うみもり香水瓶コレクション8 黄金の夢

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。突然ですが皆様、毎晩、幸せな気持ちで眠りについていらっしゃいますか? 私は毎晩、本(たいてい推理小説)を読みつつ、数ページで寝落ちをし、気付くと朝という日々を過ごしています。そのような私には、使う機会も、また使われる機会もなかなかない言葉ですが、イタリア語を学び始めた頃に知って以来、憧れを抱き続けている、就寝前のある決まり文句があります。それは「ソンニ・ドォーロ(黄金の夢を)」です。「ブオナ・ノッテ(おやすみなさいませ)」の後に添えて使われる言葉ですが、一日の最後の瞬間が、にわかに優しい空気に包まれる素敵な言葉ですね。

この決まり文句への憧れは、《黄金の夢》と題されたL.T.ピヴェール社の香水瓶を目にしたことによってさらに強まりました。今回、うみもり香水瓶コレクションとしてご紹介する香水瓶です。こちらです👇

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

L.T.ピヴェール社、香水瓶《黄金の夢》1924年、透明クリスタル、金、デザイン:ルイ・スー、製造:バカラ社、海の見える杜美術館所蔵、PIVER,FLACON RÊVE D’OR, Louis SÜE – 1924, Transparent crystal, gold、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

いかがでしょう、あたかも黄金に輝く甘美な夢を見るための魔法の薬が入れられているように思われませんか? 美術館で目にする度に、いつか同じものを枕元にちょこんと置いておきたいなあと思う香水瓶です。

透明クリスタルと、その周囲を覆う丸みを帯びた金色装飾という、あっさりとしたデザインのなかに、可愛らしさやエレガンス、洗練といった要素が、この香水瓶には詰まっています。金色部分は、本作品を製造したバカラ社において、手作業で金彩が施されたもの。熟練の職人技が生み出す質の良さがあってこその、洗練やエレガンスであると再確認させられます。

この香水瓶には、「黄金の夢」という同名の香りのお粉用のパウダー・ボックスもあります。こちらです👇

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

L.T.ピヴェール社、パウダー・ボックス《黄金の夢》、1925年、紙、ボール紙、デザイン:ルイ・スー、製造:バカラ社、海の見える杜美術館、PIVER,Powder box,1925, Paper, card board Design by Louis SÜE -1925, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima

図案化された菊(フランス語でクリザンテームです!)のような花や字体が、アール・デコ様式においてしばしばみられる、明るく軽やかな雰囲気を醸し出していますね。アール・デコ様式のデザインは、いまや私たちの生活のいたるところに取り入れられているため、今日からすると、その新しさを感じにくくなっていますが、この香水瓶やパウダー・ボックスの発表時である1920年代半ばにおいては、新時代の到来を告げる非常に斬新なものでした。

第一次世界大戦前にアール・ヌーヴォーが席巻したパリでは、大戦直後から、それまでの植物を思わせる流麗な曲線に代わって、直線を多用した幾何学模様がより多く表現されるようになります。その範囲は絵画、ファッション、建築、さらに日用品にまで及びました。ル・コルビュジエが、歴史的な装飾や様式感情を排して、徹底した合理主義に基づいた建築を発表したのもこの頃のことです。そして、多分野にわたるデザインの革新が、世界的に知られる契機となったのは、後にアール・デコという造語のもととなる、1925年にパリで開催された通称、アール・デコ展(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)です。

まさに今回の《黄金の夢》も、この博覧会に出品されました。展示場所となった、老舗香水メーカー、L.T.ピヴェール社の展示室の内装は、香水瓶のデザインをした装飾家で画家のルイ・スーが、自身の会社「フランス装飾社」の共同設立者のデザイナー、アンドレ・マールとともに手がけました。

こちらが当時の展示室の様子です。

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館

©Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
©海の見える杜美術館

現代装飾美術・産業美術国際博覧会 L.T.ピヴェール社展示室、1925年、複製写真、海の見える杜博物館、PIVER STAND ART DECO EXHIBITION, 1925,Reprint photography, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

背もたれが特徴的な形の斬新なチェアセットの背後に、半円形の土台の陳列ケース、天井にはパウダー・ボックスで使われた菊を思わせる花びらの装飾が施されています。可愛らしい小部屋ですね。

ところで、アール・デコ展に足を運んだ1600万人にも上る来場者のなかには、朝香宮夫妻の姿もありました。帰国後、東京の白金台に、現在は東京都庭園美術館として公開されているアール・デコ様式の邸宅を建設したことは、きっとご存知の方も多いことでしょう。第3回第4回香水散歩でもご紹介した、旧朝香宮邸のアンリ・ラパン《香水塔》に代表される、フランス人装飾家たちの当時のデザインは、ル・コルビュジエほど厳格に装飾を否定するものではなく、むしろ歴史的な装飾を現代的に再解釈したものでした。そのため、《香水塔》にも、また香水瓶《黄金の夢》にも、ロココ様式を特徴づけた、くるんとした渦巻が効果的に配されています(アンリ・ラパン《香水塔》の画像はこちら)。

アール・デコ様式は、1920年代、30年代という世界恐慌を挟んで社会状況の異なる時代にまたがって流行し、また世界規模で展開されたため、ジグザグ模様や流線形、モノトーンやカラフルな色使い、高級素材から安価なものまで、各地の時代背景と結びついた様々な相貌が存在します。そのなかにあってL.T.ピヴェール《黄金の夢》は、第一次世界大戦とスペイン風邪の流行という困難極まる年月を乗り越えたフランスの人々のうちにあった、大戦前に親しんだ装飾のように優美かつ上質で、それに加えて明るい未来を感じさせる新奇なものを存分に味わんとする趣向を体現しています。コロナ禍にあると、辛苦を味わった約100年前の人々の《黄金の夢》が、より切実に感じられるように思います。せめて眠りにつくひと時くらいは、日中の緊張からすべて解かれて甘美な夢へと今宵は誘われますように……皆様にソンニ・ドォーロ!

岡村嘉子(クリザンテーム)