第17回 香水散歩 読書推進期間 ポール・ポワレ

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(重い本の包みを持って歩いたグラース国際香水博物館付近の通り)

こんにちは、特任学芸員の岡村嘉子です。「香水散歩」開始以来の変化のときが訪れました。これまで、ヨーロッパや日本の町を旅しながら香りに関して思うところや最新情報をお届けしてまいりましたが、世界的な新型コロナウィルスの蔓延により、その「旅」ができない状況になりました。

けれども、表題に掲げた「散歩」までできなくなったわけではありません。物理的に体を使った散歩はできないまでも、精神における散歩はこれまで通り続けられるのではないでしょうか。そのような思いを強めてくれるのが、読書や、DVD及びネットから配信される映画や音楽の鑑賞です。それらによって、私たちはあらゆる時代のあらゆる場所へ思いを馳せることができます。それは、美術館の所蔵作品についての知識を深めてくれたり、また美術館の所蔵品となる以前にその作品がどのような人物たちとともにあったかを伝えてくれたりします。

しかもそれらは、またいつか自由に出歩けるようになったら、この作品を見に行こう、この香りを嗅ぎに行こうという未来への希望を抱かせてくれるのです。世界は広く、素晴らしい宝物や尊い存在に満ちている―—そのように私が思わずにはいられなくなった書籍や映画を、この機会にご紹介していきたいと思います。

Pauke Poiret

「ポール・ポワレ クチュリエ・パフューマー」展図録 グラース国際香水博物館、2013年

今回ご紹介するのは、第6回と第7回「香水散歩」でもお馴染みの南フランスのグラース国際香水博物館で開催された、2013年の夏の展覧会の図録です。本書は、この博物館を訪問した際、ミュージアムショップで購入した大量の本のうちの一冊です。その日私は購入した本を1回では持ち帰れずに、ふうふう言いながらホテルと博物館を2往復することとなりました。なぜそんなにも大量に買ってしまったかというと、まもなくミュージアムショップの書籍コーナーを模様替えするとのことで、書籍の在庫セールをしていたのです!

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いずれの書籍も、他の都市やインターネットではなかなか見つけられない貴重なものばかり。これも何かのご縁と自分に言い聞かせて、気になるものはすべて買ってしまいました。大量のまとめ買いの常として、じっくりとそのすべてに目を通すことはなかなか叶いませんでしたが、外出が制限されたこの特別な大型連休期間のおかげで、ようやくそれができました。

本書は、20世紀前半に活躍したフランスのファッション・デザイナー、ポール・ポワレの香水分野における仕事を網羅的に紹介しています。世界の香水の一大産地、否、香水産業の首都たる威信をかけて、グラースの地で開かれる展覧会の図録に相応しく、ポワレの香水を様々な角度から取り上げた論文が豊富な資料と共に多数収録されています。驚いたことに論文執筆者の中には、「香水散歩」でも何度も取り上げている今日を代表する調香師ジャン=クロード・エレナも含まれています。そのため、今まで不明瞭であったところや、あまり語られることのなかった部分も明らかにしてくれる、大変充実した構成の一冊です。また、ポワレの革新性を伝えるために、ポワレ登場以前の香水産業の歴史が詳述されている点も、私としては嬉しいところです。

さて、ときに「革命児」とも呼ばれるポワレの革新性とはどのようなものであったのでしょうか。せっかくですから、海の見える杜美術館の所蔵作品とともにそれをお伝えしたいと思います。なにしろ、当館にはポワレが手掛けた香水分野の作品がいくつも所蔵されているのですから!

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ジョルジュ・ルパップ(1887-1971)《ロジーヌ社》1911年、リトグラフ、海の見える杜美術館所蔵

ポワレの革命児ぶりを余すことなく伝えるのは、まずはこちらの作品でしょう。画面下部のフランス語は「ロジーヌ社」と書かれています。本作品は、イラストレーターのジョルジュ・ルパップの筆による、1911年にポワレが立ち上げた香水製造会社、ロジーヌ社のリトグラフです。シャネルしかり、ディオールしかり、服飾メゾンが香水を発表するという、現在ではごく当たり前のことも、当時にあってはまだ珍しいことでした。そのような中、ポワレは自分のドレスの仕上げには香水が欠かせないと、香水分野に積極的に乗り出して大成功をおさめたのです。

彼を成功に導いた要因の一つは、イメージ戦略ともいえる様々な試みです。ポワレは、贅を尽くした美しいドレスを提供するだけではなく、そのイメージを人々の心に深く刻ませようと努めました。そこで彼はとりわけ広報部門を重視します。そのために、様々な分野のアーティストたちを協力者として採用したのです。とりわけイラストレーターは重要な役割を担いました。ポワレのドレスを纏う女性たちのファッション・イラストを一冊の冊子にまとめて顧客たちに配ったのです。カタログの配布も、今日では名だたるメゾンで頻繁に行われていることですが、ポワレはその元祖であったと言われています。

このイラストを描いたルパップも、ポワレのイメージ戦略の重要な協力者の一人でした。ルパップは、ポワレのドレスを纏って、こんな夜会に出てみたい、こんな風にテニスをしてみたい等、具体性を持った夢を抱かせるイラストを次々と描きました。それらに加えて、自らの感情に忠実な女性の姿態――例えば、「倦怠」を主題に、物憂げにのびをする女性等――を描くことで、見る人の精神の奥深くにまで巧みに訴えました。彼のドレスを纏えば、自らの欲望や感情をより露わにできる新時代の自由な女性になれるのではないかと夢見させたのです。

さて次は、描かれた女性の装いを見てみましょう。ポワレは第10回「香水散歩」で登場したマリアーノ・フォルチュニとほぼ同時期に、女性のドレスのシルエットを激変させた一人です。それまでコルセットで締め付けられていた女性のウエストは、胸の下からゆったりとしたドレープが広がる彼のドレスによって解放されました。それには、フランス革命直後からナポレオン1世誕生までの間に流行した、ディレクトワール・スタイル〔新古典主義様式、1795-1803〕に着想を得たと言われています。なるほど本作品でも、ハイウエストですね。

さらに詳しく装いを見てみましょう。羽根飾りのついたターバンやハーレム・パンツ等の東洋の影響が色濃く出ていますが、これもまたポワレの仕事を特徴づけるものでした。これにはあるイメージソースがありました。それは、このリトグラフが世に出る1年前、パリではセルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュス〔ロシアバレエ団〕による演目「シェエラザード」が上演され、パリの人々を熱狂させていました。ほどなくして「シェエラザード」という名のナイトクラブが開店するほどの人気ぶりであったといわれています。

『千夜一夜物語』に想を得たこのバレエの舞台は、東洋の国ペルシアの王宮にあるハーレムでした。ポワレは、すかさずそのイメージを活かしたドレスを制作します。本作品の女性も、ハーレムに住まうオダリスク(女奴隷)とみなされています。描かれた場所が東洋であることは、部屋の設えからもわかります。彼女は西洋の生活では基本となる椅子には座らずに、色とりどりのたくさんのクッションに囲まれているのですから。

しかしここで一つの疑問が浮かびます。王の寵愛をもってしか生きられない女奴隷のオダリスクを、パリ上流階級の女性たちが憧れの対象としてみなしていたのでしょうか? どうやらそのようなわけではないようです。バレエ・リュスの演目「シェエラザード」に登場するオダリスクや王の妻は、19世紀にドラクロワやアングルが描いたハーレムの女性たちとは異なる性質を持っていました。20世紀の彼女たちは、男性の絶対支配に従うだけの女性ではもはやありませんでした。その姿が、当時のパリの上流階級の女性たちの目には、斬新で進歩的で魅力的なものに映ったようです。

ポワレが東洋のイメージを活用したのは、ドレスや広報物に留まりませんでした。彼は、この東洋的なドレスを人々に着せて、大祝宴を開きました。その祝宴の名は「千二夜物語」(洒落ていますね!)。 その際、彼は庭に、香水を振りまいて、魅惑的な匂いがたちこめる場を作り出しました。使用された香水は、「ニュイ・ペルザン」、フランス語で「ペルシアの夜」と名付けられた香りです。加えて帰り際には、招待客にこの香水瓶をお土産として渡しました。香水瓶の蓋をそっと開ければ、いつでも香りとともに、パーティの楽しかった時間が蘇ってくるのです。これほど深い印象を、しかも長く抱かせることはないでしょう。

このたった一枚のリトグラフは、彼のドレスも、彼を取り巻く芸術の協力者たちの顔ぶれも、独創的なパーティの演出や香水も、また当時のパリの流行をも物語ってくれるものなのですね。

最後にここでちょっとマメ知識です。ポワレの香水の会社名はなぜ他の服飾メゾンのようにブランド名ではないのでしょうか? 彼の香水会社名の「ロジーヌ」は、フランスの女性の名前ですが、これはポワレの長女の名前が冠せられています。拙宅の近所にもお嬢様の名がつけられたカフェやギャラリーがあり、その名がオーナーたちの子煩悩ぶりを伝えていて微笑ましくなりますが、ポワレもどうやらそのタイプだったようですね!

ロジーヌ社の香水瓶の制作を担っていたマルティーヌ工房やコラン工房のことは、いつかまたこちらでご紹介したいと思います。

岡村嘉子(クリザンテーム)

◇ 今月の香水瓶 ◇

バレエ「シェエラザード」の上演と同年にポワレが発表した香水「アラジン」が入れられた香水瓶です。本作品はマリオ・シモンとポワレによって1919年にデザインされました。この香水瓶からも、東洋への傾倒ぶりが見てとれますね。

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ポール・ポワレ(ロジーヌ社)香水瓶《アラジン》

デザイン:マリオ・シモンおよびポール・ポワレ、1919年、金属に銀メッキ、茶色パチネ、ベークライト、海の見える杜美術館所蔵