お帰りなさい 展示ケース

当館の所蔵品を中心として構成された『生誕150年記念 竹内栖鳳』巡回展示が8月に無事終わりを迎え、およそ1年ぶりに作品たちが、そして一緒に巡回していた展示ケースたちが帰ってきました。
20150906 お帰りなさい 展示ケース

展示ケースは、作品がよりよく見えるように存在感を消しているので目立ちませんが、作品を衝撃や汚染から守る大切なアイテムです。展示ケースなくして展覧会は成立しません。展覧会の影の主役といってもいいのではないでしょうか。このたびの展覧会に使用した展示ケースは、作品がとても見やすくて良かった、と、お喜びの声を頂戴する事が出来ました。 ホッ。
20150906 お帰りなさい 展示ケース2

海杜のスタッフは、作品の魅力をご堪能いただくためにはどのようにすればいいか、いつも想いをめぐらし、展示ケースや額椽などに工夫を凝らします。たとえば、作品の本来持っている“感じ”を大切にしつつ、隅々まで詳細にご覧いただきたいとの思いから、海杜オリジナルの浮世絵の額が生まれました。
20150906 お帰りなさい 展示ケース3

お客様のご満足の様子を拝見できたとき、体の内側からじんわりと喜びが湧き出てきます。

 

うみひこ

竹内栖鳳没後73年 戦後70年

竹内栖鳳は1942(昭和17)年8月23日に没しました。

その後、時代は戦局悪化の一途をたどり、翌1943(昭和18)年には学徒出陣が始まります。

美術の世界も時局の流れに従い、同じく1943年に『日本美術及工芸統制協会』と『日本美術報国会』の二つの組織に集約されて、徹底的に管理されていきます。国家は、ナチスドイツの文化統制にならって、芸術を権力でねじ伏せ、隷属させるつもりだったのでしょうか。

海杜の所蔵する『日本美術及工芸統制協会』関係資料には、常軌を逸した美術界の生々しい記録が含まれています。単に美術史上の資料にとどまらず、この歴史を二度と繰り返してはならないと警鐘を発している史料でもあります。

 

所蔵史料より

20150830 竹内栖鳳没後73年 戦後70年 日本美術及工芸統制協会資料 (2)

1) 一八企局第三四三〇号

 

20150830 竹内栖鳳没後73年 戦後70年 日本美術及工芸統制協会資料 (1)

2) 美報美統会報

 

 

海杜の所蔵品を中心とした『生誕150年記念 竹内栖鳳』巡回展が、明日8月30日(日曜日)、いよいよ最終館の小杉放菴記念日光美術館で最終日を迎えます。一人でも多くの方がご来館され、美術の醍醐味を満喫していただいて、平和の再認識につながることを願ってやみません。

 

さち

青木隆幸

 

 

1)一八企局第三四三〇号

「一八企局第三四三〇号

昭和十八年十月十八日

商工省企業局長 豊田雅孝

 

社団法人日本美術及工芸統制協会

会長 吉野信次殿

 

日本美術及工芸統制協会支部結成に関する件

今般美術品及技術保存を要する工芸品に対する統制の完遂を期するため貴会支部設置方に関し別紙の通各地方長官宛通牒致候に付ては之が趣旨篤と御諒承の上支部結成に万全の措置相成度此段及通牒候也」

 

 

2)美報美統会報

「美報美統会報

創刊の辞

美報会長 横山大観

 

ここに『美報美統会報』第一号を発刊した 物みな挙げて戦争にささげられる秋 用紙の不充分なのは当然であって、むしろこれを発行し得たことは極みない皇恩の有難さを思はねばならない。思ふに会報は会員相互の親睦、連絡、報告の機関だけに止まらず広く大東亜戦下わが芸学人の活動を伝へて恥なく、これを後世に残して悔なき底の覚悟を以て運営されねばならない。形は小さくとも、そこに現下芸学人の雄渾な魂が溌剌と反映していなければならない、それにはまづ芸学人自体が全魂全霊を以て、各自の芸道に打込むべきである。わが前線勇猛の将兵は真に命を的に戦っている。我等芸学人も亦命がけでなければならない。いやしくも資材のふそくなどかこつべき秋ではない。かの宋の絵画は僅か色紙大の小幅でよく唐の眼の文化に対し高き心の文化を樹てたではないか、一本の筆、一丁の墨があれば紙障子を剥がしても、気韻生動の作は生まれようし鑿と槌があれば廃木に不朽の名品も刻まれよう。 (中略)

未曽有の国難に際会して、今こそ全生命力を傾けて己が本然の使命と戦ふ。真に日本的芸道の開拓につとめよう。それが芸学人の真の報国の大道である。会報の創刊を祝して所懐を述べる次第である。」

『美報美統会報』第一号所収、社団法人日本美術及工芸統制協会、昭和19年6月15日、頁1

 

(以上転載にあたり文字を適宜あらためました)

竹内栖鳳展 in 小杉放菴記念日光美術館

20150721竹内栖鳳展 小杉放菴記念日光美術館 竹内栖鳳展オープン直前の竹内栖鳳展示室

昨年から始まった「生誕150年記念 竹内栖鳳」巡回展が、いよいよ最終館を迎えました。振り返ってみると、当館の栖鳳作品は「竹内栖鳳展 近代日本画の巨人」2013年(東京国立近代美術館、京都市美術館)にも出品していたので、足かけ3年全国を巡ったことになり、作品保全のため、しばらくのあいだ公開できなくなると思います。皆様この機会にぜひ、小杉放菴記念日光美術館へお越しください。

20150721竹内栖鳳展 小杉放菴記念日光美術館小杉放菴記念日光美術館

ところで、日光は言わずと知れた観光地、世界遺産「日光の社寺」や華厳滝、中禅寺湖、名所をあげればきりがなく、日光駅(JR・東武)から美術館までのあいだも、名水で作る蕎麦、ゆば、シソ巻き唐辛子etc、名店の数々が並んでいます。距離にして1.6キロ、私は歩いて20分ぐらいでした。以下沿道の写真です。もちろんバスもあります。

20150721竹内栖鳳展 国登録有形文化財 日光物産商会国登録有形文化財の建物 日光物産商会

20150721竹内栖鳳展 日光の美味しい水日光のおいしい水

20150721竹内栖鳳展 日光ゆばゆば屋さん

20150721竹内栖鳳展 シソ巻き唐辛子しそまき唐がらし屋さん

20150721竹内栖鳳展 日光総合支所 世界遺産都市日光お城みたいな建物は「日光市役所 日光総合支所」

日光には名所、珍味、そして竹内栖鳳の名作があります。
重ねて申上げます。
皆様ぜひ、小杉放菴記念日光美術館へお越しください。

日光市市制施行10周年記念
生誕一五〇年記念 竹内栖鳳展
2015年7月18日(土曜日)~2015年8月30日(日曜日)
http://www.khmoan.jp/report/2015/ex-130.html

スエズ景色(油彩) 竹内栖鳳

うみひこ

 

「碧南市藤井達吉現代美術館で竹内栖鳳展が開催中です!」

4月14日から、愛知県の碧南市藤井達吉現代美術館で「生誕150年 竹内栖鳳」展が開催中です。
実は今回は、展示替えの最中の会場にお邪魔させていただくことができ、
スタッフの皆さんが一丸となって会場作りに取り組んでいるのを拝見しました。
1回の来館でご満足いただけるよう、できるだけたくさん作品を展示した、とのことです。とはいえ、とてもすっきりとして、居心地のよい空間となっています。

以下、内覧会のときの会場の様子をご紹介します。(掲載写真は碧南市藤井達吉現代美術館の許可を受けています。)
20150417-01
会場入り口で、栖鳳展のアイドル(と私は思っている)小春ちゃんが
ライトを浴びてお出迎え。

20150417-02
きれいなクリーム色の展示ケースの中には襖がズラリ(写真右)。

20150417-03
《羅馬之図》は「西洋との対決」というセクションで展示。
こちらは展示替えがあります(六曲一双屏風のうち、
左隻:4月14日(火)~5月10日(日)、右隻:5月12日(火)~6月7日(日))。

20150417-04
113年ぶりの公開となった《スエズ景色》の前では、「これがあのニュースの…」
というつぶやき声が。

20150417-05のコピー
今回、「動物園コーナー」とでも言うべき一部屋があり、栖鳳の描いた動物が大集合しています。そんな中に、渡欧前の「棲鳳」時代と渡欧後の「栖鳳」時代の虎2作品を並べた場所が。比較してみると面白いですね。

これ以外にも、工芸作品や、栖鳳の画業では稀少な、人物を描いた作品・資料をも取り揃えて展示してありますよ。栖鳳の画業を見渡すことのできる、見ごたえのある展覧会です。6月7日(日)まで開催しています。是非、たくさんの方にご覧いただきたいと思います!

 

森下麻衣子

姫路市立美術館で「生誕150年記念 竹内栖鳳」展が開幕です!!

2月7日より、姫路市立美術館で「生誕150年記念 竹内栖鳳」展が
開催されています。
姫路市立美術館「竹内栖鳳」20150206⁻1

前日6日の開会式には、多くの方がご出席され、大変盛況となりました。
姫路市立美術館「竹内栖鳳」20150206‐2-2
《羅馬之図》に見入る皆様。


姫路市立美術館「竹内栖鳳」20150206⁻3-2
大パノラマの襖絵《秋冬村家図》。

113年ぶりの公開となり、メディアで大きく取り上げられた《スエズ景色》や、
猫のしなやかさを巧みに描き出した《小春》をはじめとする栖鳳の名品を
一斉にご覧いただける展覧会です。
下絵や写真などの資料も豊富です!この機会に是非ご覧になってください。
3月29日(日)までの開催です。

姫路市立美術館 「竹内栖鳳」展 特設ページはこちら↓
http://www7.kobe-np.co.jp/blog/seiho/

森下麻衣子

竹内栖鳳展、閉幕いたしました。

特別展「生誕150年記念 竹内栖鳳」展は、12月14日(日)をもちまして無事閉幕いたしました。県内外を問わず、たいへん多くの方々にご来場いただき、まことにありがとうございます。

ひと月半ばかりの決して長くはない会期ではございましたが、栖鳳の誕生日会や高階秀爾先生による記念講演会といったイベント、そして《スエズ景色》の旧蔵者に関する新知見が出てくるなど、さまざまな出来事がございました。
この展覧会を通じて、ひとりでも多くの方々に、栖鳳の魅力をお伝えすることができましたなら、大変うれしく思います。

本展はこの後、姫路市立美術館(会期:2015年2月7日〜3月29日)、碧南市藤井達吉現代美術館(会期:4月14日〜6月7日)、小杉放菴記念日光美術館(7月18日〜8月30日)に巡回いたします。展覧会をお見逃しになった方や、再びご覧になりたい方は、ぜひ足をお運びください。

なお、私ども 海の見える杜美術館 は、12月15日(月)より、耐震補強工事のため、休館いたしております。みなさまの前に再びお目見えするのはしばらく先になりますが、よりよい美術館となるべく励んでまいりますので、変わらぬご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
「杜の遊歩道」は、休館中も変わらず四季折々の花々と彫刻作品をお楽しみいただけます。引き続き、遊歩道の豊かな自然をお楽しみください。

 

田中伝

ロビーコンサートを開催いたしました!

11月19日のブログで告知しておりましたとおり、ロビーコンサートを11月22日に開催いたしました!

よいお天気に恵まれ、多くのお客様にご参加いただきました。

今回演奏してくださったのは、デュオ旭爪姉妹のお二人です。

お姉さんの裕美子さんのピアノと、妹の千恵さんのヴァイオリンによる、息のあったアンサンブルで、現在開催中の竹内栖鳳展にぴったりなプログラムを演奏くださいました。
20141124ロビーコンサートを開催いたしました(1)
プログラムの中には、栖鳳と交流のあったヴァイオリニストであり作曲家の、フリッツ・クライスラー作曲「愛の悲しみ」「愛の喜び」もありました(2014年6月24日の投稿「クライスラーと栖鳳」をご参照ください)。

演奏の合間に、クライスラーと栖鳳の交流のエピソードや、栖鳳作品を見てセレクトした曲のお話もしてくださったので、ご参加くださったお客様には、美しい音色だけでなく、栖鳳の芸術世界をより深く楽しんでいただけるコンサートだったのではないでしょうか。

 

さらに、その日が竹内栖鳳の150回目の誕生日ということもあり、栖鳳の作品や資料の収集を続けてきた当館ならではの、栖鳳への愛をこめた誕生日イベントも。

デュオ旭爪姉妹のお二人による、格調高いハッピーバースデートゥーユーの後に…

20141124ロビーコンサートを開催いたしました(2)
くす玉がパカッと。

栖鳳と同じ11月生まれのお客様に割っていただきました。
20141124ロビーコンサート開催いたしました(3)
会場の皆様も温かい笑顔と拍手で栖鳳のお誕生日をお祝いくださり、和やかな雰囲気に。

皆様、本当にありがとうございました!

 

また、誕生日のお祝いの品として、ご参加いただいた方に、当館所蔵の栖鳳作品《小春》をモチーフにした金太郎飴をお持ち帰りいただきました。

20141124 ロビーコンサートを開催いたしました(4)20141124 ロビーコンサートを開催いたしました(5)
この、なんとも味のある表情をご覧ください。栖鳳展のアイドル的存在《小春》が…なんだか面白くなりました。ちなみに、どこを切っても同じ図柄が出てくるという、組み飴の技術で作られています。

 

帰り際に、素敵なロビーコンサートだった、楽しかったとお声がけくださるお客様もおられました。スタッフとしても、とても楽しいイベントでした!栖鳳の誕生日を多くの方とお祝いできて、本当によかったです。

栖鳳展もちょうど半ば。25日からは、一部の作品を展示替えします。引き続き、多くの方に竹内栖鳳の作品をお楽しみいただきたいと思います。皆様のご来館をお待ちしております!

 

森下麻衣子

11月22日(土)はロビーコンサートがございます!

「生誕150年記念 竹内栖鳳」展は、おかげさまで開幕以来多くのお客様にお越しいただいております。
本日は、本展をさらにお楽しみいただけるイベントのご案内です。

2014年11月22日は、竹内栖鳳の150回目のお誕生日。
これを記念し、海の見える杜美術館ではロビーコンサートを開催いたします。
20141118 11月22日はロビーコンサートがございます
今回演奏してくださるのは、現在、世界文化遺産宮島観光大使としてご活躍中のデュオ 旭爪姉妹。
ピアノとバイオリンのアンサンブルで、素敵な曲の数々を披露してくださいます。

また、この記念すべき栖鳳の150回目のお誕生日をお祝いするため、コンサートにご参加くださった皆様へ、お祝いの品として小さなプレゼントもご用意しております。創設以来、栖鳳の作品や資料の収集に努めてきた当館ならではの、栖鳳への愛の詰まったユニークなイベントになる予定です。

11月22日のロビーコンサートにどうぞ足をお運びください。
皆様のご来館をお待ちしております!

森下麻衣子

竹内栖鳳展のもう一つの見どころ ― 広間の再現

竹内栖鳳が若かりし頃描いた12面の襖絵を展示するにあたり、当初の姿に近い展示をして、栖鳳の絵に囲まれ、そして、大勢の方にお越しいただく美術館としては異例かもしれませんが、襖を開けるという所作をもお客様にお楽しみいただきたいという思いから、この度の竹内栖鳳展で広間の再現を試みることになりました。

三方を囲む空間表現、そして、襖を開けても破たんしない、襖の重なりまで計算された構図の妙、何よりそのたたずまいをお楽しみいただけると幸いです。

この展示は、第二展示室(鳥の作品を集めた部屋)の先にあります。

20141117竹内栖鳳展のもう一つの見どころ 広間の再現 (1)《秋冬村家図》広間の再現(複製)

20141117竹内栖鳳展のもう一つの見どころ 広間の再現 (3)こちらの襖を開いて次の展示へお進みください。

20141117竹内栖鳳展のもう一つの見どころ 広間の再現 (2)襖を開くとその正面に、実物の襖を展示しています。

 

12月14日まで、“幻の油絵”公開で話題の「生誕150年記念 竹内栖鳳」を開催しています。ぜひお越しください。

うみひこ

《スエズ景色》は大谷光瑞が持っていた? 伝来に関する新たな知見

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竹内栖鳳《スエズ景色》(1901年 海の見える杜美術館蔵)

竹内栖鳳が描いた唯一の油絵《スエズ景色》については、11月5日のブログ記事で詳しくお伝えしました。この作品について、最近新知見が報告されました。

《スエズ景色》は、1901(明治34)年に開催された関西美術会第1回展に出品された後、このたびの展覧会まで、一般公開の記録が確認されていません。最初の展覧会に出品されてから、今回の展覧会に至るまでの113年の間、この絵はいったいどこにあったのでしょうか?

前の記事にも書いた通り、この絵のかつての所蔵者として挙がっているのは、柴田源七という人物です。柴田は、滋賀長浜の実業家で、芸術家のパトロンとしても名を馳せた人物です。彼が特に熱心に支援したのが栖鳳でした。

《スエズ景色》が柴田に所有されていたことの根拠は、1940(昭和15)年に柴田が記した「珍什の二作品」(『塔影』16巻11号)という文章によります。この文中で柴田は、自身が所有する栖鳳の作品の中でも特に珍しいものとして、この《スエズ景色》を挙げています。これにより、遅くとも1940年までには、柴田が本作を入手していたことが分かります。

また、本作に付属する箱蓋に書かれた由緒書きは、柴田によるものです。この由緒書きの年記は、本作が発表された翌年の1902年。おそらくこの時点でも、柴田が所有していた可能性が高いと考えられます。

20141115《スエズ景色》は大谷光瑞が持っていた?-2
《スエズ景色》の箱蓋(海の見える杜美術館蔵)。「壬寅(1902年)秋日」の年記が見えます。

こうした事実より、展覧会出品直後から1940年に至るまでのおよそ40年間、この作品はずっと柴田の手許にあったものと考えられてきました。しかし、こうした推測の再考を迫る新たな情報が、このたび提示されました。京都にある龍谷ミュージアムで開催中の「二楽荘と大谷探検隊」展に出品されている写真絵はがきに、《スエズ景色》ととてもよく似た絵が写っているのです。

この絵はがきは、大谷光瑞が建てた別荘・二楽荘の一室「印度室」を写したものです。

20141115《スエズ景色》は大谷光瑞が持っていた?-3
二楽荘「印度室」の写真絵はがき(1912〜13年 龍谷ミュージアム蔵)

この部屋の左側をよく見てください。壁にかかっている絵は、《スエズ景色》と似ています。

20141115《スエズ景色》は大谷光瑞が持っていた?-4
二楽荘「印度室」の壁に掛かっている絵。《スエズ景色》と似ています。

この二楽荘を建てた大谷光瑞は、浄土真宗本願寺派第22代門主(教団の長)です。彼はヨーロッパ留学の経験もあり、教団の近代化に取り組んだ、開明的な人物として知られます。また「大谷探検隊」の名で知られる、中央アジアの調査隊を組織し、仏跡の発掘調査をするなど、様々な文化活動を行いました。

光瑞は1908年、六甲山麓に、彼が懇意にする建築家・伊東忠太が設計した壮麗な別荘を建設します。これが二楽荘です。この別荘は、光瑞が抱える多額の負債や教団内のトラブルがもとで大谷が失脚したため、落成からわずか6年後の1914年に閉鎖しています。今回話題になっている二楽荘を撮影した絵はがきは、1912〜13年に撮影されたことがわかっています。

洋の東西を問わず、宗教権力は芸術の有力なパトロンです。京都の大きな寺社は、近代に至るまで芸術家の庇護者として、絶大な影響力を有していました。栖鳳は、東本願寺との間に特に強い結びつきを持っていたことが知られています。1885(明治18)年、若き日の栖鳳は、師の幸野楳嶺とともに、東本願寺法主の大谷光勝に従い、信州から北越にかけての巡歴に同行しています。

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《北越探勝帖》(1886年 海の見える杜美術館)。栖鳳が大谷光勝に同行して北越を巡歴した際、各地の名勝を描いた画帖。

また後に栖鳳は、時の東本願寺法主大谷光演より、親鸞上人の650年遠忌にあたる1911年(明治44)に向けて整備が進められていた大師門堂の天井画制作の依頼もされています。この他、栖鳳が描いた数少ない人物画の代表作のひとつである《日稼》(1917年 個人蔵)は、東本願寺の庫裏(寺の台所)の様子を描いたものとされ、モデルとなった女性は信徒総代の娘であることが判明しています。

このように、栖鳳と東本願寺はつながりがあったことが指摘されていますが、仮に《スエズ景色》が光瑞の別荘にあったとするならば、栖鳳は光瑞が率いる西本願寺ともなんらかの関係のあった可能性が浮上してきます。

 

栖鳳と光瑞に個人的な関係があったのかどうかは、残された資料からは判然としません。しかし、栖鳳がパリ万博視察のため渡欧した時期、光瑞もヨーロッパに留学していたことからすれば、もしかしたら、現地で栖鳳と光瑞が対面するなどして、面識があったということも考えられます。

さて、果たしてこの写真に写っている絵は、栖鳳の描いた《スエズ景色》なのでしょうか? 本作を光瑞が所有していたと仮定すると、遅くとも1912〜13年までには柴田から光瑞へと所有が移り、更に遅くとも1940年までには、再び柴田の蔵に帰したということになります。しかし、この間の歴史の空白はあまりにも大きく、現時点では断定的な発言をすることはできません。ただし、《スエズ景色》の伝来に関して、今まで考えもしなかった角度からの光が当てられたことは間違いないでしょう。

《スエズ景色》は、当館にて12月14日まで展示されております。ご興味ある方はこちらと併せて、龍谷ミュージアムで11月30日まで開催されている「二楽荘と大谷探検隊」展も、ご覧になってください。

龍谷ミュージアム公式サイト:
http://museum.ryukoku.ac.jp

田中伝