引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし 3(第4展示室)

展 覧 会 名 : 引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし
会   期 : 2021年11月27日(土)~12月26日(日)
会   場 : 海の見える杜美術館

「引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし 2」から続く

第5章 新しい時代の風景を描く

昔ながらの吉祥の図様と並んで、新時代の流行も引札に取り入れられてきました。汽車や自動車、飛行機など、当時の人たちが初めて目にする新しい乗り物が行き交う風景や、郵便、電話といった新たな通信手段や、または西洋楽器を弾く、犬を飼う、列車で旅行するなどの最先端の生活文化が、活気ある様子で引札に描かれます。今のようにテレビもインターネットもない時代、とりわけ情報がいきわたりにくい地域で生活する人々にとって、引札は都市の流行を知るためのメディアでもありました。色鮮やかに描かれた目を驚かすような新時代の文化に人々は心躍らせたことでしょう。そしてそれは富や発展を感じさせるものでもあったことでしょう。
当時の人々が憧れた新時代の生活の様子をお楽しみください。

第4展示室1

第4展示室1

5-01 汽車 船 松 "あきなひ はんえい" 明治三十三年一九〇〇頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-01
汽車 船 松 “あきなひ はんえい”
明治三十三年一九〇〇頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-01 画面右奥の港の方からこちらに向かって勢いよく汽車が走ってきます。大量の荷物や人を輸送する近代の乗物は繁栄の象徴でもあったのでしょう。松の根元に立てられた行先標には「あきなひ(商い)」「はんえい(繁栄)」の文字があります。

5-02 女性 電車 市街風景 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

5-02
女性 電車 市街風景
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

5-02 明治二十八年、京都で日本初の電車が走り、その後、各都市に広まりました。この引札には電車の走る都会と、装った女性が描かれています。これを配布した木村商店の意図としては、都会に赴く際のよそ行きのおしゃれには当店の小間物を、といったところでしょうか。

5-03 自動車 飛行機 東宮御所 富士 色紙 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-03
自動車 飛行機 東宮御所 富士 色紙
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-03 富士山を背景に、東宮御所、気球、飛行機、自動車が描かれています。当時の多くの人々が憧れを抱いていたであろう、近代的な生活です。この引札が配られた姫路の人々の目にとっても、新年を寿ぐにふさわしい希望に満ちた光景に映ったことでしょう。

5-04 七福神 飛行機 日の出 富士 明治末~大正初期 平版(木版 石版転写 多色刷)

5-04
七福神 飛行機 日の出 富士
明治末~大正初期
平版(木版 石版転写 多色刷)

5-04 夜明けの富士を背景に、七福神が飛行機に乗って天高く舞い上っています。恵比寿大黒が搭乗しているのは、初めてドーバー海峡を横断した飛行機としても知られるブレリオ機、その上の箱形の機体は日本でも購入され初の試験飛行にも使われたアンリ・ファルマン機をモデルにしているようです。

5-05 幻灯機 母子 松梅 明治三十三年(一九〇〇)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-05
幻灯機 母子 松梅
明治三十三年(一九〇〇)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-05 明治二十年代に幻灯機、今でいうところのスライド映写機がブームになり、所有する家もあらわれました。このころは電球ではなくオイルランプで照らしていました。引札を配る際には白地の部分に字が入れられ、幻灯機に映る店の名前をみんなで見ているという場面になります。

5-06 電話 恵比寿大黒 "福人銀行…" 明治二十六年(一八九三)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-06
電話 恵比寿大黒 “福人銀行…”
明治二十六年(一八九三)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-06 この絵の電話機はガワ―ベル電話機といい、日本で使用された電話の中では最も古い型のひとつです。引札に書かれた通話内容を読んでみると、当時は「もしもし」ではなく「おいおい」「はいはい」と呼びかけていることがわかります。

5-07 電話 女性 恵比寿 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

5-07
電話 女性 恵比寿
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

5-07 明治時代は電話が各家庭まで普及していなかったので、郵便局に設けられた電話所で、呼び出してもらって通話をしていました。なお、この絵の電話機は明治二十九年に登場したデルビル磁石式壁掛電話機です。

5-08 往復葉書 郵便差出箱 民衆 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-08
往復葉書 郵便差出箱 民衆
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-08 郵便は新しい時代を象徴する制度のひとつでした。国民への普及は早く、また各商店にとっても荷物の発送など欠かすことのできないサービスとなりました。本作品のように、利便性を兼ねて郵便料金早見表の付いた引札がつくられました。

5-09 郵便局 郵便車両 郵便差出箱 "大勉強…" 明治三十七年(一九〇四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

5-09
郵便局 郵便車両 郵便差出箱 “大勉強…”
明治三十七年(一九〇四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

5-09 赤色に制定される明治四十一年まで、このような黒色のポストが使われていました。右側の赤色の車は小包郵便物配達用函車です。筆文字で、荷造り具一式を販売している中西幸次郎とあります。この絵にぴったりの商店ですね。

5-10 五十嵐 豊岳 新聞に乗って飛ぶ商人 汽車 船 日の出 "勉強家…" 明治中期 凸版(木版整版 多色摺)

5-10
五十嵐 豊岳
新聞に乗って飛ぶ商人 汽車 船 日の出 “勉強家…”
明治中期
凸版(木版整版 多色摺)

5-10 明治時代のはじめより、文明開化の流れに乗り、新聞が多数創刊されました。この引札では、店主と思しき人物が新聞に乗って飛んでいます。添えられた字は「勉強家の親玉」「新聞にのせて世界中広告」。絵は、これと同じ意味のことを表しているのでしょう。

5-11 女性 紙 筆 牡丹 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-11
女性 紙 筆 牡丹
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-11 「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」は江戸時代から使われている美人を形容する言葉です。大輪の牡丹と一緒に描かれた五人の美人は目に鮮やかな服をまとっています。左端の女性が筆を持っており、商店の名前を書き入れる係と見られます。このような引札はおそらく呉服店などに重宝されたことでしょう。

5-12 女性 バイオリン 楽譜 君が代 明治四十年(一九〇七)頃 平版(クロモ石版 石版転写) 古島竹次郎 版

5-12
女性 バイオリン 楽譜 君が代
明治四十年(一九〇七)頃
平版(クロモ石版 石版転写)
古島竹次郎 版

5-12 明治期は「ヴァイオリンを弾く女学生」がとても文化的でハイカラな存在としてとらえられていました。明治三十三年には国内で大量生産が始まりピアノほど高価でないため、ハイカラであると同時に、ピアノよりも親しみやすい楽器だったようです。

 

5-13 母子 犬 狆 明治末~大正 平版(クロモ石版 石版転写)

5-13
母子 犬 狆
明治末~大正
平版(クロモ石版 石版転写)

5-13 女性が子供を脇にして狆を抱いています。狆は江戸時代に将軍や大名や一部の裕福な商人が愛玩した超高級犬でした。明治時代も高級犬に違いはありませんが、もう少しハードルが下がり富裕層の間で流行しました。

5-14 結納品 女性 盃 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-14
結納品 女性 盃
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-14 江戸時代に公家や武家、裕福な商家が行っていた結納・結婚式が、明治時代になって庶民の間でも行われるようになりました。結納品の引札まで作られたということは、当時それだけ庶民に浸透したという証でもあるでしょう。

5-15 母子 旅客手荷物運搬人 駅 船  明治四十年(一九〇七)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)・空押 古島竹次郎 版

5-15
母子 旅客手荷物運搬人 駅 船
明治四十年(一九〇七)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)・空押
古島竹次郎 版

5-15 美しく着飾った親子連れが駅構内を歩いています。この引札が配られたころは鉄道旅行が人気でした。赤い帽子をかぶって荷物を運ぶ青年は「赤帽」と呼ばれるポーターです。明治三十年から主要な駅の構内で営業しました。

5-16 金森 観陽 相撲 古今横綱一覧 明治三十七年(一九〇四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-16
金森 観陽
相撲 古今横綱一覧
明治三十七年(一九〇四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-16 相撲好きにはたまらない一枚だったでしょう。相撲の祖の戦いから、各力士の名取り組み、そして古今横綱一覧まで相撲尽くしになっています。なお、相撲は天下泰平・子孫繁栄などを願う神事と密接につながっています。

5-17 広瀬 春孝 子供 野球 競舟 桜 明治三十三年(一九〇〇)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

5-17
広瀬 春孝
子供 野球 競舟 桜
明治三十三年(一九〇〇)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

5-17 カッターレースや野球などのスポーツ競技が始まったのも明治時代です。新しいものは何でも次々と引札に描いていきました。新しい物事それこそが新年を寿ぐ題材でもあったのです。

5-18 日の出 船 鷹 "版権登録" 明治二十七年(一八九四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

5-18
日の出 船 鷹 “版権登録”
明治二十七年(一八九四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

5-18 日清戦争の時、日本海軍の旗艦・高千穂のマストに鷹が舞い降りたという逸話があります。この鷹は神武東征の際に現れた金鵄に見立てられ、様々な詩が詠まれました。戦争になると、戦勝を願って縁起を担ぐ引札が描かれました。

5-19 陸軍 隊列 旭日旗 軍旗 金鵄勲章 桜 明治三十七年(一九〇四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

5-19
陸軍 隊列 旭日旗 軍旗 金鵄勲章 桜
明治三十七年(一九〇四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

5-19 戦時中は士気を鼓舞するプロパガンダ的な要素が見られる引札が発行されました。この引札は糸屋が使用しています。糸を使った軍服が画面を埋め尽くしています。

第6章 描かれた商いの風景

引札には、農業・漁業などの産業や、また、米店・乾物店・酒店などの食料品店、呉服・履物などの衣料品店ほか、多種多様な店舗の様子が描かれています。いうまでもなく、これは引札を配っている店の仕事を見た人に覚えてもらうためであり、新年に配るにふさわしく、店は大いに繁盛し、来店客も幸せいっぱいな様子に描かれています。例えば足袋屋の引札では、足袋の製造から販売までおこなわれている店の様子がにぎにぎしく描かれています。この引札を買った足袋屋は余白に新年の挨拶と店の名前を太々と書いてなじみの顧客に渡したのです。
当時の商いの情景と余白に記された商店の情報を合わせてお楽しみください。

第4展示室2

第4展示室2

6-01 漁 一本釣 日の出 "鰹大漁之真景" 明治中期 凸版(木版整版 多色摺)

6-01
漁 一本釣 日の出 “鰹大漁之真景”
明治中期
凸版(木版整版 多色摺)

6-01 カツオの一本釣りの様子です。手前の船左側の漁師が鰹を寄せる小魚を撒き、その両隣で糸を垂らし、船中央には漁師が釣った鰹を抱いて、それを横の漁師がたらいに入れようと待ち構えています。細かくスケッチをしています。

6-02 米店 俵詰め 恵比寿 大黒 枡 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-02
米店 俵詰め 恵比寿 大黒 枡
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-02 掛かる小旗には「極上」「大勉強」「大安売」の文字。大量に積み上げられた米を次々と俵に詰めている米屋の光景は豪勢です。この引札を使ったのは各国(各地域)の白米を販売する大阪の(丸虎)上條西支店です。

6-03 青果 乾物店 野菜 恵比寿 大黒 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

6-03
青果 乾物店 野菜 恵比寿 大黒
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

6-03 「万青物乾物商」の暖簾がかかっています。描かれているのは野菜・果物・キノコ類です。大黒が抱えるのは豊作を暗示する二股大根。恵比寿は株(カブ)があがるようにと蕪(カブ)を高く捧げています。

6-04 乾物店 店内の様子 女性 恵比寿 卵 結納品 明治四十二年(一九〇九) 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島徳次郎 版

6-04
乾物店 店内の様子 女性 恵比寿 卵 結納品
明治四十二年(一九〇九)
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島徳次郎 版

6-04 乾物類と卵の組み合わせの引札が多いです。乾物店はおそらくこの頃は卵を一緒に販売していたのでしょう。左側に記された商店の紹介文を読んでみると、ここでは乾物以外に野菜果物(青物)や雑貨(荒物)や紙も販売しています。

6-05 酒造 七福神 唐子 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-05
酒造 七福神 唐子
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-05 七福神が酒を造っています。酒造りは、それぞれの酒蔵で秘伝ともいえる独特の製法で作られていましたが、明治政府は酒造検査制度を整備して、各製法をすべて検査して門外不出であった酒造法を明らかにしたそうです。

6-06 醤油 酢 塩 味噌 店内の様子 恵比寿 大黒ほか 明治三十五年一九〇二頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

6-06
醤油 酢 塩 味噌 店内の様子 恵比寿 大黒ほか
明治三十五年一九〇二頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

6-06 酢・醤油・味噌といった調味料を販売している店の様子です。樽や瓶に詰めて販売している様子が描かれています。ただし、これはあくまで絵空事ですのでご注意を。画面の左半分をしめるこんな大きな樽は店頭にはありません。

6-07 茶園 製茶 明治三十四年(一九〇一)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

6-07
茶園 製茶
明治三十四年(一九〇一)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

6-07 製茶の様子が描かれています。左上には茶摘みの場面が、右下には焙炉の上で茶葉を両手で交互にでんぐり返しながら揉む「でんぐり」と呼ばれる手揉みの製法が描かれています。手前左の甕には「玉露」の文字が見えます。

6-08 茶舗 店内の様子 女性 色紙 明治三十七年(一九〇四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

6-08
茶舗 店内の様子 女性 色紙
明治三十七年(一九〇四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

6-08 茶舗の店内が描かれています。棚の甕には茶の名前、若緑・相生・玉露・正喜撰・川柳が、袱紗をさばく女性の横の色紙には、「宇治は茶ところ 茶はこゝの店 のんで香もあるあじもある 利休」が添えられています。

6-09 菓子店 店の様子 菓子折を持つ女性 "砂糖菓子…" 明治四十年(一九〇七)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-09
菓子店 店の様子 菓子折を持つ女性 “砂糖菓子…”
明治四十年(一九〇七)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-09 明治時代になって外国のお菓子が売り出されました。暖簾に「和洋砂糖御菓子」と記されています。あとに続く「掛物」は砂糖掛け菓子の総称です。贈答品にはお菓子と印象付けるかのように女性が熨斗付きの菓子箱を持っています。

6-10 「一水」款 酪農 幼児 哺乳瓶 花 明治四十一年(一九〇八)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-10
「一水」款
酪農 幼児 哺乳瓶 花
明治四十一年(一九〇八)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-10 江戸時代まで乳製品はなじみのない食品でした。明治時代になって乳製品ガイドが徐々に出版されるようになり、牛乳は母乳の代用品や滋養品として普及するようになりました。牧場も増え、この絵のような哺乳瓶が製造されました。

6-11 肥料店  店頭 肥料 女性 米の収穫 明治四十年(一九〇七)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-11
肥料店 店頭 肥料 女性 米の収穫
明治四十年(一九〇七)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-11 江戸時代の日本の肥料は田畑の近隣でできる有機質肥料が中心でしたが、明治時代になって化学肥料が推奨され、各地に肥料を販売する店が出来ました。袋に見える硫曹は明治三十年から製造された過リン酸石灰肥料です。

6-12 薪炭店 店の様子 蔵 港 日の出 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-12
薪炭店 店の様子 蔵 港 日の出
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-12 薪炭店は今、キャンプブームもあって活気があるようですが、明治時代はそもそも生活に使うの主な燃料が薪と炭でしたので、薪炭店は地域になくてはならない大切な店でした。そしてこの絵にあるように馬は大切な運搬手段でした。

6-13 油店 店の様子 オイルランプ 女性 福助 明治三十七年(一九〇四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-13
油店 店の様子 オイルランプ 女性 福助
明治三十七年(一九〇四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-13 江戸時代の明かりは行灯や灯明でした。明治時代に石油ランプが急速に普及しました。明るさが十倍以上あったことや、灯油価格が菜種油の半値ということもあったようです。なお、一般家庭に電灯がともるのは明治末期です。

6-14 鍛冶屋 鍛冶の様子 耕作 大黒 鏡餅 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

6-14
鍛冶屋 鍛冶の様子 耕作 大黒 鏡餅
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

6-14 鍛冶屋を描いた引札は珍しく、あまり見られません。一番左の人物がふいごで火を強くし、その右の人物は金属を鍛錬しています。床には出来た農具が並べられ、右上に農具を使った仕事ぶりが描かれています。

6-15 諸金物 鍛冶 金物屋 店頭 "万金物商…" 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-15
諸金物 鍛冶 金物屋 店頭 “万金物商…”
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-15 右上には鍛冶の神事。中上の金物商の看板には「万金物商」。看板の通り描かれているのは思いつく限りの金物類です。この引札を配ったのは金物全般を取り扱う今北商店。どんな金物でも揃えますという意気込みが感じられます。

6-16 足袋屋 店内 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-16
足袋屋 店内
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-16 右下の職人が重ねた生地の上に型紙をおいて特殊な刃物で裁断し、その左側の職人は針で縫い合わせています。足袋の製造から販売まで賑わう様子が描かれています。相変わらず御引立てくださいとの言葉が添えられています。

6-17 履物屋 店の様子 女性 "流行履物商…" 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-17
履物屋 店の様子 女性 “流行履物商…”
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-17 暖簾には流行履物商の文字が染め抜かれていて、店内には草履、げた、鼻緒が店いっぱいに陳列されています。流行は履物商の引札によく使われる言葉です。「当世流行」(今のはやり)という言葉もよく使われていました。

6-18 栄松斎 中嶋政七 店頭風景 "万傘提灯仕入所…" 明治中期 凸版(木版整版 多色摺)

6-18
栄松斎
中嶋政七 店頭風景 “万傘提灯仕入所…”
明治中期
凸版(木版整版 多色摺)

6-18 建物中央入口の左の柱に郵便受箱がありますが、これは珍しいです。郵便受箱は昭和時代になって普及したとい言われています。路上に広げた傘には大と小の月の暦が記されています。現在使われているグレゴリオ暦が導入される前の和暦では、三十日ある月を大、二十九日の月を小として、カレンダーとしていました。

6-19 養蚕 蚕棚 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

6-19
養蚕 蚕棚
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

6-19 大河ドラマ『青天を衝け』でも紹介された通り、養蚕は当時の日本の重要な産業です。中央の女性は卵からかえった蚕を蚕卵紙から蚕座へ移しています。右側の蚕棚の上で蚕が育っています。引札を配ったのは「万糸物商 堀糸店」。

6-20 染屋 染と洗張の様子 女性 明治四十二年(一九〇九) 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

6-20
染屋 染と洗張の様子 女性
明治四十二年(一九〇九)
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

6-20 染・洗い・湯のし・洗張、染物所が請け負う各仕事の様子が描かれています。この引札を配布した万染物所 谷川亀太郎の店では印伴天・のれん・風呂敷・黒紋付などの染や洗張・ゆのし、その他いろいろ請け負ったようです。

6-21 広瀬 春孝 呉服店 反物 女性 "現金かけ値なし…" 明治三十三年(一九〇〇)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-21
広瀬 春孝
呉服店 反物 女性 “現金かけ値なし…”
明治三十三年(一九〇〇)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-21 反物を滝に見立てて店頭ディスプレイをしています。暖簾に書かれた字は「ごふく(呉服 絹織物) ふともの(太物 衣服にする布地) 唐端物(中国の布地)商」。柱には「現金かけ値なし正札付」と安売り低価販売をうたっています。

6-22 洗濯屋 店の様子 明治三十三年(一九〇〇)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-22
洗濯屋 店の様子
明治三十三年(一九〇〇)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-22 洋服が出回ると、洗濯サービスができました。この引札には「和洋せんだく(洗濯)所 並ニ悉皆湯のし(すべてアイロンかけ) 商号あらいや」とあります。「あらいや」では和服の洗張や湯のし、洋服の洗濯アイロンかけをしたようです。

6-23 尾竹 国一 小間物屋 店の様子 母子 "内外小間物商" 明治三十五年(一九〇二) 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

6-23
尾竹 国一
小間物屋 店の様子 母子 “内外小間物商”
明治三十五年(一九〇二)
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

6-23 小間物というジャンルの店がありました。日用品・化粧品などこまごましたものを売る店です。引札に描かれた品々、商店名に添えられた商品名「和洋小間物 洋傘類 化粧品 各種卸小売 各国時計 たばこ」のとおりです。

6-24 化粧品 手袋 女性 鏡 明治四十年(一九〇七)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)

6-24
化粧品 手袋 女性 鏡
明治四十年(一九〇七)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)

6-24 前の引札で紹介した小間物を、装う姿を紹介します。明治期は政府の西洋化推進の影響もあり、服装や化粧が洋風化し、香水も急速に普及したと言います。このように洋風の装いを描いた引札も洋装普及に貢献したかもしれません。

6-25 煙草店 店頭 看板 日の出 "天狗巻煙草…" 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

6-25
煙草店 店頭 看板 日の出 “天狗巻煙草…”
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

6-25 西洋化はタバコのような嗜好品にも及びました。看板にかかっているのは当時人気の銘柄です。右のカメヲはアメリカからの輸入品で、天狗巻煙草とヒーローは国産です。主な喫煙スタイルがキセルから西洋式の紙巻に変わりました。

6-26 茶店 店頭風景 桜 提灯 "祝繁栄 迎花客" 明治三十二年(一八九九) 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

6-26
茶店 店頭風景 桜 提灯 “祝繁栄 迎花客”
明治三十二年(一八九九)
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

6-26 茶店の机には酒と思しき瓶が並んでいます。店先の女性は花見客に向って手招きしています。店の行灯には「迎花客」の文字があります。花客とは、花見客のほかひいきの客、お得意様という意味もあります。茶店の引札も比較的珍しいものです。

第7章 不動の吉祥キャラクター

引札には七福神・福助・お多福を始めとした数々の福の神が描かれています。中でも恵比寿と大黒は圧倒的な人気を誇っていて、当館所蔵の引札のなかでは4枚に1枚は恵比寿か大黒がどこかに登場しています。気球に乗ったり、花見をしたり、時には帽子の上にチョンと乗っていたりと、まるで隠れキャラのような描かれ方まで。福の神はとにかく仲がよさそうに描かれていてほほえましく、明治時代も終わりごろになると、神様というより親しみやすいキャラクターとして描かれたようです。
人々に愛された福の神の姿をご覧ください。

第4展示室3

第4展示室3

7-01 「寳斎」款 恵比寿 大黒 盃 "春興福神□戯"  明治十四年(一八八一)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 中村小兵衛 版

7-01
「寳斎」款
恵比寿 大黒 盃 “春興福神□戯”
明治十四年(一八八一)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
中村小兵衛 版

7-01 まず恵比寿・大黒の見分け方を説明します。恵比寿は釣り竿・鯛・柏紋・頭に折烏帽子または手拭、大黒は大きな白い袋・打出の小槌・米俵・ネズミ・頭に頭巾。これらのいずれかの特徴を持っています。どうぞ見分けてみてください。

7-02 「寳斎」款 恵比寿 大黒 福禄寿 万歳 洋傘 "春遊三福神末広" 明治十四年(一八八一)頃 凸版(木版整版 多色摺) 中村小兵衛 版

7-02
「寳斎」款
恵比寿 大黒 福禄寿 万歳 洋傘 “春遊三福神末広”
明治十四年(一八八一)頃
凸版(木版整版 多色摺)
中村小兵衛 版

7-02 万歳は祝福芸のひとつで、正月に家々の座敷や玄関前で新年を寿ぐ祝言を述べ、小鼓を打ち舞を舞うものです。舞う福禄寿の後ろで恵比寿が傘をさしています。傘は下の方が開いているので末広がりで縁起が良いとされています。

7-03 太田 節次 恵比寿 大黒 お金 "宝福神 金 万 両"  明治二十四年(一八九一) 平版(砂目 石版転写 多色刷)・手彩色 太田節次 版

7-03
太田 節次
恵比寿 大黒 お金 “宝福神 金 万 両”
明治二十四年(一八九一)
平版(砂目 石版転写 多色刷)・手彩色
太田節次 版

7-03 釣竿を持ち鯛を抱える左の恵比寿は海の幸、米俵に座り打出の小槌振る大黒は山の幸を与えてくれる神様です。そのどちらにも恵まれ豊かになるようにと二人並んだ絵が喜ばれました。中央のネズミはお札の束を持っています。

7-04 恵比寿 大黒 三番叟 明治二十五年(一八九二) 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-04
恵比寿 大黒 三番叟
明治二十五年(一八九二)
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-04 三番叟は新年・新築・こけら落としなど事の初めに舞われます。諸説ありますが、鈴を振り大地を踏み鳴らすしぐさが、種をまき地を鎮めることに通じているとか。たしかにこの絵も鈴を振り地を踏み鎮めているのは地の神の大黒です。

7-05 恵比寿大黒 鼠 花車 金のなる木 明治二十七年(一八九四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-05
恵比寿大黒 鼠 花車 金のなる木
明治二十七年(一八九四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-05 明治二十年頃から、引札の印刷方法が凸版から平版に移行します。絵の表現も足元に影を描くなど西洋的な表現を取り入れたりしました。ただ、どんなに西洋の技術が導入されても恵比寿大黒はかわらず描き続けられました。

7-06 恵比寿 大黒 お金 金庫 明治二十九年(一八九六)頃 平版(木版 地紋フィルム 石版転写 多色刷)

7-06
恵比寿 大黒 お金 金庫
明治二十九年(一八九六)頃
平版(木版 地紋フィルム 石版転写 多色刷)

7-06 恵比寿 大黒などの福の神は、江戸時代と変わらず描き続けられるのですが、一緒に描かれる物は時代に合わせて変化していきます。この引札ではこれまで描かれていた蔵が金庫に、小判がお札に変化しています。

7-07 尾竹 国一 恵比寿 大黒 気球 日の出 富士 明治三十四年(一九〇一)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-07
尾竹 国一
恵比寿 大黒 気球 日の出 富士
明治三十四年(一九〇一)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-07 気球は明治十年代に日本に登場し、明治二十三年にスペンサーが各地で興行した時はそのことが歌舞伎になるほど評判になりました。明治三十年代は気球からビラをまいたり垂れ幕を垂らしたり、都会で目にする機会が増えました。

7-08 尾竹 国一 小間物屋 傘 帽子 恵比寿 大黒 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-08
尾竹 国一
小間物屋 傘 帽子 恵比寿 大黒
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-08 シルクハットをかぶった大黒が掲げた手の先に赤白帽子を手にした恵比寿がいます。どちらも広告屋の姿のひとつです。このお店の宣伝をしているのですね。小さな気づきですが、傘の柄が十二支の寅・卯・辰・戌になっています。

7-09 尾形 国一 恵比寿 大黒 福助 揮毫 日の出 汽車 船 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

7-09
尾形 国一
恵比寿 大黒 福助 揮毫 日の出 汽車 船
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

7-09 広告屋と思われる人物の手の上に、硯を捧げ持つ大黒と、店の名前を揮毫しようと筆を構える恵比寿がいます。ここに記される店は商品をリーズナブルに提供してくれると、袖口にいる福助の扇子に記されています。

7-10 恵比寿 大黒 汽車 日の出 明治三十七年(一九〇四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

7-10
恵比寿 大黒 汽車 日の出
明治三十七年(一九〇四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

7-10 左側に店の名前や営業品目が書かれて引札は完成します。もしこの引札に店名が書かれていれば、恵比寿は筆を休めているのでちょうど書き終わったという演出になっていたことでしょう。それにしてもなんと自由で奇抜な絵でしょうか。打出の小槌の中から汽車が走り出てきています。

7-11 恵比寿 大黒 遊戯 子捕ろ子捕ろ "福来" 明治四十年(一九〇七)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-11
恵比寿 大黒 遊戯 子捕ろ子捕ろ “福来”
明治四十年(一九〇七)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-11 恵比寿と大黒が裾をたくし上げた振り袖姿の少女と子捕ろ子捕ろをしています。その遊びは連なった先頭の人が親となって、後ろに続く子を鬼から守るというものです。日本スポーツ協会の公式ホームページなどで紹介されています。

7-12 恵比寿 大黒 日の出 猪目 明治四十年(一九〇七)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)・空押 古島竹次郎 版

7-12
恵比寿 大黒 日の出 猪目
明治四十年(一九〇七)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)・空押
古島竹次郎 版

7-12 日の出を象徴するかのような赤い色。この形は何なのでしょうか。日本には古来からハートの形をした猪目という吉祥模様があります。心臓を表すハート形は明治時代からありますが、恋や愛を象徴するのは大正時代からのようです。

7-13 大黒 お金 大福帳 算盤 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷)・空押 古島竹次郎 版

7-13
大黒 お金 大福帳 算盤
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)・空押
古島竹次郎 版

7-13 左側に大福帳が描かれています。この表紙に太々と店の名前を書いて配ることになります。画面いっぱいに打出の小槌を持つ大黒と大福帳と算盤とお金を大きく描いて、すがすがしいまでに金儲けを願った引札です。

7-14 「如泉」款 恵比寿 福笹 日の出 "勉強の…繁栄" 明治三十七年(一九〇四)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

7-14
「如泉」款
恵比寿 福笹 日の出 “勉強の…繁栄”
明治三十七年(一九〇四)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

7-14 日の出を背景に恵比寿が福笹を担いでいます。この福笹は商人えびすともいわれる新春のえびす講(十日戎・廿日戎)で頒布された、縁起物を結び付けた竹の枝でしょう。色紙には「勉強の店に福来る」と記されています。

7-15 広瀬 春孝 七福神 お金 金採掘 "七福神 新機器ヲ以テ…" 明治中期 凸版(木版整版 多色摺)

7-15
広瀬 春孝
七福神 お金 金採掘 “七福神 新機器ヲ以テ…”
明治中期
凸版(木版整版 多色摺)

7-15 右上の文字は「七福神 新機器ヲ以テ 金礦採掘ス」七福神が最新鋭の機械を使って金を採掘しています。福禄寿は大きな機械を操作していて、弁財天は何やら火花を散らしています。恵比寿と大黒は利益の計算に大忙しです。

7-16 七福神 来迎 日の出 明治三十三年(一九〇〇)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-16
七福神 来迎 日の出
明治三十三年(一九〇〇)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-16 日の出を背に、七福神が金雲をたなびかせて天からやってきました。引札に七福神が描かれるときは、地上で働いていたり遊んでいたりと人間味豊かに描かれることが多いのですが、ここでは神聖が大切にされています。

7-17 見立七福神 観梅 "にこにこと…" 明治三十四年(一九〇一) 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-17
見立七福神 観梅 “にこにこと…”
明治三十四年(一九〇一)
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-17 右上の句は「にこ〳〵と 七福人の 梅見かな」。七福神に仮装して梅見を楽しんでいる人たちのようです。右側坊主頭で羽織に扇紋は布袋、その右の口ひげを蓄えた人は毘沙門天。一群の先頭の打出の小槌紋の人は大黒でしょう。

7-18 尾竹 国一 七福神 遊戯 恵比寿を驚かせる 屏風 明治三十四年(一九〇一)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-18
尾竹 国一
七福神 遊戯 恵比寿を驚かせる 屏風
明治三十四年(一九〇一)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-18 七福神はとにかく仲が良いようです。どの引札にも楽しく一緒に過ごす様子が描かれています。この引札には、恵比寿を驚かせようと屏風の隙間に隠れていたほかの六神が突然顔を出したところが描かれています。

7-19 列車のホーム 煙草売の恵比寿 七福神 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-19
列車のホーム 煙草売の恵比寿 七福神
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-19 恵比寿が列車のホームでタバコを売っています。帽子がちょっと折烏帽子っぽくなっています。お金を出そうとしているのは大黒、その後ろから毘沙門天が手を伸ばしています。網棚には布袋の扇や大黒の小槌が載っています。

7-20 七福神 観梅 明治四十年(一九〇七)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 古島竹次郎 版

7-20
七福神 観梅
明治四十年(一九〇七)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
古島竹次郎 版

7-20 洋装の七福神が歩いてきます。先頭のコート姿は柏紋が入っているので恵比寿です。その後ろの弁財天はファーマフラーを首に巻いて手はマフ。一番右の大黒天は英国から入った流行のチェック柄を身につけステッキを持っています。

7-21 広瀬 春孝 福助 モーニングコート "大勉強 広告" 明治中期 凸版(木版整版 多色摺)

7-21
広瀬 春孝
福助 モーニングコート “大勉強 広告”
明治中期
凸版(木版整版 多色摺)

7-21 髷を下ろして髪型を七三分けにし、和服を脱いでモーニングコートに身を包んだ五人の福助が並んでいます。最後尾には赤い旗が掲げられています。結構な迫力です。当時の人たちはこの絵をどのような感情で眺めたのでしょう。

7-22 小間物 象 福助 明治三十五年(一九〇二)頃 平版(木版 石版転写 多色刷) 野村富三郎 版

7-22
小間物 象 福助
明治三十五年(一九〇二)頃
平版(木版 石版転写 多色刷)
野村富三郎 版

7-22 幸運を招く福助が扇子を指し棒にして小間物を売り込んでいます。その後ろでは白象がスリッパをはいて帽子をかぶり懐中時計の首輪をつけて、長い鼻で上手に傘をさしてアコーディオンを弾いています。ものすごい迫力です。

7-23 お多福 枡 箕笊 "士農工商 み入よく…" 明治後期 平版(木版 石版転写 多色刷)

7-23
お多福 枡 箕笊 “士農工商 み入よく…”
明治後期
平版(木版 石版転写 多色刷)

7-23 右上に「士農工商 み入よく 福が入升」と書かれています。その文意の通り、竹で編んだ箕の中に、士農工商に関するいろいろな宝が沢山のお金と一緒によく入っています。升にはお多福が入っています。

7-24 広田 春盛 福助 お多福 扇 牡丹 明治中期 凸版(木版整版 多色摺)

7-24
広田 春盛
福助 お多福 扇 牡丹
明治中期
凸版(木版整版 多色摺)

7-24 福助とお多福の正体が誰なのか、はっきりとはわかりません。この絵はふくよかだったとされるお多福と、小柄だったと伝えられる福助をデフォルメして、楽しげな雰囲気で描いています。富貴と末広がりを象徴する牡丹と扇が添えられています。

7-25 三島 文顕 猩々 盃の船 甕 明治中期 凸版(木版整版 多色摺)

7-25
三島 文顕
猩々 盃の船 甕
明治中期
凸版(木版整版 多色摺)

7-25 猩々が登場する能は人気の演目です。素直な心を持ったお酒売が、猩々から酌めども尽きない酒の泉が湧く壷をもらって栄えるという祝言の趣きある話です。猩々はチャーミングな振る舞いも相まって愛されたキャラクターです。

展覧会出口

展覧会出口

「引札 新年を寿ぐ吉祥のちらし 4(引札の豆知識ほか)」に続きます。

青木隆幸

うみもり香水瓶コレクション11 ランバン社《球形香水瓶》

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。前回は、シャネルが、ファッションと香水を一体化させた第一人者であることをご紹介しましたが、1921年に彼女が起こした新たな潮流は、その後、一気に大きくなりました。4年後の1925年の通称アール・デコ展では、シャネルのように服飾メゾンから発表されたある香水瓶が称賛されます。それは、デザイナー、ジャンヌ・ランバンが創設したランバン社の《球形香水瓶》です。

こちらです👇

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

ランバン社《球形香水瓶》 デザイン:アルマン・ラトー(本体)ポール・イリーブ(イラスト部分)1925年、黒色ガラス、金、海の見える杜美術館 LANVIN, BOULE FLACON, Design by Armand Rateau, Paul Iribe -1925, Black glass, gold、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

シャネルの《No.5》は本体も栓もスクエア型、またルネ・ラリックのウビガン社の香水瓶もスクエア型でしたが、幾何学的な造形を特徴とするアール・デコのデザインでは、本作のような球形の香水瓶も多く作られました。

本作のデザインは、アルマン・ラトーという、フランスの室内装飾家が手がけました。彼の代表作の一つは、この香水瓶とほぼ同時期に完成した、ジャンヌ・ランバンの邸宅の装飾です。現在、その邸宅はパリの装飾美術館に一部が移築され、常設展示室の主要作品となっています。私は、装飾美術館の企画展に行く折には、その展示室にも必ず立ち寄りますが、全体はもとより細部に細かな趣向が凝らされているため、毎回新たな発見があります。ここにその様子がわかる画像をお見せできないのが残念ですが(ご興味のある方は、ぜひパリの装飾美術館ウェブサイトをご覧ください)、まさにフレンチ・アール・デコといった洗練された優雅な室内装飾です。新古典主義様式を再解釈し、漆等を用いた東洋的な要素も加味した高級家具製作を得意としたラトーならではの特徴が詰まった部屋なのです。

翻って私は、ランバン社の球形香水瓶、とりわけ金色に輝く豪華版の香水瓶を見ると、ラトーが室内空間すべてを使って実現した華やかな世界が、手のひらに収まるサイズにギュッと圧縮して提示されているように思えるのです。こちらです👇

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

ランバン社《球形香水瓶》 デザイン:アルマン・ラトー(本体)ポール・イリーブ(イラスト部分)1925年、黒色ガラス、金、海の見える杜美術館LANVIN, BOULE FLACON, Design by Armand Rateau, Paul Iribe -1925, Black glass, gold、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

しかも、つい両掌に収めたくなるような、ころんとした本体や、マツカサをかたどった栓、そして本体の中央に描かれた、手を取り合う母と子のシルエット(モデルはジャンヌ・ランバンとその娘です)には、単に洗練された豪華さだけではなく、遊び心や、どこか懐かしい、なんとも優しくやわらかな気持ちをも呼び起こされます。

シャネル《No.5》の徹底したミニマリズムと比較すると、同じアール・デコ・デザインながら、その個性の違いが明らかですね。ランバンの香水もまた、シャネル《No.5》同様、フランス国内外で成功をおさめ、その後長きにわたって、メゾンの顔として定番となりました。

ところで、シャネルやジャンヌ・ランバンの活躍は、この時代の社会における大きな変化も伝えてくれるのが面白いところです。彼女たちはファッションと香水を結び付けることに先駆的な役割を担いましたが、それ以前にも、ファッション界に進出した女性として第一人者たちでした。この分野は、彼女たちが登場するまで男性社会だったのです。

20世紀初頭の第一次世界大戦前、彼女たちは勇敢にもファッション界での成功を目指し、着心地の重視等、着る人間の側に立った女性ならではの視点をいかして、ファッション・デザインに新風を吹き込みました。前回、言及したような、ファッションと香水という二つの異分野の融合を思いついたのも、それを享受する女性としての視点がいかされたものではないでしょうか。つまり彼女たちは、ガラスの天井を自らの手で突き破ったのです。

また第一次世界大戦は、彼女たちへの周囲の理解を深める状況を生み出しました。戦時中は多くの男性が前線へと駆り出されたため、銃後の女性たちはその階級差を問わず、男性がしていた多くの仕事を担うようになりました。やがて多大の犠牲を払った大戦が終わると、フランスにおいては人口の男女比は女性が上回るようになります。そのことが結果的には女性が家庭のみではなく、社会でも働くことを後押しする一助となりました。

このように1910年代、20年代はあらゆる分野で女性の社会進出が加速した時代でもあったのです。女性参政権運動が各地で盛んになり、長年のたゆまぬ努力の末に獲得するようになるのもこの頃のことです。

香水瓶に描かれたジャンヌ・ランバンの肖像のように、たとえ子供を得ても仕事を辞めることなく、むしろ母としての細やかな愛情に溢れた視点をいかしてデザインを生み出してゆく――そのような新たな女性像が多くの共感を呼んだことを、ランバン社の《球形香水瓶》は、今に物語ってくれるのです。

 

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

◇蔵出し:アール・デコの球形香水瓶コレクション◇

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

カレージュ社 ケース付き《球形香水瓶》 デザイン:ジュリアン・ヴィアール1929年、黒色ガラス、金、ベークライト、海の見える杜美術館, CAREGE BOULE FLACON WITH ITS CASE, Design by Julien ViardA -1929, Black glass, gold,bakelite, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

小松均の風景画2点 「小松均 自然を愛した画仙のまなざし」展

小松均(1902〜1989)は、山形に生まれ、後に京都に出て土田麦僊の門下生となって活躍した日本画家です。京都・大原で自給自足の生活をしながら作画活動を続け、世俗とは無縁の暮らしぶりを続けたことから、「大原の画仙」とも呼ばれます。その生誕120年を記念して、当館が所蔵する小松作品をご紹介する展覧会「小松均 自然を愛した画仙のまなざし」を開催しています。

早いもので小松均展、開館から2週間が経ちました。今回のブログでは展覧会のみどころのひとつ、昭和10年代に制作された2つの風景画の大作をご紹介します。

小松の代表作といえば、昭和40年代、60歳代以降にてがけた故郷の最上川や、終生の住まいとして愛した大原の景色、雄大な富士山の景観を描いた大作の風景画が良く知られます。いずれも時に土俗的と表現される力強い独特の墨線を執拗に重ねて、自然の真の姿を写し取ろうとしたものです。当館の所蔵する小松の風景画2点は、その独自の風景画にいたる以前、昭和15年(1940)、38歳の時に伊豆下田の風景を描いたもの。この時期小松は南画家たちとの交流の中で墨を用いた風景画への傾倒を示し始めており、いわば小松の画業の転換期に制作された貴重な作例です。

昭和14年秋、最初の絵の師・岡村葵園が亡くなります。その東京での葬儀の帰途でしょうか、小松は伊豆下田をスケッチ旅行して廻り、その雄大な風景に魅せられます。何度か訪ねて作画し、乾坤社第2回展に「伊豆二題」として出品したのがこの2点です。

小松均《石廊崎画巻》

《石廊崎》伊豆半島の南端、太平洋を一望する石廊崎岬の景色を描く作品。紅葉を豊かな彩色で描き出した画巻の末尾には、石廊埼灯台の姿も。

1989-034小松均《伊豆岩山図》

《伊豆岩山風景》墨一色で、岩山に漂う湿潤な空気を描き出す。視界を白く霞ませる激しい雨が上がり、黒々とした岩山がその姿を現す様が見事です。

どちらも縦65センチ、長さは8 メートルを越える圧巻の画面。色をつかって雄大な広がりを見せる伊豆の海と岬を描いた《石廊崎》と、対して墨一色で湿潤な空気の中に聳える岩山を描いた《伊豆岩山風景》。伊豆の自然が持つ異なった表情の描き分けが見事です。

今回は両作とも大きく開いて、ほぼ全画面ご覧頂けるよう展示しました。写真は《伊豆岩山風景》です。

1階のエントランスには《石廊崎》を壁面に拡大してあります。

冒頭の虹が美しいです。

1階ギャラリー 虹

 

ところで両作とも、画中には山道を行く人の姿が小さく描き込まれています。

伊豆岩山 人

この人はどこを歩いているのでしょう?ぜひ会場で探してみてください。

 

谷川ゆき

うみもり香水瓶コレクション6 ポマンダー

明けましておめでとうございます

本年も美術館展示室、そしてブログ等で、香水瓶の奥深い世界をご紹介したいと願っています。引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、今回の香水瓶は、香り豊かな実り多い一年になることを願って、「香気のリンゴ」なる別名を持つ、果実や球の形をした香料容器「ポマンダー」をご紹介いたします。

こちらの作品です👇

 Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 海の見える杜美術館

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
海の見える杜美術館

《ポマンダー》 ドイツ、1630年頃、銀、銀に金メッキ、海の見える杜美術館所蔵 Pomander, Germany, C.1630, Silver, gilt silver, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

ポマンダーの始まりは、本作品が製作されるよりずっと以前の、中世にさかのぼります。当時も、現在の新型コロナウィルスの流行のように、数々の疫病が発生し、人々はその解決策を探し求めていました。そのようななか、重要な役割を担ったのが、香りでした。もともと香りは、古代より治療にも使われてまいりましたが、中世以降、疫病流行時には、人々は片時も肌身離さず、持ち歩くようになりました。それは力強い香りが、疫病と、疫病の原因となる瘴気(しょうき、悪い空気)から身を守ってくれると考えられたからです。大半のポマンダーの上部にリングが付けられているのは、そこに鎖を通し、常に携帯していたためなのですね。

やがてルネサンス期以降も、疫病は相変わらず人々を苦しめたため、ポマンダーの需要も衰えることなく続き、18世紀半ばまで製造されました。特権階級は趣向を凝らした金銀細工や七宝などの細工が施されたポマンダーを、そうでない者は革あるいはごくありふれた金属でできたポマンダーを愛用しました。

本作品は、16世紀や17世紀に王侯貴族や高位聖職者のあいだで使われた典型的なポマンダーのひとつです。

表面には当時の富の象徴であった花であるチューリップと、貴族がたしなんだハヤブサ狩りを想起させる鳥が彫られています。表面の金細工もさることながら、ぜひお目に掛けたいのは、その内部です。

オレンジの実の形をした本体部分の上部の蓋をくるくると回しますと、なんとオレンジの実をくし形に切ったような6つの部分が現れます。実は、私はこの瞬間が大好きです。まるで手の中におさめた小さな蕾の花弁が、ほろほろとほどけていくかのように、みるみるうちに6等分に開かれていく仕掛けが、なんとも可憐なのです! しかもこの黄金色!! 外側の銀色からは思いもよらなかった光輝く金色の登場に、目の前に明るい世界が瞬く間に開けた気になってしまうほどです。いやはや、本作品は、知らぬ間にこわばった人間の心をほどけさせる、なんとまあ心憎い仕掛けに満ちた容器であることよ…..と感心してしまいます。まさに疫病流行時に求めらるる容器なり、と膝を打たずにはいられません。

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 海の見える杜美術館所蔵

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
海の見える杜美術館

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 海の見える杜美術館所蔵

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
海の見える杜美術館

この6つに分かれたひとつひとつに、固形香料が詰められています。シナモン、ナツメグ、ローズマリー、バラなど、おさめられた香りが特定できるのは、スライド式になった各部分の蓋に、その名がしっかりと記されているおかげです。

ポマンダーに使用される香りの種類は、16世紀以降、豊かさを増していきますが、それは大航海時代、ヨーロッパに豊富にもたらされた異国の香りを今に伝えてくれます。

さて、次の画像もぜひこの機会にお目にかけたい細部である、容器の土台部分です。土台を再びくるくると回して、本体から取り外してみると、なんとその先には、香料を取り出すための至極小さなさじが付いているではありませんか! こちらです👇。

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 海の見える杜美術館所蔵

Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
海の見える杜美術館

本作品は閉じた状態でも、わずか5.5㎝の高さほどしかありませんので、内部の小さな香料入れに直接指を入れるのは至難の業です(第一、衛生的でもエレガントでもありませんよね)。それゆえ、このような小さじが備わっているのですね。これまた見事な細やかさです。

迫りくる疫病から身を守りたいという人々の願いは、何世紀にもわたって、数多のポマンダーを生み出しました。新型コロナウィルス流行以来、ポマンダーを見ておりますと、かつての人々の思いが、より切実に感じられ、ポマンダーへの興味が尽きません。現在、海の見える杜美術館は冬季休館中ですが、春の開館時には、本作品と、17世紀末にオランダで製作された七宝細工のポマンダーを香水瓶展示室にて展示する予定です。

皆さまがお健やかに一年をお過ごしくださいますよう願いつつ……

岡村嘉子(特任学芸員)

 

 

 

「歌仙をえがく—歌・神・人の物語—」展 浮世絵と歌仙

「歌仙をえがく」展も会期を残すところ1週間ほどとなりました。

王朝の雅を伝える存在として和歌とともにしばしば絵に描かれてきた歌仙たち。その存在は、江戸時代も中期以降になると、絵入り版本の流通とともに庶民の教養としても浸透していきます。また歌仙や彼らの詠んだ和歌は浮世絵の主題ともなり、しばしば「見立て」の手法で、当世の美人や役者にそのイメージが投影されていきます。

今回の展覧会では、三代歌川豊国(国貞)による《見立三十六歌撰之内》を36枚まとめてご覧いただけます。展覧会後半の見所です。
この作品は、役者見立絵です。歌仙の名とその和歌が色紙形の中に書かれ、劇中の登場人物の名が役者の似顔絵に添えられます。登場人物と、歌意や歌のモチーフ、あるいはそれを詠んだ歌仙の境遇などの間に連想されることを読み解き、描かれている人物が登場するのはどの演目か、さらに、似顔からどの役者であるのかを当てることが、この作品を見る際の楽しみ方だったようです。

凡河内躬恒

歌川国貞(三代豊国)《見立三十六歌撰之内》「凡河内躬恒」嘉永5年(1852) 海の見える杜美術館

謎解きはなかなか難しく、よほどの歌舞伎通で、かつ和歌や歌仙に明るくなければできなさそう。会場には柿本人麻呂などほんの数人分ですが、謎解きの解説のパネルをつけました。江戸の芝居愛好者の教養をぜひ追体験してみてください。浮世絵自体も力強く、見応えがあります。

 

YouTubeに画像をゆっくりご覧頂ける動画にしてアップしました。ぜひお楽しみください。

https://www.youtube.com/channel/UCyOWfAm66u_WefHCAvhlPkA

 

谷川ゆき

うみもり香水瓶コレクション3
キャロン社「シャントクレール」のための
香水瓶

こんにちは。クリザンテームこと、特任学芸員の岡村嘉子です。空に浮かぶ雲の形や風の匂い、虫の音が変化し、日一日と秋らしくなるのを感じると、私はこれから出合う芸術への期待で胸が高鳴ります。秋の夜長の友として、どのような文学を今宵は選びましょうか――。おりしも、現在当館では、日本の古典文学を彩る歌仙たちの肖像を描いた歌仙絵の展覧会「歌仙をえがく―歌・神・人の物語」展が開催中です。

そこで今回のうみもり香水瓶コレクションは、芸術の秋に相応しい文学にちなんだ香水瓶をご紹介いたします。 こちらです👇シャントクレール

香水瓶《標石》キャロン社「シャントクレール」1906年、透明ガラス

デザイン:アンリ・アム及びフェリシ・ベルゴー 1906年、海の見える杜美術館所蔵

CARON, CHANTECLER -1906, PERFUME BOTTLE, Transparent glass, Design by Henri HAMM and Félicie BERGAUD-1906, Umi-Mori Art Museum, Hiroshima

 

1906年発売のキャロン社の香水「シャントクレール」のためにデザインされた本作品は、一見するとごくありふれた香水瓶ですが、ぜひ金色のラベル部分にご注目ください。雄鶏が刻まれていますね。

 

PCA001(ラベル部分)

このモデルとなったのは、フランス中世文学作品のひとつ『狐物語』に登場する、狡賢いキツネに一矢報いた雄鶏シャントクレールです。内容が滑稽味溢れるものであったことも影響したのでしょうか、『狐物語』は、フランスはもとよりヨーロッパ諸国にも写本によって広く親しまれました。その影響は大きく、18世紀末には、ゲーテがこの物語集から着想を得た『ライネケ狐』を執筆したほどです。

ところで、シャントクレールという名前には、フランス語で、澄んだ声で(クレール)歌う(シャント)という意味が隠されています。それは、歌によって夜明けを知らせる鳥である鶏のイメージと重なります。香水瓶に祝祭のように明るく華やかなイメージを求めたデザイナーのフェリシ・ベルゴーにとって、まさにぴったりのイメージソースであったといえるでしょう。

また、この香水瓶の発売と前後して、『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者、エドモン・ロスタンも雄鶏が活躍する戯曲『シャントクレール』を執筆し、パリでの上演で好評を博していたことも見逃せません。

雄鶏は、フランスの国鳥でもあります。香水瓶の発表当時、ドイツと緊張関係にあったフランスの人々は、高らかに歌う国鳥をモティーフにした本作品や文学によって、愛国心を募らせたのかもしれませんね。

はるか中世の写本の世界についても、18世紀末のドイツ文学についても、20世紀初頭のヨーロッパの情勢についても、おおいに物語ってくれる香水瓶です。

岡村嘉子(クリザンテーム)

 

 

「Edo⇔Tokyo」展紹介ブログ③ 江戸の桜の名所

海の見える杜美術館では、8月23日(日)まで「Edo⇔Tokyo ―版画首都百景―」を開催しています。

展覧会の紹介と過去のブログは、

http://www.umam.jp/blog/?p=9873

http://www.umam.jp/blog/?p=10128

に掲載してあります。

今回は、江戸の桜の名所について、出品作品を見ながら紹介します。

現代と同じく、江戸時代でも桜の花見は庶民の娯楽の一つであり、浮世絵にも花見の名所はよく描かれました。桜は江戸各地で楽しめましたが、まとまった状態で見られる花見の名所は限られていました。

江戸で最初に花見の名所が出来たのは、3代将軍徳川家光(1604-1651)の治世の頃になります。家光の命で上野寛永寺(現在の台東区)の初代住職・天海(1536?-1643)が吉野山の桜を境内に植樹し、娯楽の少なかった江戸庶民のために花見の場を作ったのがはじまりです。

歌川広重《江都名所 上野東叡山》 天保10-13年(1839-1842)
歌川広重《江都名所 上野東叡山》 天保10-13年(1839-1842)

満開の桜が咲き誇っています。

その後4代将軍家綱(1641-1680)の時代、寛文年間(1661-1673)頃から御殿山(現在の品川区)にも桜の植樹が始まります。8代将軍吉宗(1684-1751)の時代には、600本の桜が植樹されました。御殿山の桜は高台にあり、江戸湾を望みながら桜を楽しむことができる場所でした。

歌川広重《江戸名所 御殿山花盛》 天保14-弘化4年(1843-1847)
歌川広重《江戸名所 御殿山花盛》 天保14-弘化4年(1843-1847)

江戸湾が一望できます。宴会を楽しむ人の姿も見えます。

しかし、江戸の市中から御殿山までは2里(約8km)ほどあり、庶民が気軽に花見を楽しめる場所ではありませんでした。そのため、吉宗の治世まで庶民が気軽に桜を楽しめる場所は、寛永寺ぐらいで花見の時期には風紀が乱れるほどの人が集まりました。

吉宗の時代には、享保の改革の一環として、庶民の娯楽の場を増やすために、さらに2つの桜の名所が整備されます。

1つは隅田川の土手です。4代将軍家綱の時代に、常陸国(現在の茨城県)の桜川から桜を移植したのが、隅田川の桜の始まりとされています。その後、享保2年(1717)、100本の桜が、享保11年(1726)植樹され、花見の場として本格的に整備されます。特に隅田川を上流から見て左側(墨田区側)は「墨堤」と呼ばれ、江戸屈指の花見の名所として定着していきました。

歌川広重《東都名所 三囲堤待乳山遠景》 天保14-弘化4年(1843-1847)
歌川広重《東都名所 三囲堤待乳山遠景》 天保14-弘化4年(1843-1847)

三囲神社の鳥居越しに隅田川沿いの桜を眺めます。

もう一つは王子の飛鳥山(現在の北区)です。王子の地名は、紀州熊野の熊野権現(若一熊野神社)を勧進したことが由来とされ、紀州藩出身の吉宗はこの地に目を付け、整備を試みました。飛鳥山には元文2年(1737)に1270本ものソメイヨシノの苗木が植えられ、吉宗自ら当地に赴き宴会の席を催し、新たな花見の場としてアピールしたといわれています。当時主要な桜の名所であった寛永寺は、規制が厳しく、宴会や夜桜は禁止されていたため、江戸庶民は飛鳥山に集うようになったといいます。

歌川広重《東都名所 飛鳥山満花の図》 天保14-弘化4年(1843-1847)
歌川広重《東都名所 飛鳥山満花の図》 天保14-弘化4年(1843-1847)

たくさんの桜の花が咲き誇り奥には富士山の姿も見えます。左に描かれる石碑は「飛鳥山碑」と呼ばれ、元文2年(1737)に建てられました。飛鳥山の由来や桜が植えられた経緯が書かれています。

最後に少し変わった桜の名所・吉原を紹介します。

江戸幕府公認の遊郭として元和3年(1617)に誕生した吉原は、明暦3年(1657)の明暦の大火を機に、葦屋町(現在の日本橋)から浅草寺裏の日本堤に移転します。以後、江戸庶民のあこがれ、そして文化の発信地として繁栄します。

その吉原にも花見の季節になると満開の桜が咲き誇りました。しかし、この桜は元々植えられていたものではなく、毎年三月朔日になると他の場所から桜樹を運んできて植えたものです。その数は千本にも及んだそうです。

歌川広重《東都名所 吉原夜桜ノ図》 天保6-9年(1835-1838)
歌川広重《東都名所 吉原夜桜ノ図》 天保6-9年(1835-1838)

色とりどりに着飾った花魁と夜桜がとてもきれいな一枚。

そして、花が散ると桜の樹は抜かれ、また桜の季節になると植えられました。

以上が江戸の代表的な桜の名所です。海を一望しながら桜を楽しめた御殿山は黒船来航後、台場を築くため崩され埋め立てられてしまったため、現在では見ることができません。しかし、御殿山と吉原を除いた寛永寺、墨堤、飛鳥山は今でも花見の名所として健在で、桜の季節になると多くの人が集まります。

今年の桜の季節は過ぎてしまいましたが、また花見の時期になったら、江戸に思いをはせながら、桜を愛でてはいかがでしょうか?

大内直輝

【お知らせ】展覧会の内容を動画にてご紹介しております!

皆様こんにちは。

現在、当館は「美人画ラプソディ―近代の女性表現―妖しく・愛しく・美しく」と題し、近代の日本画家たちによる多様な女性像をご覧いただく展覧会を開催しております。

 

4月初旬より休館しておりました当館も、皆様のご協力をいただきながらではございますが、5月19日から再開することとなりました。

↓ご来館にあたってのご注意は以下をご覧ください。

http://www.umam.jp/

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現在の会場風景。近代の画家たちの個性あふれる女性表現をお楽しみいただける展覧会です。

 

美術館は開館しておりますが、ご自宅でも展覧会をお楽しみいただけるよう、会場風景や作品の解説を動画にてお届けいたします。

 

下記URLからご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=t55WW3l0GzU

 

展覧会場の雰囲気を少しでも感じていただければ幸いです。

森下麻衣子

作品紹介 《厳島八景画巻》より「大元桜花」

お花見のシーズンは過ぎましたが、前回の小野小町の衣の文様に続き、しつこく桜の話をさせてください。今回は、昨年開催した「厳島に遊ぶ—描かれた魅惑の聖地」展(11月23日〜12月29日)で展示した《厳島八景画巻》から、宮島の大元神社に咲く桜を描いた「大元桜花」の場面をご紹介します。

 

厳島の景観の見所ベスト8を選んだ「厳島八景」をご存知でしょうか。正徳4年(1717)、厳島の光明院の僧、恕信の依頼によって、京都の公家、冷泉為綱が八景を選定します。中国の景勝地、瀟湘八景に倣って選ばれた厳島の名勝は、「厳島明燈」「大元桜花」「瀧宮水蛍」「鑑池秋月」「谷原麋鹿」「御笠濱鋪雪」「有浦客船」「弥山神鴉」の8つ。それぞれに和歌、漢詩などの詩歌と挿絵を添えて、元文4年(1739)に版本『厳島八景』(全3冊)が刊行されています。

『厳島八景』 3冊のうち上、題字と題目 海の見える杜美術館蔵

『厳島八景』 3冊のうち上、題字と題目 海の見える杜美術館蔵

さて、この「厳島八景」の成立に関わった公家のひとりに、風早公長がいます。公長は冷泉為綱に八景の題の選定を依頼し、また、版本『厳島八景』(上冊)に、「有浦客船」の和歌、「八景和歌跋」、「八景詩跋」を寄せています。

ここでご紹介する《厳島八景画巻》は、この風早家ゆかりの作例です。版本上冊にある八景の和歌と挿絵、「八景和歌跋」から成り、その後に風早公長の孫、公雄の明和5年(1768)の署名、また、それに続いて明和7年に画工に写させた旨の奥書があります。おそらく公雄による明和5年の原本を、誰かが明和7年に写させたのだと思うのですが、残念ながらそれが誰なのかは分かりません。詳細は不明ながら、江戸時代の宮島と京都の公家文化の交流の一端を示す興味深い資料です。

《厳島八景画巻》 全1巻 奥書 海の見える杜美術館蔵

《厳島八景画巻》 全1巻 奥書 海の見える杜美術館蔵

さて、前置きが長くなりましたが、あとはのんびり「大元桜花」の場面で一足遅いお花見を...。

《厳島八景画巻》 全1巻 「大元桜花」 海の見える杜美術館蔵

《厳島八景画巻》 全1巻 「大元桜花」 海の見える杜美術館蔵

穏やかな海浜に面して鳥居があり、少し奥まって社が描かれます。春霞のかかる山容を背景に、木々と桜の花に囲まれてたたずむ大元神社の静謐な趣は、嚴島神社の壮麗な社殿とはまた違った感動を誘います。現在も大元神社を訪れると、このひっそりとした聖域の空気が、当時と変わらず漂っているように感じられます。

《厳島八景画巻》 「大元桜花」部分

《厳島八景画巻》 「大元桜花」部分

《厳島八景図巻》はページ数の都合で展覧会ブックレットに掲載できなかったこともあり、何かの機会にご紹介したいと思っていました。「厳島に遊ぶ」展は寒さが深まる中で展示の準備をしていたので、春はことさら待ち遠しく、桜の季節がきたら「大元桜花」をぜひ訪れてみたいと思っていたのです。しかし、残念ながら今年は新型コロナウイルスの影響で叶いませんでした。そんな今年の桜への未練も含めて、この機に一部をご覧頂きました。

来年は穏やかな春が訪れるよう願うばかりです。

 

谷川ゆき