竹内栖鳳ってどんな人?

んでも描いた!

当時日本ではなかなか見られなかった珍しい象やライオンなどの動物から、
雀や猫などの身近な動物まで。遠いヨーロッパや中国の風景から、庭先の道具まで、
目に映るすべてを描いたといえます。

ヨーロッパを見た日本画家

36歳のときヨーロッパ各国をまわり、コローやターナーの油絵に感銘を受け、
日本画の改良点すべき点に気づきます。それはその後の栖鳳の画業ばかりでなく、
後進の画家にも影響を及ぼす出来事でした。

あふれるリスマ!!

栖鳳にはすばらしい指導者としての一面もあります。彼のもとには上村松園、
西村五雲、小野竹喬といった、個性あふれる若手画家がたくさん集結しました。

弟子たちの取り組みを温かく見守りつつ、自身もそれに刺激を受けて
切磋琢磨したのでした。

 

◎竹内栖鳳の略歴◎

1864(元治元年)0歳 京都に生まれる

京都の料亭の子として生まれます。幼名は恒吉。
小さい頃から絵の好きな子供でした。

1881(明治14年)17歳 幸野楳嶺塾に入塾

「棲鳳」の雅号(画家としての名前)をもらい、すぐに頭角をあらわします。

1892(明治25年)28歳 ぬえと呼ばれて

鵺とは色々な動物がミックスした妖怪。
色々な絵の流派を混ぜて描いた棲鳳の絵は、鵺のようだと批判されました。
しかし、伝統を受け継ぎながらも革新を図る棲鳳のスタイルは、
ここから始まりました。

《秋冬村家図》1897年(明治30年)33歳 

1900(明治33年)36歳 ヨーロッパに渡る

ヨーロッパを視察し、現地の美術や風景を実際に見る機会に恵まれました。
帰国後すぐに、それまでの日本には見られなかったようなライオンや
西洋風景を描き、大きな話題となりました。

1903(明治36年)39歳 渡欧の成果、《羅馬之図》

やわらかな光線、湿気を含んだ空気。
それまでの日本画とはたしかに違う作品《羅馬之図》。
3年前の渡欧で見た景色、美術がそこに活かされています。

1920(大正9年)56歳 中国

日本画の源流である中国絵画を育んだ自然や風物を見るため、中国大陸へ。

《小春》1927年(昭和2年)63歳

《家兎》1934年(昭和9年)70歳

1937(昭和12年)73歳 文化勲章受章

横山大観らとともに第一回文化勲章受章。

《二龍争珠》 1940年(昭和15年)76歳

1942(昭和17年)78歳 永 眠

体調を崩しながらも絵を描く日々。
1942年8月23日、生涯を終えました。

 

生誕150年記念 竹内栖鳳

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