松永商舗

当館は2000点を超える引札を収蔵し、2021年には展覧会引札 新年を寿ぐ吉祥のちらしを開催いたしました。引札を配布された会社の中には現在も続く老舗があり、開催時にはその関係の方々から貴重なお話をいただき、展覧会やブログの記事に反映いたしました。

このたび、当館所蔵の松永商鋪様の引札のブログ記事をご覧になられた松永家のお身内の方からご連絡いただき、いろいろなことをご教示いただきました。展覧会後ではありますが、あまりにもそのお話が興味深かったため不躾にも原稿をお願いし、ご快諾いただきましたので、ここに松永商鋪様の記録を掲載させていただきます。

ご関係の方しか知りえない貴重なお話が記されていますので、ぜひご一読ください。

青木隆幸

「松永商鋪について」

猿橋敏雄

引札を発行していた京都の松永商鋪は家内の実家です。
店は20年前程に廃業し、現在は蔵を除き家屋は残っていません。
そのため家内が祖母や母親、叔母などから聞いていた話をもとに現存していたときの店の概要と店を取り巻く周りの状況について書き留めてみました。

(店の概要)
店は京都市下京区松原通麩屋町東入る石不動之町にあり松原通に南面していました。

松原通は平安京の五条通にあたり、東にまっすぐ行くと清水寺にいたります。
その途中、鴨川にかかる松原橋が弁慶と牛若丸が戦ったという伝説のある五条の橋になります。

創業は文化元年(1804年)頃で主に太物を扱う呉服商を営んでいました。
最盛期には奉公人が20人ほどいてそれなりの店だったようで何人かの奉公人に暖簾分けもしたようです。
奉公人の食事は質素なもので、朝はお粥と漬物、夜はそれに船場汁(サバなどの魚と大根などの野菜を煮たもの)などが出た程度のものでした。  

(大丸と新選組)
幕末期、家内の店の東隣り、松原通御幸町東入には大丸呉服店(今の大丸デパート)がありました。
家内の店は屋号を西丸と称して大丸と張り合っていました。
明治になって下京で電話を引いたのも自分の店が1番早いと自慢していたそうです。

また、この松原通は新選組や見廻り組の巡回路でした。
新選組は大丸松原店であのダンダラ模様の制服を作ったようで、そのためか家内の先祖は新選組を壬生浪と呼び嫌っていたようです。

(家のつくり)
家のつくりは典型的な京町家、いわゆる鰻の寝床と呼ばれる間口が狭く、南北に細長い二階建ての家で店を構えていた本宅と普通の町家の別宅が二軒並んで建っていました。

もともとは表に面する店と奥の住居用の建物が別棟で、玄関棟でつながるいわゆる表屋造の建物のようでした。
その一部が幕末の蛤御門の変で起きたどんどん焼きで焼けたため、焼けた家を本宅に改築し、焼け残った家を別宅としたようです。
現在、それを裏付けるものは何も残っていないのですが、奉公人が20人も同じ家の二階に暮らしていたとのことですのでその可能性は高いのではと思っています。
残念ながら今はどちらも残っておらず、蔵だけが現存しております。 

参考までに当時の間取りを私どもの記憶を頼りに再現してみました。

本宅は、入口側から店の間、台所の間、奥の間、奥庭、奥庭の奥に蔵と続き、奥の間から伸びる細長い廊下の横には五右衛門風呂、廁があり、踏石があって奥庭に出れるようになっていました。

部屋の横には通り庭と呼ばれる細長い土間が入口から奥まで通り抜けられるように作られ、その途中におくどさん(かまど)と炊事場があり、その上部には火袋が設けられて吹抜けになっていました。
そのため暑い京都の夏でも風がとおり涼しかったことを覚えています。

また庭には、井戸があり庭木の水やりなどに使っていました。庭木は、槙、ナンテン、センリョウ、マンリョウ、ダイダイなど縁起の良いものが植えれ、灯籠、手水鉢、踏石などが配置されていました。

別宅は、表は店の作りではありませんでしたが坪庭のある典型的な京町家の作りで本宅に比べ小振りなものとなっていました。
本宅と別宅は店の間から行き来できるようになっていました。

(氏子区域について)
店の前の松原通は、祇園さん(八坂神社)と稲荷さん(伏見稲荷大社)の氏子の境になり、北側が祇園さん、南側が稲荷さんの氏子区域でした。
店は北側にありましたので松永家は祇園さんの氏子でした。

(祇園祭と稲荷祭)
祇園さんの祭礼の祇園祭は日本三大祭に数えられ山鉾巡行が有名ですが、かって山鉾は松原通を東から西に巡行していました。
あの狭い松原通を大きな山鉾が巡行するので鉾の屋根に乗る人が町家の屋根や瓦を鉾がぶつからないよう足でけっていたらしく、そのため町家の屋根や瓦に度々被害が及んだようです。
それでも祭のときは店に幕を張り、家宝を店前に飾るなどしていました。
幼い家内は店の二階から山鉾巡行を見物し、厄除けの粽を直接鉾に乗った人から手渡してもらったことを今でも覚えています。

また、稲荷祭のときは山鉾巡行とは逆に神輿が西から東へと練り歩きましたが、左右に振れる荒々しい神輿でよく家屋の一部を壊されたそうです。しかし神事のため誰も文句は言わなかったようです。

(季節ごとの営み)
[お正月]
座敷を正月用にしつらえ、家族全員で新年のあいさつを交わしお祝膳をいただきました。
お雑煮は丸餅に頭芋、大根を入れ白味噌仕立てにしたもので、頭芋は小分けにして正月三が日で食べきるようにしていました。
おくどさん(かまど)にも正月飾りをし、鏡餅をお供えしました。

[桃の節句]
桃の節句には、江戸期から伝えられていた古い雛人形が飾られていましたが、京都では向かって左手にお雛様、右手にお内裏様が飾られていました。

[夏の建具替え]
6月になると、障子や襖を取り払い、葦戸をかけ、網代を敷き詰め少しでも涼しくなるように工夫していました。

[地蔵盆]
8月の終わりには、近所の明王院不動寺(松原不動)で子供たちが楽しみにしていた地蔵盆が行われ、お菓子をいただいたり数珠回しなどをしたりしていました。

[秋の建具替え]
10月には、雪見障子や襖を入れ、段通を敷き詰めて底冷えのする冬に備えました。

[大晦日のをけら詣り]
をけら詣りは、祇園さんの大晦日の風物詩で除夜祭の後、「をけら灯籠」に灯された「をけら火」を火縄(吉兆縄)に点し、火を消さないように縄をくるくると回しながら店に持ち帰り、無病息災を祈願して神前の灯明や正月の雑煮を炊く火種としていました。燃え残った火縄は火伏せ(火難除け)のお守りとして台所に祀っていました。

以上

うみもり香水瓶コレクション 24 イギリスの巡礼用水筒型セント・ボトル

 こんにちは。現在、海の見える杜美術館の企画展示室では、「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」と題した、旅をテーマとする前近代から近代にかけての日本絵画の展覧会を開催しています。

 この展覧会にちなんで、香水瓶展示室では、旅に関する香水瓶を数点ご紹介しています。例えば、こちらの17世紀イギリスの銀製のセント・ボトルです👇

《セント・ボトル》イギリス、1660-70 年頃、銀、海の見える杜美術館 SCENT BOTTLE, England, C.1660-70 , silver, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 皆様は、この器形をご覧になられて何をご連想なさるでしょうか? 一見したところでは、今が旬の洋ナシのようですね。たしかに洋ナシ型は、17世紀、18世紀に数多く使われた器形でもあります。ですが、より厳密にいうと、本作品の器形は、巡礼者が聖地へ赴く際に携えた水筒という、比較的珍しい形をしています。そして、この形と図柄の調和こそが、本作品の価値を高める重要な要素なのです。ですので、この機会に詳しくご紹介いたします!

 瓶を覆う唐草模様にしばし目を凝らしていると、思いがけないところから、二つの像が浮かび上がってまいります。ひとつは、ギリシャ神話の風神の主、アイオロスです。こちらの部分ですね。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 風を自在に操るこの神は、ここでも目を見開き、頬を膨らませて、お得意の風を力強く吹かせているのがわかります。なにしろアイオロスは、西風のゼピュロスや北風のボレアース等の風の神々の頂点に君臨する風神の主です。アイオロスをして吹き飛ばせないものなどありません。

 そしてもうひとつの像は、このアイオロスに比べると、打って変わってほんわか、のほほ~んとした印象なのですが……👇。宗教画などに登場する愛らしい小さな天使です。アンディ・ウォーホルが商業デザイナー時代に描いた気ままな天使たちを彷彿させる線描ですね。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 

 唐草模様の間に、あまり目立たない形で刻まれたこの2つの像には、どのような意味が込められているのでしょうか。それには、時代背景が深く関係していると先行研究において指摘されています。

 この香水瓶の制作時期と重なる1665年のイギリスでは、ロンドンで腺ペストが猛威をふるっていました。いわゆる「ロンドンの大疫病」の名で知られる、イギリス最後の腺ペストの流行です。それは住民の2割以上の死者を出し、一時は多くの王侯貴族や市民たちがロンドンから避難するほどの規模でした。

 この疫病流行に際し1665年のロンドンに流布した広告は、香りの歴史からすると、とても興味深いものです。というのもそこでは、腺ペストから身を守る方法として、芳香酢の蒸気やローズ水やその他の香料の噴出が推奨されているのです。実際に、この広告以外の資料においても、感染拡大の結果として、大量の芳香酢で体をマッサージしたり、室内に漂わせたり、街路に撒かれたりしたことがわかっています。

 以前、フランスの例として、18世紀のガラス製携帯用香水瓶においても見ましたが、当時のヨーロッパでは、迫りくるペストの瘴気から身を守るために、香料がいかに必要とされていたかがわかりますね。

 以上のような時代背景を踏まえて、本作品を再度見てみますと、アイオロスの姿には、勢いのある神聖な風で瘴気を遠ざけたいとの願いがうかがえます。また葉叢に戯れる無邪気な天使の姿は、香りに満ちた自然が人間にもたらす恩恵を謳うかのようではないでしょうか。そして、巡礼時の水筒を模した器形には、ペストが様々に変異しながら周期的に流行するイギリスから、遠く離れた聖地への思いが込められているように思えるのです。

 感染症流行下に、かつて誰かが胸に描いた、追憶の、もしくは想像上の巡礼の旅。コロナ前に本作品を見ていたときには真に感知しえなかったその切実さを、今になって感じています。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima I学芸員撮影。

 本作品は、現在の展示ケースの中で、同時代のドイツやオランダのポマンダーやヴェネツィアのラッティモ・ガラスの香水瓶、フランスのルイ14世の弟のオルレアン公フィリップ1世お抱えのガラスの名匠、ベルナール・ペロ作の人面をかたどった香水瓶という海杜コレクションきっての傑作とともに公開されています。ぜひ17世紀のヨーロッパ各国が誇った高い技術と、地方色豊かなデザインや素材をお楽しみくださいませ。

岡村嘉子(特任学芸員)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

企画展示室情報:芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー

[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)

[休館日]月曜日(ただし9月18日(祝)、10月9日(祝)は開館)、9月19日(火)、10月10日(火)

[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料

*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。

[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料

*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。

[主催]海の見える杜美術館

[後援]広島県教育委員会、廿日市市教育委員会

「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」展、後期展示開催中です

10月に入ってようやく涼しくなり、杜の遊歩道の木々も少しずつ色づいてきました。

秋といえば行楽のシーズン、紅葉狩りや秋の味覚を味わいにお出かけになる方も多いのではないでしょうか。

今年のように猛暑が続くとなかなか四季を感じることが難しくなってしまいますが、四季のある日本では、古来より、季節や時の移ろいが多くの芸術作品で表現されてきました。絵画作品にも、春といえば梅や桜、夏は涼が感じられる滝や川の流れ、秋は鮮やかに色づいた紅葉、冬は雪を頂いた山といった季節を表すモチーフが数多く見うけられます。

現在開催中の「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」展でも、秋を感じられる作品がいくつか展示されています。

今回はその中でも、本展覧会が初公開となる《西行物語絵巻》をご紹介します。

《西行物語絵巻》は平安時代末期の著名な歌人、西行(1118-1190)の和歌やエピソードをまとめた『西行物語』(13世紀中頃成立)を絵巻に仕立てたものです。《西行物語絵巻》は3系統に大別できますが、本作品は明応9年(1500)に原本が制作されたとされる采女本(うねめぼん)の系統に連なる江戸時代の作品です。

采女本には各地の名所歌枕の景色とそれらを連想させる景物が主として描かれており、西行の行状だけでなく、古来より詠み継がれてきた歌枕への関心が見てとれます。

西行に関する物語は謡曲『西行桜』『遊行桜』『江口』の題材にもなり、江戸時代には多くの采女本系《西行物語絵巻》が作られました。

各地の名所歌枕に西行にまつわるエピソードが残っていることからも、旅に出かけることが困難であった時代に歌枕を訪ね歩く西行は、歌詠みたちだけでなく多くの人々の憧れだったことがうかがえます。

《西行物語絵巻》(部分・猿沢池)2巻のうち巻下、江戸時代

こちらは、奈良の興福寺に参詣した西行が猿沢池のほとりで、この池にかつて身を投げた采女(うねめ、奈良時代の天皇に仕えた女官)の悲恋を思い出し和歌を詠んだ場面です。

水辺には笠を被った旅姿の西行が風に吹かれながらたたずんでいます。

画面手前には鮮やかに色づいた紅葉の木、向こう側にはきょろりとした目元が愛らしい鹿が5頭描かれています。

鹿の毛並みは丁寧に描かれ、紅葉の葉はその色づきの移ろいを朱線の濃淡や色の塗り方をかえて表現されており、絵師の細やかな気配りが感じられます。

実は、詞書にも、西行がこの場面で詠んだ歌にも、鹿や紅葉という文言はありません。

藤原氏の氏神である春日神の使いである鹿は、神仏習合思想のもと、同じく藤原氏の氏寺である興福寺、そして奈良を表すモチーフとして本作品には描かれています。

また、繁殖期の秋に鳴く牡鹿は、恋しい人を想う恋心とともに万葉集の時代から歌に詠まれ、秋を示すモチーフとして表現されてきました。当初は萩などの秋草とともに歌に詠まれることが多かった鹿は、時代が下がるにつれて、同じく秋を示す紅葉との取り合わせが定着し、本作品でも紅葉が描き添えられているのではないかと考えられます。

本作品の実直な筆遣いによる薄墨の線や、さっと刷かれた淡い色彩による空間や山水の表現には、平明ながらも西行の和歌が持つもの悲しさがよく表れており、しみじみとした味わいがあります。

西行の和歌とともにご鑑賞いただければと思います。

《西行物語絵巻》(部分・伊勢)2巻のうち巻下、江戸時代

この他にも、小松均《石廊崎》や池田遙邨《佐夜中山之富嶽》《深耶馬渓》《ぐるりとまはって枯山》など、秋の訪れを感じさせてくれる作品をご覧いただけます。

「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」展は10月22日(日)までです。

うみもりテラスからの日本三景・安芸の宮島の眺めとともに、美術館での紅葉狩りをぜひお楽しみください。

講演会「中国版画研究の現在」YouTubeにアップしました!

さてこのたび、2023年5月27日・28日に行いました「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」記念講演会:「中国版画研究の現在」の全講演をYouTubeにアップしました。

どうぞご興味ある講演に下のリンクからお入りください。

さち

Technique as a Cultural Form: Making “Xiyang” in Suzhou Prints
Yu-chih LAI
Academia Sinica

Technique as a Cultural Form: Making “Xiyang” in Suzhou Prints
Yu-chih LAI
Academia Sinica

作为文化形式的技术:苏州版画中的“ 西洋”塑造
赖毓芝
中央研究

作为文化形式的技术:苏州版画中的“ 西洋”塑造
赖毓芝
中央研究院

文化形式としての技法:蘇州版画における「西洋」の制作について
賴毓芝
中央研究院

文化形式としての技法:蘇州版画における「西洋」の制作について
賴毓芝
中央研究院

Exploring the Jesuit Role in Early Qing Suzhou Prints
Anita Xiaoming WANG
Birmingham City University

Exploring the Jesuit Role in Early Qing Suzhou Prints
Anita Xiaoming WANG
Birmingham City University

探讨清初苏州版画中耶稣会所发挥之作用
Anita Xiaoming WANG
伯明翰城市大学

探讨清初苏州版画中耶稣会所发挥之作用
Anita Xiaoming WANG
伯明翰城市大学

清初期の蘇州版画におけるイエズス会の役割についての考察
アニータ・シャオミン・ワン
バーミンガム・シティ大学

清初期の蘇州版画におけるイエズス会の役割についての考察
アニータ・シャオミン・ワン
バーミンガム・シティ大学

Investigating the Origins of Eighteenth-century “Still-life” Prints in Painting
Anne FARRER
Sotheby’s Institute of Art – London,Center for Chinese Visual Studies, China Academy of Art, Hangzhou,and Muban Educational Trust

Investigating the Origins of Eighteenth-century “Still-life” Prints in Painting
Anne FARRER
Sotheby’s Institute of Art – London,Center for Chinese Visual Studies, China Academy of Art, Hangzhou,and Muban Educational Trust

自绘画中探查十八世纪“静物画”版画之起源
Anne FARRER
伦敦苏富比艺术学院,中国美术学院・杭州,木版教育信托

自绘画中探查十八世纪“静物画”版画之起源
Anne FARRER
伦敦苏富比艺术学院,中国美术学院・杭州,木版教育信托

18世紀の「静物画」版画の起源を絵画で探る
アン・ファーラー
サザビーズ美術カレッジ・ロンドン、中国美術学院・杭州、木版教育基金

18世紀の「静物画」版画の起源を絵画で探る
アン・ファーラー
サザビーズ美術カレッジ・ロンドン、中国美術学院・杭州、木版教育基金

Western Palaces and Suzhou Prints
Lucie OLIVOVA
Masaryk University

Western Palaces and Suzhou Prints
Lucie OLIVOVA
Masaryk University

西方宫殿与苏州版画
Lucie OLIVOVA
马萨里克大学

西方宫殿与苏州版画
Lucie OLIVOVA
马萨里克大学

西洋宮殿と蘇州版画
ルーシー・オリボバ
マサリク大学

西洋宮殿と蘇州版画
ルーシー・オリボバ
マサリク大学

Chinese Prints in Leykam Room
XiaoFei LI
Chinese National Academy of Arts

Chinese Prints in Leykam Room
XiaoFei LI
Chinese National Academy of Arts

关于莱凯厅中国版画
李啸非
中国艺术研究院

关于莱凯厅中国版画
李啸非
中国艺术研究院

レイカムの間の中国版画
李嘯非
中国芸術研究院

レイカムの間の中国版画
李嘯非
中国芸術研究院

Single-sheet Prints of the Northern Song Dynasty and the Beginnings of Reproduction Pictures
Kobayashi Hiromitsu
Honorary Professor, Sophia University

Single-sheet Prints of the Northern Song Dynasty and the Beginnings of Reproduction Pictures
Kobayashi Hiromitsu
Honorary Professor, Sophia University

北宋时期的单幅版画与复制画的开端
小林宏光
上智大学名誉教授

北宋时期的单幅版画与复制画的开端
小林宏光
上智大学名誉教授

北宋時代の一枚摺版画と複製絵画のはじまり
小林宏光
上智大学名誉教授

北宋時代の一枚摺版画と複製絵画のはじまり
小林宏光
上智大学名誉教授

Suzhou and Hangzhou – Looking at Suzhou Prints from the Development of Urban Imagery
Itakura Masaaki
Institute for Advanced Studies on Asia, Tokyo University

Suzhou and Hangzhou – Looking at Suzhou Prints from the Development of Urban Imagery
Itakura Masaaki
Institute for Advanced Studies on Asia, Tokyo University

从城市图发展的观点所见的苏州版画─以苏州和杭州为例
板仓圣哲
东京大学东洋文化研究所

从城市图发展的观点所见的苏州版画─以苏州和杭州为例
板仓圣哲
东京大学东洋文化研究所

蘇州と杭州、都市図の展開から見た蘇州版画
板倉聖哲
東京大学東洋文化研究所

蘇州と杭州、都市図の展開から見た蘇州版画
板倉聖哲
東京大学東洋文化研究所

Literary Tales and Chinese Prints
Ōki Yasushi
Institute for Advanced Studies on Asia, University of Tokyo

Literary Tales and Chinese Prints
Ōki Yasushi
Institute for Advanced Studies on Asia, University of Tokyo

故事与中国版画
大木康
东京大学东洋文化研究所

故事与中国版画
大木康
东京大学东洋文化研究所

物語と中国版画
大木康
東京大学東洋文化研究所

物語と中国版画
大木康
東京大学東洋文化研究所

Posters from the Republic of China as the Descendants of Chinese Prints — Centering on Succession and Changes in Tradition
Tajima Natsuko
Ome Municipal Museum of Art

Posters from the Republic of China as the Descendants of Chinese Prints — Centering on Succession and Changes in Tradition
Tajima Natsuko
Ome Municipal Museum of Art

民国时期海报里的中国版画复兴─以传统的继承与变化为中心
田岛奈都子
青梅市立美术馆

民国时期海报里的中国版画复兴─以传统的继承与变化为中心
田岛奈都子
青梅市立美术馆

中国版画の末裔としての民国期ポスター~伝統の継承と変容を中心として~
田島奈都子
青梅市立美術館

中国版画の末裔としての民国期ポスター~伝統の継承と変容を中心として~
田島奈都子
青梅市立美術館

The Transmission of Chinese Prints to Japan
Aoki Takayuki
Umi-Mori Art Museum

The Transmission of Chinese Prints to Japan
Aoki Takayuki
Umi-Mori Art Museum

中国版画在日本的流传
青木隆幸
海杜美术馆

中国版画在日本的流传
青木隆幸
海杜美术馆

中国版画の日本伝来
青木隆幸
海の見える杜美術館

中国版画の日本伝来
青木隆幸
海の見える杜美術館

芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー、開催中です

現在、海の見える杜美術館では「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」展を開催しています。

本展は、古来より芸術家たちのインスピレーションの源であった「旅」に注目します。彼らは各地の名所旧跡を旅して様々な風物に接し、旅先での体験を自身の作品制作に活かしてきました。その様相を当館のコレクションでたどっていきます。

今回は江戸時代の巻子作品、与謝蕪村の《奥の細道画巻》をご紹介します。

俳聖・松尾芭蕉(1644~1694)の名著、俳諧紀行文『おくのほそ道』を、絵師であり俳諧師でもある与謝蕪村(1716~1784)が全文を巻子に書き写し、いくつかの場面に絵をつけるという趣向の作品です。

蕪村といえば、京都を代表する絵師の一人であり、また俳諧の宗匠としてもよく知られた存在です。絵と俳諧の両方を極めて、両者を融合させた「俳画芸術」を完成させたことが知られています。

本作が作られたのは安永7年(1778)頃ですが、この時期(18世紀後半頃)は、俳句を詠む俳諧師たちの間で、芭蕉の俳諧芸術を復興させようという運動が大いに盛り上がっている時期でした。蕪村も俳諧宗匠として蕉風復興運動を積極的に盛り上げていて、奥の細道をテーマにした制作もその一環といえます。

当館所蔵作品の他に、京都国立博物館に2点、逸翁美術館に1点、同様の巻子が現存しており、山形県美術館には屏風形式の作品も伝わっています。蕪村自身が「是等は最早愚老生涯の大業」と自負しており、芭蕉を顕彰する大仕事だという意欲がうかがえます。


与謝蕪村《奥の細道画巻》(部分・那須野)
1巻 江戸時代、安永7年(1778)(会期中巻替あり・前期)

さて、こちらは巻子の前半部分、江戸を出発した芭蕉と曾良が、那須野(現在の栃木県北部)にある黒羽というところを訪れた場面です。二人がある村で馬を借りたところ、村の幼い子供たちが二人、馬のあとをついてきたそうです。

なんとも愛らしい様子の二人は兄妹のように見えます。
何かの遊びの途中だったのか、棒きれを持った少年と、その後ろを一生懸命追いかける少女。
少女は「かさね」という名前でした。
名前までもが可憐な彼女の様子を感慨深く思い、曾良が有名な句を詠んでいます。

かさねとは八重撫子(やえなでしこ)の名(な)成(なる)べし 
(かさねとはとても可愛らしい名前だが、花に例えるなら花びらを八重に重ねた八重撫子だろう)

蕪村は本作の制作にあたり、このエピソードを『おくのほそ道』に取り上げた芭蕉の感動を最大限に汲み取って、幼い子供たちの可愛らしい無邪気な様子を丁寧に描いています。芭蕉が残した名文学を、いかに解釈して、詩と書と画で表現するか。俳画芸術の完成者として知られた蕪村の力量が光ります。

《奥の細道画巻》は全長18メートルを超える長大な巻子で、残念ながら当館展示室のケース内では全てを一度に展示することができません。(一番長いケースで14メートルはあるのですが、それでも足りません)
そのため、会期中に巻替えを行い、9月24日(日)までは画巻の前半部分、9月26日(火)からは後半部分をご覧いただけます。

ぜひ巻頭から巻末までお見逃しなくご覧ください。

「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」展のご案内

まだ夏の暑さが残りますが、空の色や日差しには少しずつ秋の気配が感じられるようになってきました。

秋といえば芸術鑑賞、そして、旅にも良い季節ですね。現在海の見える杜美術館では、そんな季節にぜひご覧いただきたい「芸術家たちのセンチメンタル・ジャーニー」展を開催中です。

エントランスの様子

旅は古来芸術家たちにもインスピレーションを与えてきました。日本の芸術家たちも、様々な土地を旅しては、その経験を自身の表現に活かしています。今回の展覧会では、旅する芸術家たちの足跡を、当館が所蔵する日本絵画コレクションでたどってみました。平安時代の日本を歌とともに旅した西行法師から、発達した交通手段を利用して海外まででかけていった竹内栖鳳ら近代の画家たちまで、多彩な旅にまつわる絵画作品をお楽しみいただけます。

小さなブックレット(税込み550円)も絶賛発売中です。

チラシとブックレットです

展覧会は10月22日(日)までです。遊歩道の植物も徐々に秋の気配です。ぜひ展覧会とあわせてお楽しみください。

YouTube公開 物語と中国版画

「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」記念講演会:「中国版画研究の現在」のプログラムのうち、以下の発表がYoutubeに日英中3か国語で公開されたことをお知らせいたします。

【日本語】

https://youtu.be/59EVJVBqE-s

「物語と中国版画」

大木康
東京大学東洋文化研究所

蘇州版画も含めて、画像の背後には、物語があるということも可能である。例えば、桃や石榴は多産、多子の象徴であるが、それらを描いた図があれば、それはそうしたことへの願いが込められているわけである。関羽の肖像画などは神像としての意味があるが、やはり背後に『三国志演義』の関羽の物語が思い浮かべられるであろう。孟母三遷などの故事の図柄にしても、その背景に物語がある。だがここでは、より直接的に小説や戯曲の物語に関わる蘇州版画について考えてみたい。
 小説戯曲に関わる版画には、物語のハイライトの一場面を切り取って描いた図と、物語のいくつかの場面を連環画式に描いたものとがある。そして、物語の場面の少なからざるものは、芝居の衣装を着た人物の舞台上の様子を再現したものである。これらの芝居絵は、いったい何のために、どのような人を対象に作られたのであろうか。小説戯曲と版画については、小説戯曲の書物の挿絵としての版画が問題にされることが多いが、一方で、一枚物の版画も数多く存在する、その意味についても考えてみたい。

【英語】

Literary Tales and Chinese Prints

Ōki Yasushi
Institute for Advanced Studies on Asia, University of Tokyo

It is possible that there is a story behind any image, which is also the case for Suzhou prints. For example, peaches and pomegranates are symbols of an abundance of children, and images that contain them also express that desire. Portraits of Guan Yu portray him as a deity, but surely, they are also intended to remind viewers of the stories of Guan Yu from the
Romance of the Three Kingdoms. There are also stories behind images of historical figures and events, such as found in “The Importance of Raising Children in a Good Environment”. Here, however, I would like to consider Suzhou prints that are more directly associated with literary tales from novels and the Chinese opera.
Some of these prints illustrate highlights of the tales with individual scenes, while others link multiple scenes together through the imagery. A considerable number of scenes are also recreated by figures on stage wearing costumes. Why were these pictures of dramatic plays created, and what kind of people were they made for? When it comes to the relationship between novels, Chinese opera, and prints, the question of prints made as illustrations for books is often considered, but here I would like to think about the meaning behind the existence of the great many single-sheet prints that remain with us today.

【中国語】

「故事与中国版画」

大木康
东京大学东洋文化研究所

包括苏州版画在内的所有图像背后,很可能都有一个故事。比如说,桃子和石榴是多产和子孙满堂的象征,所以如果看到描绘它们的图像,就可以推测其中含有这一类祝愿的意图。又比如说,一幅关羽的画像固然可以看作是神像,但同时也让人很难不联想到《三国演义》中关羽的故事。甚至像孟母三迁一类典故的图,它的画面设计背后也有一个故事。不过,在这场演讲,我想探讨和小说戏曲的故事直接相关的苏州版画。
与小说戏曲相关的版画可以分为两种类型:一种是截取并描绘故事中最精彩场面的单一场景,另一种是以一系列的连环画面来描绘故事中的复数场景。此外,不少表现故事中场景的版画,是重现了戏装的人物登台演出的舞台场面。这些戏曲画究竟是为何而作,又是为谁而作的呢? 在探讨小说戏曲与版画的关系之际,小说戏曲这类书籍的版画插图向来引起比较多的关注,但其实也有不少以小说戏曲为主题的单幅版画作品存世,在此我想探讨一下它们所代表的意义。

さち

YouYub公開 レイカムの間の中国版画

「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」記念講演会:「中国版画研究の現在」のプログラムのうち、以下の発表がYoutubeに日英中3か国語で公開されたことをお知らせいたします。

【日本語】

「レイカムの間の中国版画」

李嘯非
中国芸術研究院

本講演では、オーストリア・グラーツ宮殿美術館のレイカムの間(Leykam Room)にある中国木版画28枚に焦点を当てる。これら製作技術と視覚効果が共に見事である版画は7つのテーマによって構成される。その画面に描かれた人物の表情、髪型と衣装は、清朝初期の社会で流行ったイメージと密接に関連している。それに広く使われていた線遠近法、キアロスクーロ、ハッチングといった西洋の芸術的要素は、18世紀の姑蘇版画の顕著な特徴でもある。またその光影や立体感の表現は、清初期の宮廷芸術における、ヨーロッパの宣教師から伝わった銅版画や絵画、建築装飾などの表現にも類似する。レイカムの間の木版画は、18世紀前半に蘇州で制作された可能性が高いと思われる。その縁起の良さと文人趣味を意図的に強調する表現も、当時の消費者の好みに合わせたものであろう。世界貿易の発展とともに、18世紀はヨーロッパでロココが流行し、思想や技術、物質が交流した時代である。いわゆる「シノワズリ」(Chinoiserie)は、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ文化に最も頻繁に登場した要素の一つであり、中国版画が持つ物質性と視覚性の特徴を生かした多様な物質的形態を含んでいる。

【英語】

https://youtu.be/Jrs-nDwtNug

Chinese Prints in Leykam Room

XiaoFei LI
Chinese National Academy of Arts

The subject of this lecture is twenty-eight sheets of Chinese woodcuts in Leykam Room in Palace Museum Graz, Austria. Seven topics constituted those prints in which manufacturing technique and visual effect were both spectacular. Facial expression, hairstyle, and costume, the feature of figures in the woodcuts were related closely with popular images in Early Qing society. And what was more, western artistic elements, for example, linear perspective, chiaroscuro, and hatching, were widely utilized in those woodcuts, that were also distinctive characteristic of Gusu prints in the 18th century. Expression of light shade and three-dimensional similarly appeared in earlier court arts such as copperplate engraving, painting, and architectural ornament which originated from European missionaries. Highly possibly the woodcuts in Leykam Room were produced in Suzhou in the first half of 18th century. Pursuit of auspiciousness and literati taste were intentionally highlighted and thus fitted consumers. With developing world trade line, the 18th century was the time of Rococo in Europe, exchanging of idea, technique and material. So-called “Chinoiserie” was one of the most frequent element in European culture from the 17th to the 18th century, including diverse material forms in which Chinese prints has the characteristics of materiality and visuality.

【中国語】

https://youtu.be/i88yPqUlOz4

关于莱凯厅中国版画

李啸非
中国艺术研究院

本演讲聚焦于奧地利格拉茲宮殿美術館莱凯厅(Leykam Room)中的28幅中国木刻版画,这些制造技术与视觉效果均十分出色的版画由7个主题所构成,画中人物的脸部表情,发型,服饰等特征都与清初社会流行的图像密切相关。更重要的是,这些木刻版画与十八世纪姑苏版画的显著特征一致,两者均广泛运用了西方的艺术元素,如:线性透视法,明暗对比法和阴影线等等。此外,清初的宫廷艺术作品中与莱凯厅木刻版画类似的光影,立体表现,在通过欧洲传教士传入的铜版雕刻,绘画和建筑装饰中均可得见。莱凯厅木刻版画很可能制作于十八世纪上半叶的苏州,且显然为了迎合当时的消费者喜好,图像刻意强调了祈求吉祥,彰显文人素养的表现。随着全球贸易路线的发展,十八世纪的欧洲洛可可时期,是一个各种思想,技术和物质频繁交流的时代。当时一般所称的“中国风(Chinoiserie)”,是十七至十八世纪欧洲文化中最常见的元素之一,而中国版画所具有的物质性和视觉性特征也包含在这些形成“中国风”的多元物质形式之中。

さち

YouTube公開 西洋宮殿と蘇州版画

「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」記念講演会:「中国版画研究の現在」のプログラムのうち、以下の発表がYoutubeに日英中3か国語で公開されたことをお知らせいたします。

【日本語】

西洋宮殿と蘇州版画

ルーシー・オリボバ
マサリク大学

東西の海上貿易の発達に伴い、中国からさまざまな高級品がヨーロッパにもたらされた。その中に、数は多くないが、18世紀前半に蘇州で制作された一枚摺の木版画があった。「高級品」として見るに値するかどうかは文化の盗用(cultural appropriation)の問題に関わるものの、少なくとも当時のヨーロッパではそれを高級品と見なされていた。現在でもヨーロッパのコレクションには多様な蘇州版画が存在しており、多くの専門家の関心を集めている。本講演では、蘇州版画が壁紙として室内装飾に使用された中欧の宮殿について、これまで語られてきたもの、またこれまで知られていなかったものを紹介する。厳選した事例を通し、現地のデザイナーが、非常に薄い紙でできる、壁紙に適していない小さい判型をする版画にどう対処したかを説明する。蘇州版画という「エキゾチックな」要素をどのようにロココ調の部屋に取り入れられるかのは、インテリアデザインの変化し続ける流行に新しい空想的な道を開いており、また実際に蘇州版画はロココ様式の特徴の一部として受け入れられるようになった。ヨーロッパ史における蘇州のグラフィックアートの特異な痕跡は、1757年以降、新たに行われた広東システムという貿易管理体制の影響により、その姿を消した。

【英語】

https://youtu.be/o_hxNO_9Vcc

Western Palaces and Suzhou Prints

Lucie OLIVOVA
Masaryk University

With the development of maritime trade between East and West, a wide range of luxury commodities from China arrived to European market. Among them, although not in huge numbers, were single sheet woodblock prints crafted in Suzhou in the first half of the 18th century. Whether or not they deserved to be seen as ‘luxurious’ was a matter of cultural appropriation; at the time Europeans considered them as such. A diversity of Suzhou prints can be seen in European collections even now, and they increasingly attract specialists’ attention. My presentation will introduce some previously recounted, as well as hitherto unknown palaces in Central Europe where Suzhou prints were used for interior decorations, often as wallpapers. Employing selected examples, I shall describe how local designers dealt with the challenges resuming from the uncommonly thin paper, or the unsuitably small format of the prints. The changing fashion of interior design gradually opened new fanciful
ways of how to incorporate the ‘exotic‘ components into a rococo room, and indeed, make them one part of rococo features. The singular trace of Suzhou graphic art in European history ended after 1757, as a consequence of the newly introduced Cantonese system.

【中国語】

https://youtu.be/ybq36WHpuew

西方宫殿与苏州版画

Lucie OLIVOVA
马萨里克大学

随着东西海上贸易的发展,大量来自中国的奢侈品进入了欧洲市场。其中,尽管数量不多,一批十八世纪上半叶在苏州制作的单幅木刻版画也随之流入欧洲─虽然它们是否值得被视为“奢侈品”是一个牵涉到文化挪用(cultural appropriation)的问题,但至少当时的欧洲人是如此认为的。即使是现在,在欧洲的收藏中仍可以看到各种各样的苏州版画,目前也有越来越多的专家学者注意到它们的存在。本演讲将介绍苏州版画在中欧地区宫殿空间内的运用情形:这些空间有些曾在先行研究中登场,有些则迄今尚未为世人所知。苏州版画在这些宫殿空间中被用于室内装饰─通常是作为墙纸使用。我将会通过所选案例,向各位说明当地设计师如何应对这些纸张异常轻薄,版型对墙纸来说过小的苏州版画所带来的挑战。通过将苏州版画这类“异国情调的”成分融入洛可可风格的室内空间,变化多端的室内设计时尚吹起了一股奇特的崭新风潮,而实际上这些苏州版画也成为了洛可可风格特征的一部分。1757年以后,由于新推行的广东体系贸易特区管制所造成的影响,苏州版画在欧洲历史上留下的奇特轨迹就此画下句点。

さち

YouYube公開 清初期の蘇州版画におけるイエズス会の役割についての考察

「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」記念講演会:「中国版画研究の現在」のプログラムのうち、以下の発表がYoutubeに日英中3か国語で公開されたことをお知らせいたします。

【日本語】

清初期の蘇州版画におけるイエズス会の役割についての考察

アニータ・シャオミン・ワン
バーミンガム・シティ大学

西暦1700年頃、明らかにヨーロッパの影響を受けた蘇州版画が登場した。当時、蘇州版画は中国製品としてヨーロッパと日本で人気を博していた。ところが、その生産時期が1700年代から1760年代にまでという短い期間しか続いておらず、その出現と消滅は、中国におけるカトリックと関係していた。すでに述べたように、このような蘇州版画の中には、ヨーロッパの絵画技法、とりわけ線遠近法、陰影法、ハッチングが使われる。現在、日本が所蔵する蘇州版画の中には、これらの技法がすべて盛り込まれているものもあり、更にその中には、ヨーロッパからの影響の源を直接示す題が刻まれているものもある。ヨーロッパからの影響がどのようにしてこれらの版画に取り入れられたかについては、これまでにも議論があった。講演者は、18世紀の蘇州の版画にヨーロッパの絵画技法が流用と模写されたのは、複数の手段による可能性が高い説に賛同する。しかし講演者はここで、ヨーロッパの絵画技法の導入に関しては、イエズス会が最も重要な影響源であったと主張したい。文書記録によれば、イエズス会は、最も早い時期に直線遠近法やその他のヨーロッパの絵画技法を用いたと知られる蘇州の版画家たちとつながり、場合によっては友人関係となったことがあるという。本講演では、蘇州の版画における線遠近法やその他の西洋の芸術技法の出現が、どのように中国におけるイエズス会の存在と密接に関係していたかを論じ、またその後の18世紀半ばに、版画におけるヨーロッパの絵画技法の使用が減少したことへの可能的な影響要因について分析する。

【英語】

Exploring the Jesuit Role in Early Qing SuzhouPrints

Anita Xiaoming WANG
Birmingham City University

Around 1700, Suzhou woodblock prints appeared with a clear Europeaninfluence.They became popular Chinese products in Europe and Japan. However, they were only produced for a short period of time, roughly from the 1700s to 1760s, and their emergence and disappearance was related to Catholicism in China. As already note, certain Suzhou prints made use of European pictorial techniques, most notably linear perspective, shading, and hatching. A number of Suzhou prints now in Japanese collections feature all of these techniques, some of which bear inscriptions which point directly to their European sources of influence. There has been debate about how these influences came to be in these prints. I accept that the appropriation and transfer of European pictorial techniques into eighteenth century Suzhou printmaking most likely came about through multiple means. I argue however that the Jesuits were the primary source of influence with respect to the introduction of European pictorial techniques. There are documentary records indicating that Jesuits had connections with, and in some cases friendships with the earliest known Suzhou printmakers to use linear perspective and other European pictorial techniques. The presentation will discuss how appearance of linear perspective and other western artistic techniques in Suzhou printmaking was closely related to the presence of the Jesuits in China and analyse the possible impact on the later decline in the use of European pictorial techniques in prints in the mid-eighteenth century.

【中国語】

「探讨清初苏州版画中耶稣会所发挥之作用」

Anita Xiaoming WANG
伯明翰城市大学

西元1700年前后,苏州版画中开始出现了明显的欧洲影响。此时苏州版画已经是在欧洲和日本都相当受到欢迎的一类中国产品,然而这些版画的生产时期却为时极短,大致只持续了从1700年代至1760年代之间的这段时期,且它们的出现和消失都与天主教在中国的传播有关。如前所述,这些苏州版画使用了欧洲的绘画技巧,其中最显著的是线性透视,阴影,以及阴影线的运用。目前已知有一批现藏于日本的苏州版画中同时使用了上述所有技法,其中更有一些作品直接在标题中明示其欧洲影响的来源。关于这些欧洲影响进入苏州版画的途径,一直以来学界的意见都有些分歧。部分意见指出这些欧洲绘画技巧应是透过复数途径而被挪用和转用到十八世纪苏州版画之中的,我也同意这一说法。但在此我想强调:耶稣会士是引进欧洲绘画技巧至苏州版画的最主要影响来源。有文献记录表明,耶稣会士曾和最早开始运用线性透视法及其他欧洲绘画技法的苏州版画家有所交流,甚至在有些案例表明双方之间是有友谊存在的。本演讲将讨论苏州版画中的线性透视法和其他西洋艺术技法的出现如何与耶稣会士在中国的活动密切相关,并分析造成日后十八世纪中叶苏州版画中欧洲绘画技巧的使用频率降低的因素。

さち