浴の節は変わらず当宿へお越しくださいますよう切に願っております。 敬白」
という感じでしょうか。

次にたがわ龍泉閣様よりご提供いただきましたのは、日の出の富士を背景に、大量の真鯛を抱えて海岸をあるく恵比寿の引札です。松・竹(笹)・双鶴いずれも吉祥の動植物が添えられていて、新年を寿ぐ(ことほぐ)にはもってこいの題材となっています。

田川旅館提供 明治40年代-3

今回注意してみてみたいのは、絵ではなく、印刷された文字です。

長くなりそうなので、続きはまた次回にいたします。

 

海の見える杜美術館では下の通り「引札」の展覧会を開催します。本展は、海の見える杜美術館所蔵の2000点を超える引札の中から約 150 点を選びだし、明治期の引札の魅力を紐解いてゆきます。目くるめく引札の世界をぜひお楽しみください。
【展覧会名】 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
【会  期】 2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
【休 館 日】月曜日
【会  場】 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

青木隆幸

※1. 裏側から見れば摺り跡やインクのにじみからもう少し詳しいことがわかります。
※2. お金と切手の博物館のウェブサイトより
※3. 森嘉紀『金沢の引札』文一総合出版 1979 75頁 「近広堂 加賀金沢刀工近広堂與作、近広堂彫工、近広堂、金沢近広堂、金沢市近広堂判、石川県金沢上近江町四番地 広瀬与作」

 

 

 

「田川五三郎(たがわ龍泉閣)」の引札

引札 鉱泉御宿 田川五三郎 海の見える杜美術館

日の出の富士を背景にして、七福神が飛行を楽しんでいます。富士山と太陽の場所そして遠方に見える岩肌からすると、ここは湘南の海岸なのだろうかと想像が膨らんできます。

気球・飛行船・プロペラ機が飛んでいます。恵比寿が操縦している飛行機はブレリオをベースにしているようにも見えますね。詳しくは5月18日投稿の「引札 空を飛ぶ七福神」を参考にしていただきたいのですが、1910(明治43)年12月、日本人による動力付き飛行機でのフライトが成功し、翌1911(明治44)年には海外から多くの飛行家がやってきて全国各地で⾶⾏会が開催され、志賀直哉や石川啄木らが飛行機を題材にした文章や詩をつくるなど、この頃日本では飛行機のブームが起きました。この引札には制作年代が記されていないのですが、引札には流行の風俗が描かれたことを思えば、1911-12(明治44-45)年頃に作られたものなのかもしれません。

この引札は、おめでたい図柄で満ちています。日の出・富士・鶴・旺盛な交易を暗示する各種の船・空高く飛ぶ飛行機・七福神、もう少し詳しく見てみると、恵比寿が操縦している飛行機は、胴体が算盤・翼は百億円札・尾翼は江戸時代のお金にまつわる分銅金の形をしています。また、翼の紙幣の上部には「日本帝国万歳号」、四方に「福」の字が記され、中央の数字「百億円」の下には朱印で「寿」、紙幣の番号は753(いろいろな伝承がある吉祥の数字)、そして透かしには大黒の顔が入っていて、どこまでも商売繁盛と幸せを寿ぐ機体となっています。
引札 田川五三郎 恵比寿の飛行機

また、この引札には辰口鉱泉の効能書が、添付されています。いろいろな病気が治りそうですね。当時の人々はこのような表記を参考にして療養に訪れたのかもしれません。
辰口温泉効能書

この引札をお得意様に配ったのは、「石川県能美郡辰ノ口鉱泉所 鉱泉御宿 田川五三郎」。明治32年10月30日の北国新聞の番付(※1)には、加越能三州(※2)の宿屋の前頭として堂々の最上段に名前が記されています。また辰口という地域では筆頭の宿屋とわかります。

北國新聞番付

この引札は、その大人気の宿屋「田川五三郎」が年の瀬あるいは新年に、お得意様に配ったものです。

引札の挨拶文にはこのように記されています。(/は改行)
「恭賀新年/併而御尊台之祈萬福/旧年中はご愛顧を蒙り難有奉源/謝候当本年も御入浴の節は不相替/御来宿之程奉希上候 敬白」
簡単に訳してみると
「恭賀新年 あわせてあなたの万福をお祈りいたします。旧年中はご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。本年もご入浴の節は変わらず当宿へお越しくださいますよう切に願っております。 敬白」
という感じでしょうか。

なお、「鉱泉御宿 田川五三郎」は、辰口温泉「たがわ龍泉閣」として現在も営業がつづいています。

辰口温泉は開湯1400年の歴史ある名湯で、現在のたがわ龍泉閣には田んぼの真ん中から湧き出た源泉を利用している北陸最大級の混浴露天”田んぼの湯”ほかいくつもの湯があるうえ、温泉には今も昔と変わらない効能があるようです。(以下たがわ龍泉閣HPより)
温泉:辰口温泉
泉質:塩化物泉
効能:神経痛リュウマチ/外傷骨折火傷/痔/婦人病/病後回復ストレス解消/運動機能障害/関節痛/筋肉痛/五十肩/消化器/神経痛/創傷/打ち身/動脈硬化/冷え性など

この引札をいただいたお客様の気分になって、訪ねてみてはいかがでしょうか。体調が回復し、日頃のストレスも発散して爽快な気分になることは間違いないと思います。

海の見える杜美術館では下の通り「引札」の展覧会を開催します。本展は、海の見える杜美術館所蔵の2000点を超える引札の中から約 150 点を選びだし、明治期の引札の魅力を紐解いてゆきます。目くるめく引札の世界をぜひお楽しみください。
【展覧会名】 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
【会  期】 2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
【休  館  日】月曜日
【会  場】 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

※1. 「たがわ龍泉閣」様よりご提供いただきました。
※2. 加賀(石川県南部)、越中(富山県)、能登(石川県北部)3国にまたがる前田氏の旧所領

青木隆幸

「高橋盛大堂」の引札 更新

2021年7月7日にアップした、『「高橋盛大堂」の引札』文中において、「高橋盛大堂が電話交換に加入した年が判明したら更新します。」と記していました。

このたび、明治27年2月に発行された『大阪神戸電話交換加入者名簿』に高橋盛大堂の加入記録が確認できましたので、以下の米印の箇所を追記し、更新したことを報告いたします。

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以上のことから、引札の制作年代について、①は明治16年(1883)に盛大堂の称号を定めた後、電話が引かれた可能性のある明治26年(1893)頃までの間、②は電話をひいた可能性のある明治26年(1893)頃以降、林基春の没する明治36年(1903)までの間としておこうと思います。高橋盛大堂が電話交換に加入した年が判明したら更新します。(※)

※『大阪神戸電話交換加入者名簿』(明治27年2月) 18頁に高橋盛大堂・高橋盛大堂分店の電話番号が記載されていることを確認しました。明治26年の名簿は未確認です。(20210720)

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海の見える杜美術館では下の通り「引札」の展覧会を開催します。本展は、海の見える杜美術館所蔵の2000点を超える引札の中から約 150 点を選びだし、明治期の引札の魅力を紐解いてゆきます。目くるめく引札の世界をぜひお楽しみください。
【展覧会名】 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
【会  期】 2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
【休 館 日】月曜日
【会  場】 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

青木隆幸

「日の又」の引札

日の又商店引札 海の見える杜美術館蔵-4

旭日 金雲 金箔散らしを背景に、中央に鼓・扇・そして正月など特別な時に演じられる祝福をもたらす『翁』に使用する肉色尉の面が重なり、面と鼓の間には菊の花が添えられています。右上の重ね色紙には、新年を寿ぐ句が認められ、新春の家を飾るにふさわしい おめでたい引札となっています。

引札の文字情報を下に記します。

右上 重ね色紙:
御代之春 尾上の松を かざりけり 若葉

引札本文:
数百年前の創業にして製作の経験最多し
伏見は材料手間賃安く運搬最も便利
薄利多売
各國産漆器卸小賣
たんす 長持 嫁入道具 製作販賣
伏見大坂町御ひいきのたんすや
日の又

右下隅 引札 落款:
白文方印 弌舟

左端 印刷年月日と印刷所名:
明治四十二年七月十日印刷仝年八月卅日発行
印刷兼發行者
大阪市東区京橋壱丁目廿九番地
平民古島徳次郎

以上の絵の内容と文字情報から、この引札は、大阪伏見のタンス屋「日の又」が、明治42年の年末に、ひいきの顧客に配布したものとわかります。

「日の又」は、現在の 「株式会社 日の又商店 (家具ステージ日の又)」です。同社は室町時代末期の永禄年間(1558-70)に創業し、安土桃山時代には伏見城に漆器調度品を製造納入しお抱えとなって以来 伏見の地で営業をつづけ、現在は当主17代目となり、総合インテリア家具販売店として盛業です。

この引札が配られていたころの「日の又」です。

日の又店舗

明治の終わり13代目当主のころの店舗で、店先は床机を持ち上げると中に収納できるようになっています。店の奥に並んでいる鏡が見えます。

株式会社 日の又商店蔵

こちらは江戸時代初期から日の又に伝来する漆を調合する大きなお椀です。直径90㎝もあります。引札に書かれた「数百年前の創業にして製作の経験最多し」「各國産漆器卸小賣」といった文を裏付ける品です。椀の底には「野の虫も ちからくらぶる 浮世かな」の句に添えてカマキリとバッタと思しき虫が描かれています。

本稿を作成するにあたり、株式会社 日の又商店 代表取締役 日の又 第17代当主の辻貞好様には、本引札が株式会社 日の又商店の物であることをご確認いただくとともに、ここに掲示しました明治時代の店の写真や江戸時代から伝来する漆を調合する椀の写真など貴重な資料をご提供いただきました。謹んで感謝申し上げます。

 

追記
引札右下隅の印章の弌舟は、浅田一舟のことと思われますが、断定するにはもう少し検証が必要です。しかし浅田一舟については浮世絵関係の事典にも、近年の研究書でも生没年等を含めほとんど記述がない(※1)ので、検証するためにはまだ情報が不足しています。

ところで、管見の限り浅田一舟研究に下の参照が見あたらないため、抜粋してここに紹介いたします。

岩本一成「浅田一舟君」
「浅田一舟君は明治5年、大阪市南区大宝寺町に生まれ、師匠は鈴木雷斎と武内桂舟に学んで風俗画家として特技をもっておられた。(中略)私の知っているのは大阪の特産物として相当の生産高を持っていた引札、団扇の意匠図案に長じ、版下に麗妙なる筆致とその彩色に至っては第一人者であった。(中略)
日露戦争後(中略)世間より別途に取り扱われていた挿絵画家といわれし人々、尾竹国一、北野恒富、金森観陽および小生等発起人となり研究団体として春秋会を組織しまして(中略)研究方法の協議、展覧会開催等の目標に毎日(ママ)2・3回集合し、仮装写生会、古実研究、講演会等を催し破壊に建設に活動したものです。これが画壇覚醒の先鋒となり今日の大阪画壇の基礎となったもので、会員30余名を有し第1回展覧会を大阪書籍俱楽部事務所楼上で開きました。島成園君が当時わずか14歳で観山ばりの小野小町を出品したことを覚えております。
門下生に島一水(中略)、その他上田海舟(紫水と改む)等々あり(中略)
大正9年10月18日49歳で没し、墓所は天王寺区椎寺町天瑞寺にあります。」
(※2)

このほかこの絵を描いたのと同じ年の明治42年に出版された『日本書画評価表』(石塚猪男 1909)(※3) では一舟の一幅の掛け軸の価格が20円と評価されています。なお参考までに申しますと、明治40年の公務員の初任給は50円です(※4)。

 

海の見える杜美術館では下の通り「引札」の展覧会を開催します。本展は、海の見える杜美術館所蔵の2000点を超える引札の中から約 150 点を選びだし、明治期の引札の魅力を紐解いてゆきます。目くるめく引札の世界をぜひお楽しみください。
【展覧会名】 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
【会  期】 2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
【休 館 日】月曜日
【会  場】 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

※1. 山田奈々子 増補改訂『木版口絵総覧』(文生書院 2016)はメジャーではない画家が多数網羅された貴重な書籍なのでたびたび参考にさせていただいているのですが、浅田一舟については「生没年不詳 舟がつく画家は竹内桂舟の弟子と見てよいと思う。」という表記にとどまっている。

※2. 『上方』138号 上方郷土研究会 1942 253頁 (適宜現代仮名遣い、当用漢字に改めた。)

※3. 東京文化財研究所 HOME>明治大正期書画家番付データベース>日本書画評価表_807006 URL :https://www.tobunken.go.jp/materials/banduke/807006.html
所蔵:神奈川県立近代美術館(青木文庫)

※4. 『続・値段の 明治 大正 昭和風俗史』朝日新聞社1981 159頁

青木隆幸