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引札 —新年を寿ぐ吉祥のちらし—

【趣 旨】

江戸時代(1603-1868)の中頃から、宣伝のために引札(チラシ)を配りはじめました。昔は版木で1枚ずつ摺っていました。明治時代(1868-1912)になって銅版・石版・活版や印刷革命たる機械印刷の時代を迎えると、短時間で大量に安く印刷できるようになり、また、規制されていた暦(カレンダー)の発行の自由化もあって、毎年正月にはカレンダーつきの引札を、そして他の店よりも美しくインパクトのある引札を全国の商店が競うかのように配りだしました。

その引札には、神々・伝承・物語をはじめとした伝統的な絵や、当時の社会情勢・風俗・流行などが描かれていました。テレビやインターネットもなく口コミが主な情報源の時代に、目を見張る色彩と情報を持つ引札は、それを手に取る人々の心を躍らせ感化したのではないでしょうか。明治時代の末には世帯数を上回る1000万枚以上が全国で配布されるマスメディアとなり、正月の風物詩、引札文化を生み出しました。

このたびの展覧会では当館所蔵品の中から、明治時代のお正月用の引札を中心に約1750点を選び出して映像で概略を示すとともに、作家・印刷技法・時代・図様などテーマを設けて約150点の引札を展示いたします。明治時代の新年の引札文化の一端を感じていただけましたら幸いです。

チラシPDFダウンロードはこちら

【基本情報】

[会期]2021年11月27日(土)〜2021年12月26日(日)
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。
[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料
*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。
[主催]海の見える杜美術館
[後援]広島県教育委員会、廿日市市教育委員会


【イベント情報】

当館学芸員によるギャラリトーク

日 時=12月4日(土)、25日(土)、各13:30〜
会 場=海の見える杜美術館 展示室
参加費=無料(ただし、入館料が必要です)
事前申し込み=不要


【章立て・主な出品作品】

第1章 明治16年頃までの引札

江戸時代中頃から作られるようになった引札は、明治時代にはいっても浮世絵版画と同じように色ごとに版木を摺り重ねて作る木版画が主流でした。商店は、年の瀬になると宝船などの吉祥の図像が描かれた引札を版元から購入し、それに店の名前を印刷してなじみのお客様に新年のあいさつとして配りました。略暦(カレンダー)付きの引札が人気でしたが、略暦の印刷には明治政府からの許可が必要であったため、この頃の引札の多くは暦問屋によって扱われていました。

《恵比寿 お多福 算盤》河鍋暁斎
明治初期(1868-82)
《七福神 蓬莱山》歌川芳春
明治14年(1881)頃

第2章 略暦刊行の自由化と印刷革命

明治16年に略暦の発行が自由化されると、多くの印刷所が引札制作に参入しました。そこには銅板や石版など、これまで引札を制作してきた暦問屋にはない技術がありました。彼らは競い合うように様々な技法を駆使し、時には既存の技法を組み合わせて新しい表現を編み出しました。明治25年頃から引札印刷の主流になったのは、まず絵を木版に彫り、その版を転写紙で石版に写しとって製版し機械で大量印刷するという手法でした。多色刷石版の一種、クロモ印刷など西洋から入ってきた最新技術も次々と取り入れられていきます。

ここでは印刷技法に注目して引札をご覧ください

《商店 港 繁昌の様子 大日本海陸繁栄之図》
明治後期
《女性 扇 梅 竹 牡丹》
明治末~大正(1907-26)
《金太郎 鷲》(部分)
明治37年(1904)頃
《日の出 鶴》三島文顕
明治中期(1882-1897)

第3章 引札を描いた絵師たち

機械式の大量印刷が始まると、やがて全国の小さな個人商店までもが引札を購入するようになり、明治後期には1,000万枚以上が全国で配られたといいます。引札の流通が盛んになるにつれ、絵を手掛ける絵師たちの人数も増え、顔ぶれも多様化していきます。今回調べただけでも100名を超える絵師が引札に参画していることが分かり、長谷川派や歌川派の浮世絵の流れを汲む絵師たち、日本画家や洋画家として名前を知られる作家たちがいるほか、引札の中でしか名前を見ることのできない経歴等がいまだ不明な画家も多くいます。

この章では引札に関わった絵師たちをご紹介いたします。

《騎馬の大将 陸軍兵士 色紙 桜 日の出》
北野恒富 明治37年(1904)頃
《広告屋 口上役 大黒 床の間 正月》林基春
明治中期(1882-1897)

第4章 引札に描かれた物語

新年に配布する引札には、新しい年の訪れを寿ぐ、長寿・富貴・商売繁盛・立身出世などの意味を持つおめでたい吉祥の図像が描かれていることがほとんどです。なかには鬼を退治して財宝を手に入れる桃太郎、正直者が富を得る舌切り雀の翁、努力によって村一番の農家となる種まき権兵衛などの、私たちもよく知る物語の一場面が描かれる引札も散見されます。これは、人々がそれら物語の中に勇敢さ・正直さ・勤勉さによって富を得るという、おめでたい面を見出したことによると思われます。

当時の人々に楽しまれた物語をご覧ください。

《常盤御前 雪行 雪除松 色紙 色かへぬ…》尾竹国一
明治35年(1902)頃
《天手力男神 天岩戸 巻子》
明治後期(1890-1912)

第5章 新しい時代の風景を描く

昔ながらの吉祥の図様と並んで、新時代の流行も引札に取り入れられてきました。汽車や自動車、飛行機など、当時の人たちが初めて目にする新しい乗り物が行き交う風景や、郵便、電話といった新たな通信手段や、または西洋楽器を弾く、犬を飼う、列車で旅行するなどの最先端の生活文化が、活気ある様子で引札に描かれます。今のようにテレビもインターネットもない時代、とりわけ情報がいきわたりにくい地域で生活する人々にとって、引札は都市の流行を知るためのメディアでもありました。色鮮やかに描かれた目を驚かすような新時代の文化に人々は心躍らせたことでしょう。そしてそれは富や発展を感じさせるものでもあったことでしょう。

当時の人々が憧れた新時代の生活の様子をお楽しみください。

《幻灯機 母子 松梅》
明治34年(1901)頃
《自動車 飛行機 東宮御所 富士 色紙》
明治後期(1890-1912)
《七福神 飛行機 日の出 富士》
明治末~大正(1907-26)
《電話 女性 恵比寿》
明治後期(1890-1912)

第6章 描かれた商いの風景

引札には、農業・漁業などの産業や、また、米店・乾物店・酒店などの食料品店、呉服・履物などの衣料品店ほか、多種多様な店舗の様子が描かれています。いうまでもなく、これは引札を配っている店の仕事を見た人に覚えてもらうためであり、新年に配るにふさわしく、店は大いに繁盛し、来店客も幸せいっぱいな様子に描かれています。例えば足袋屋の引札では、足袋の製造から販売までおこなわれている店の様子がにぎにぎしく描かれています。この引札を買った足袋屋は余白に新年の挨拶と店の名前を太々と書いてなじみの顧客に渡したのです。

当時の商いの情景と余白に記された商店の情報を合わせてお楽しみください。

《足袋屋 店内》
明治35年(1902)頃
《小間物屋 店の様子 母子 内外小間物商》尾竹国一
明治35年(1902)頃

第7章 不動の吉祥キャラクター

引札には七福神・福助・お多福を始めとした数々の福の神が描かれています。中でも恵比寿と大黒は圧倒的な人気を誇っていて、当館所蔵の引札のなかでは4枚に1枚は恵比寿か大黒がどこかに登場しています。気球に乗ったり、花見をしたり、時には帽子の上にチョンと乗っていたりと、まるで隠れキャラのような描かれ方まで。福の神はとにかく仲がよさそうに描かれていてほほえましく、明治時代も終わりごろになると、神様というより親しみやすいキャラクターとして描かれたようです。

人々に愛された福の神の姿をご覧ください。

《恵比寿 大黒 遊戯 子捕ろ子捕ろ 福来》
明治40年(1907)頃
《恵比寿 大黒 気球 日の出 富士》尾竹国一
明治34年(1901》頃
《小間物 象 福助》
明治35年(1902)頃
《小間物屋 傘 帽子 恵比寿 大黒》尾竹国一
明治35年(1902)頃